周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

ロケンロールライフ907 

2018/06/11
Mon. 22:58

3月からライブの合間に2回3人ソウブラ(五十嵐、森田、梅田)でスタジオに入り、6曲レコーディングしたまま放置していた音源を、ようやく簡単に調整(音量とか音の位置とかエコーかけ)してCD-Rに落とし、今朝の通勤&帰宅時に愛器ソニー製CDウォークマン(今時これを使っている人はそういまい)で聴く。

3人でボーカル含めて「せーの」で録った音源なのでとってもシンプル。左側から森田君のギター、中央にぼくのボーカルとリズムギター、右側に梅ちゃんの叩くタンバリンか振るシェイカーの音とボーカルだけが間近で弾き唄っているように聴こえてくる。スカスカ隙間だらけのただ演奏したままの音なのだが、そんな音が年を取るほどに以前にも増して好きになって来た。録った6曲は家族の事を唄った歌に、昨年秋からライブで良く唄っている故トム・ペティの歌を意訳したもの、そして前回の都知事選後に書いた勝ちを急ぐ政治運動を皮肉った歌となかなかバラエティーに富む。
中にはいまだ甲乙つけがたい良く録れたテイクが複数ある曲もあって、今週末前作同様所沢のギター森田君宅でリードギター入れを予定しているのに、どれをOKテイクにして良いか決めかねている曲も有る。
その筆頭は、亡き母のことを歌った“ないしょの話~母の歌集~”で、一つはとても情感がこもっていてそれが演奏に滲み出て少し暴れた感じのテイク。そしてもう一つは、それを録った後に「これでラストテイクにしよう」と言って気楽に録ったテイク。同じレベルにして同じ操作で録っているはずなのに、こちらは何となく大人しくそして切なく美しい。
ぼくは個人的には抑えきれぬ情感がにじむ前のテイクの方が好きだったのだが、今日の帰宅時に、長い生田駅からの上り坂を歩きながら、後のテイクで梅ちゃんの唄うお袋の書いた短歌の部分を聴いていると、前テイクよりも力が抜けて少しかすれた感じの彼女の声が胸に迫って来て思わず泣けてしまった。自分の声を聴いて泣いてたら相当のナル男だが(ないことはないのですが)、なんやらこの梅ちゃんの切ない声は、まるで天から降って来たように(この上り坂は、歌がそんな風に聴こえて来るぼくにとってのパワースポットでもある)感じたのだ。さぁてどうしようか?この曲は今回のアルバムの目玉曲の一つであり、スペシャルゲストもお願いしている。どっちかにしなければならないのだが、とりあえず森田君には両方にリードギター入れてもらおうか。

先日の東中野じみへんライブの時に、京都から観に来てくれた同世代の友人が、前作“普通の暮らし”をしょっちゅう聴いていると言ってくれてめちゃくちゃうれしかったとともに、新作は“普通の暮らし”を超えなければならないというプレッシャーもちょっとある。“普通の暮らし”で初めて(いや、その前の竹内浩三をうたう“ひたぶるにただ”からかな)「ライブの方が良い」と言われずに、「CDを何度も聴いている」と言ってもらえるようになった。それは自分でも何となく分かる気がする。凝った録音とは真逆に、シンプルな音で力まずに録音されたものは、自然と聴きやすいのだと思う。そんな録音のコツ?を、10枚近くCDを作って来てようやくつかめて来たような気がしているのだ。スルメのような音と言うべきか、何度聴いても飽きない聴くほどに味の出てくる音というのは、そんなアナログかつチープな音なのだと偏屈親父はもはや信じて疑わないのである。と言う割には、相変わらず録りっ放しで編集作業が面倒でなかなか手を付けないディレクター兼プロデューサーなのであるが。これでは他人をプロデュースすることはまず無理ですね~(苦笑)。

レコーディングはこれからフルメンバーで約6曲録り、ソロ2曲を加えて全14曲で完成予定。タイトルは決まっていて“命でしかないビート”です。みなさんどうぞお楽しみに!それまではぜひ“普通の暮らし”をお楽しみ下さい。

今宵のBGMは、ボブ・ディラン&ザ・バンドの「ザ・ベースメント・テープス・ロウ」。最大でもマイク6本だったという文字通り地下室や誰かの家の部屋で簡易録音された膨大な名曲たち。この力の抜け具合と音の飄々さがたまりません。こういう音こそが最上と感じてやまないアタシです。

BGドリンクはトマトジュースでした。ではまた、ロケンロール!

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今朝はゆっくり起きたにもかかわらず、昼前に息子の少年野球の迎えに行って昼食にいつもの製麺所のソバを食ったら、大好きなラジオ番組「久米宏のラジオなんですけど」を聴きながらまた午睡。最近ライブの翌日はたいていこんな感じ。身体に貼り付いた疲労感でともかく立ってらんない。でもこの疲労感、仕事だけで貼り付くそれとは違って何とも心地良かったりする。

昨夜の東中野じみへんに、仕事を終えたソウブラメンバー全員が揃ったのは開演直前の夜7時15分過ぎ。当然リハなど出来ず、普通の?バンドならあたふたするところだろうが、そこは二足の草鞋で結成28年のソウブラ、「それならそれで」でやってしまうし、うれしいことに我らが眼前にはじみへんの客席スペースを京都から!千葉から!埼玉から!神奈川から!東京から!来てくれたお客さん達が埋めてソウブラライブの始まりを待っている。昨夜は、このお客さん達(と言うかみなさんソウルブラザー)にどれだけ救われたか知れない。演奏的には正直まとまらない部分もあったが、アンコールまで全16曲歌心燃やし続けてやり切った。なにより個人的にめちゃくちゃ楽しかった。聴いてくれる人が居る事のありがたさ、しかも自分の歌とわずかに好きな人のカバーだけを唄うぼくらのパフォーマンスに感応してくれる人が居る事のありがたさをしみじみ感じた夜だった。中学時代の同級生でぼくにギターを教えてくれたEも来てくれて「イガリ(アタシの事)ワンマンライブじゃん。すげぇよ」と言われ、あらためて「そうだよな~。じみへんでワンマンさせてもらうなんてすげぇなぁ」と今さらながらに思い至り、ママさんであるみどりさんに感謝するとともに、やっぱりこうして観に来てくれた人への感謝感謝に尽きるのだった。

若い頃は、どうにかして“客を呼ばなければならない”という重圧から逃げる事ばかり考えていた。不遜にもそれを“余計な事”“煩わしい事”くらいに忌避していた。しかし、そのことからは路上ライブをやったって逃れることは出来なかったし年数を重ねるほどに「逃げられない事」と腹をくくるようになって来た。それは昨夜のMCでも話した、高坂一潮さんから言われた言葉がずっと胸に刻まれているからでもあった。そんなライブ活動を続けて来た中で、一度もオーデションも審査も受けたことなくステキな場所、店と出会って来て、じみへんとも出会えた。仕事後だろうがそのうれしさは何よりも勝るし、ぼくにとってスイッチの切り替え、二足の草鞋の履き替えとなるのだ。これからも、もっとこれからも。

もう一度書きます。昨夜東中野じみへんソウブラワンマンライブに、京都から!千葉から!埼玉から!神奈川から!東京から!ご来店いただいたソウルブラザーのみなさんに心から心から感謝します。みなさんにとって良い一時、意義のあるライブ体験になっていたら幸いです。昨夜もメンバー紹介でかまして失笑を買った自称“星野源”のアタシは、しっかり一夜燃え尽きてまたライブからライブへ歩き続けマス。またみなさんに会えたらと願いながら…。ありがとうでした!

ソウブラ東中野じみへんセットリスト
①LEARNING TO FLY
②君の世界は広がる
③キャッチボール
④二足の草鞋
⑤その変化とともに
⑥汚れた理想を掲げ続けて
⑦ファシスト野郎

⑧わかれ 詩 竹内浩三 五十嵐ソロ
⑨西村亭の唄
⑩超えて行け優しさを 豊田勇造さんカバー
⑪創造者よ 高坂一潮さんカバー
⑫ひとりのたたかい
⑬ヘルスよしの
⑭ないしょの話~母の歌集~
⑮命でしかないビート
~アンコール~
⑯廃炉!

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ロケンロールライフ906 

2018/06/06
Wed. 23:02

昨夜は自分の働くNPO法人の年に一回の総会であった。

2005年の8月に法人設立総会を開いてから早13年、何だかんだと良くぞ続いてきたものである。
最近バンドといい、母ちゃんとの生活といい、長く続いて来たのを感じることが多い。要するにそんなお年頃になったと言う事か。
そしてそれら全てに共通していることがあるような気がしている。それは、バンドにしても生活にしても仕事にしてもどれも「そのまんま続ける」と言う事。20年以上も前に、我らがGMあるぽらんのSaSaさんからボロボロだった初あるぽらんライブ後に言われた「君たちはそのまんま上手くなれ」という一言。それはいつしかぼく自身の人生におけるあらゆることに通底するテーゼとなっていたようだ。と言うか、もともとぼくとはそういうタイプ?の人間であったのだろう。それもここまで生きて来なければ、続けて来なければ気付かなかった。

25年前と同じ小さな施設の部屋で昨夜も開かれた小さな総会。25年前に新人だったぼくは、当時無認可小規模作業所だった職場の運営委員会の末席に居た。元々大田区内の某精神科クリニックのテコ入れで設立されたぼくの働く作業所は、当時クリニックの敏腕ケースワーカー他精神科病院のワーカーや、有給休暇を使っては心酔しているイタリアトリエステの精神医療の最先端を見聞し雑誌等に執筆もしていた生活保護のケースワーカー等そうそうたる面子が運営委員に居て、代表は利用者の家族であった。
ぼく自身が元来生意気な性格もあるからだろうが、ともかく当時のその運営委員らの一から十まで「精神保健ど素人(当時精神障害はまだ福祉に位置付けられていなかった)の無認可作業所職員に教えてやる」という上から目線が鼻についてならなかった。
やがて当時の所長はそういった重圧もあって精神に不調を来たし、長期休職後に退職。ナンバー2の女性も早々に別の道へ進むと退職され、後に残されたぼくがところてん方式に26歳で所長にならざるを得なくなった。
所長になったぼくが最初に着手したのは、上から目線の鼻につく運営委員全員に辞めてもらう事だった。今から思い出しても身がすくむ命知らずな暴挙だが、ぼくはいたって真面目に一人一人の運営委員に電話を入れて「ぼくがやって行きたい作業所にあなたの協力は要らない」といった単刀直入な申し出をしてそれまでの運営委員全員に辞めてもらった(電話口で怒った人も居たがぼくは一切聞く耳持たなかった)。そして、やがて利用者の家族だった代表も辞められて、ぼくは20代にして施設長と代表を兼ねることになり、長年俳句のボランティアで関わってくれていたやはり生活保護のケースワーカーをされていた方(現法人理事長)と、尊敬する別の無認可作業所の所長に新たに運営委員になってもらった。その後、スペースCを立ち上げたI井さんにも参加してもらい、ほぼ現在に続く布陣が出来上がったのだが、まぁ「あいつは独裁者」とずいぶん表に聴こえてくる陰口を叩かれたものだった(さらにその後、法人設立時にSママが所長の旧知のY工房と合体)。

そんな「独裁者」はしかし、自分の昇給は止めても自分を利するための一切何もやって来なかった(キッパリ)。それは何よりも我が家の貧乏がそれを証明して余りある。そして、1ミリたりと事業を広げることなく(利用者は倍に増えたが)やって来た。
昨夜も総会後旧知のみなさんと、呆れるくらいに変転著しい福祉業界について「就労継続A型事業所が儲かると見込んで安易に増えすぎた挙句にコケて、今度は就労移行がおいしいなんて言ってボコボコ増えているけれど、それもいつまで続くやら…」なんて一しきり語り合って「まぁ、業界の流行がどうだろうと我々はこのまんま行きますので」と言って議長五十嵐はしめたのであった。ファシスト野郎~♪ってか。バンドで飲んでいる時にメンバー同士で話してる内容と一緒(笑)。

今宵のBGMはビリー・ブラッグの97年発表の「ウィリアム・ブローク」。この人もそのまんま唄い続けて来てメチャクチャ味のあるベテランになってるなぁ。カッコいいなぁ。
BGドリンクはトマトジュースでした。さぁ、8日の東中野じみへんライブに向けて準備進めてますよ~。現在のソウブラをたっぷり楽しんでもらえる選曲になる予定ですので、みなさんぜひぜひお運び下さい!フルメンバーですよ!では、8日は東中野でロケンロール!

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新曲「歌は旅をする」 

2018/06/03
Sun. 22:50

歌は旅をする
詞 曲 五十嵐正史

それはまるで夢見たように過ぎて行き
またいつもの暮らしの流れに居て
君の場所で生きる 君を思う
もうどこにも居なくなってしまった君のことも思う

そうさ誰もが名もなき時を生きそして逝く
交わることのない場所で同じ歌と出会ったりして
いつもの通りの店先に 貼ってあった知らせ
記憶の中のその名前とある日偶然出会うことも

歌は生きる 歌は旅をする 
そして歌は残って行く

知らぬ間に重荷を背負ってはやり過ごし
いつしか身体を傷め心すり減らしてしまうことも
そんな時代を生きるのは 誰も同じ
事情は知れず何をすることも出来ないお互いでも

そんな誰もが名もなき日々を生きながら
歌がたぐり寄せ巡り会わせる一時がある
夕暮れの風が やさしく吹いてくる場所
誰もがその暮らしを生きて来た顔で集う場所

歌は生きる 歌は旅をする
そして歌は残って行く

それでももう会えなくなってしまった君だった
君の居ないのを感じながら君を感じていたのさ
君は知っていた 名もなき日々の歌を
名もなきうた唄いの唄う歌を君は知っていてくれた

歌は生きる 歌は旅をする
そして歌は残って行く

歌は生きる 歌は旅をする
そして歌は残って行く


久しぶりにJ-45を弾きながら曲を作りました(元メロありますが)。
今回の関西への短い旅が、この歌となってぼく自身の中に刻まれた感じ。
先週を思い出しながら、この歌を書いて良い週末過ごせました。
今日から6月8日のじみへんライブに向けて進んで行きます!

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ロケンロールライフ905 

2018/06/02
Sat. 23:41

今日は午後から先週からの約束通り息子と過ごす。

まずは車で近所のハードオフに行き、父は安いギタースタンドを物色し、息子は一枚数十円の仮面ライダーカードを漁る。
息子と愛車スズキエヴリィで移動しながら「先週の今頃は、京都へ向かうぷらっとこだまの新幹線の中だったなぁ」なんて思ったりして、今日はとにかく一日中そんな感じで“先週の今頃は…”ばかり。
先週の南風楽天ライブの時に、鼻炎トリオのベーシストでもあり、我らが豊田勇造師匠のギターテックでもあるギターDrキムラさんに前年のライブ時に修理を頼み預けていた我が愛器ギブソンJ-45が戻って来て(なので、ぼくは行きはギターを持たずに高槻へ向かった)、もううれしくて今週は時間さえあればJ-45を弾いていた。カンチ兄貴がライブで唄ってくれたソウブラへのラブソング“弾けよソウブラ、唄えよ五十嵐正史と梅ちゃ~ん♪”の歌詞にもあったように、ぼくはライブで夢中になったりその他不注意で、このギブソンJ-45をこれまで都合3回も木製のボディ部分を割り修理してもらって来た。
前回ボディのサイド下部をテーブルの角に突き刺し穴を開けたのをキムラさんに修理してもらった1年後に、今度は上部を2カ所割ってまた修理を依頼し、もはやあの明日のジョーの丹下段平の顔のように傷跡だらけになって三度私の手に戻って来たJ-45が、もう頬ずりしたいほど愛しくてならないのであった。これで無事ギブソンのアコギ3兄弟(97年に買ったハミングバード、2007年に買ったJ-45、2013年に買ったJ-15)が部屋に揃い、ギタースタンドが一つ足りないので部屋でこかしてまた割ったらたまらんと、購入しに出かけたというわけなのだ。

無事798円!でギタースタンドを手に入れ、我ら親子鷹の秘密(でもないけれど)の特訓場である多摩区にある渋いバッティングセンターへ。いつもの通り、息子が1ゲームやって交代して父が1ゲームやり、もう一度息子が1ゲームやって合計3ゲーム900円で熱い一時を過ごす。息子は80キロで、父は100キロでやるのだがこの日の父(アタシ)は好調でホームラン性の打球を7~8本かっ飛ばす。もう数十センチで“ホームラン”の的に当たる所まで飛ばし(当たると無料回数券がもらえる)、振り返っては何度もドヤ顔する親父が長女同様、息子も「ウザかった」そうだ。
息子もやる度に上達しており、まだまだパワー不足であるものの外野へ数本飛ばし本人もうれしそうであった。そんな息子のマイバットは、父がハードオフで見つけた掘り出し物のミズノ製(2000円くらい)だが、けっこうボロくてグリップのテープが早速剥げて来てしまったので、テープだけ買って母ちゃんが上手に修正し、バットケースは余っていた布製譜面たて入れを繋ぎ合わせてやはり母ちゃんが手作りした。少年野球のチームメイトに「なんでH君のバットはボロボロなの?」と聞かれるらしいが、息子はためらうことなく「ウチ貧乏だから新品が買えないんだよ」と応えるそうな。父が子どもの時だったら「これなぁ、巨人の○○選手が少年野球の時使っていたやつを特別にもらったのさ」等と平気で盛ってうそぶいたと思う。正直な子に育ってくれて良かった。

バッティングセンターから団地に帰ると、今度はグローヴを持って夕暮れの団地の公園に行き、キャッチボールをする。
息子は実家の弟が選び親父が買ってくれたゼットの左利き用のグローヴをし、父は“キャッチボール”という歌を聴いたまえだくんがくれたグローヴをして、お互いボールがグローヴに納まる良い音させてキャッチボールに興じる。近所の人からもらったおもちゃのグローヴを息子がして、おもちゃのボールでこの同じ公園でキャッチボールを初めてしたのが去年の4月。それからまだ1年ちょっとしか経っていないが、息子の投げる球は力強くなり父もほとんど手加減せずに投げてそれを息子は捕球する。もはや素手で捕ることは無理だ。そんなことしたらギターが弾けなくなっちまう。でも、まさにグローヴみたいなごつい労働者の手をしている親父だったら…なんて思いながら夕暮れ時のキャッチボールを二人きりの公園で続けた。

今宵のBGMは、ヴァン・モリソンの91年発表の2枚組対策「オーディナリー・ライフ」。このタイトルからぼくは“普通の暮らし”という歌を思い付いた。ヴァンはぼくの歌を書くヒントをくれる宝庫でもある。
今宵は息子とGEOに行き借りてきた是枝監督作品「海よりもまだ深く」を鑑賞します。以前ギター森田君が劇場で観て「良かったで~」と言っていたのを思い出したので。
BG酒はトリスクラシックハイボールでした。あぁ、先週の今頃は南風楽天でのライブ後の打ち上げがはけて、阪急高槻駅へ続く夜道をホテルまでみんなで笑いながら歩いてたなぁ。それから最終電車に乗って大山崎へ2次会に向かったのだったなぁ…。
ロケンロール!

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2018-06