周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

ロケンロールライフ782 

2017/04/12
Wed. 23:18

今日は昼から、利用者氏と共に電車で1時間以上かけて東京西部某市の精神障害者グループホームの見学に行く。

わけあってアパート単身生活が不可能となり、期限までにグループホームへの入居を試みるが大田区内はもちろん23区で空いている所はほとんど無く、また入居条件がえらいキビシイ所もあったりして探して探して思えば遠くへ来たもんだとなった(個人的に自宅からは東京西部多摩地域の方が大田区に出るより近かったりもする)。

武蔵某駅で生活福祉課のケースワーカーさんと待ち合わせ、駅からほど近いグループホームへ無事着いて世話人さんと管理責任者のお二人から話を伺ったのだが、電話やFAXでやりとりしていた世話人さんのどこかゆるく優しそうな印象と内容とは真逆に、管理責任者氏はグイグイと見学者である我が利用者氏の生活上“出来ない点”をことさらに取り上げて「それは困るなぁ」「それはだめですね」とダメ出しし続ける。挙句になぜわざわざ大田区からこの西部某市に来ようとするのか?と、賞味90分かけて赴いたこちらを半ば呆れたような非難めいた口調で問う。もちろんアタシは黙ってはいない。一々反論して唸らせこちらの意図と本人の希望を伝えると、黙りこくった世話人氏を置いてきぼりにして管理責任者氏の話は次第に、自立支援法以降の障害者福祉の流れの所為でいかにグループホーム経営が割に合わないつまらない商売であるかという愚痴へと変わり、果ては精神障害者の地域生活定着支援が形と号令ばかりの実の伴わないものであるとの愚痴以上政策批判未満の話まで私にし出した。利用者氏は黙ってトイレを我慢していたようだが、アタシも一部共感はするものの直にこの人たちがくたびれきっていることが良く分かって来た。割に合わないグループホーム稼業を継続するには、割に合わない仕事量を増やすことのない無難なしっかりした、しかもすぐ近くにあるそこがやはり経営する就労継続B型事業所に10分でも30分でも良いから月曜から金曜まで毎日顔を出してくれる人でないと入居させないとおっしゃる。「毎日顔出してもらって安否確認したいから」とのことだが喉まで出かかった「嘘コケ!1日分の利用報酬が欲しいからだろ!」を呑みこんで何とも悲しい気持ちになった。

この団体は元々ぼくの働く施設と同じ頃、東京の南部と西部で当時としては珍しかった「働かないゆるい作業所」としてスタートしたのだった。ぼくがまだ知多半島に居た頃、職員募集を取り寄せぼくは今働いている所とここのどちらにしようかと迷った覚えがある所なのだ。この管理者氏はおそらくその当時から働き続けているもはや唯一の職員ではないだろうか?キャリアも年齢もぼくと同じくらいであるだろう。しかし、こんな対応を見学者や利用者、同僚たちにしていたらちょっとあまり良い信頼関係は築けないのではとぼくはおせっかいにも思ってしまう。こんなにくたびれてまで、でももう後には引けず何とか(経営を)やり続けている。これが障害者福祉の、地域生活定着支援の現実だ。おそらくこういう所は多いはずだろう。これもまた障害者自立支援法が福祉を殺した後の光景の一つなのだ。

同行してくれたまだ3年目という若いケースワーカー氏は、こういう現場が初めてだったことをぼくに告げつつ、とても誠意溢れる態度で生活福祉で利用出来そうな社会資源をこちらも当たってみたいと言ってくれ、今後の連携強化を確認し合えた。こういう一人の仕事人との出会いと繋がり、当事者を交えた共同作業こそが地域生活支援だ。しょうもない形だけの官民共同の協議会など延々と続けているより現場でのガチンコ共同作業だ。それを再認識させてもらっただけでもここまで来た甲斐はあったのか?
それにしても、利用者氏は良くこらえ頑張ってくれた。これまでの生活環境と治療環境を捨てる一大決心をして、新天地での生活をおぼろげながら夢見ていたのにこれではキレても仕方ないと途中から覚悟したが、利用者氏は最後までジェントルマンであった。

帰りまた蒲田まで戻る道のりはとっても長くくたびれたが、小さなでもリアルな現場をまた一つ知ることで、辺見庸氏が語るところの、そのリアルな現場の低い視点から世界を見上げ正確に捉える事が出来た経験の一つになったという思いは残った。
けれど、管理責任者氏にぼくは特に悪い印象は抱かなかった。むしろ、その率直さ開けっぴろげさには好もしさを感じたくらい。一度酒でも呑んで話してみたいとさえ思ったが、向こうが迷惑かも知れない。

今宵のBGMは、豊田勇造師匠不朽の大名盤正真正銘ジャマイカ録音のレゲエアルバム「血を越えて愛し合えたら」。
今夜の様な気分でこれを聴くのは最高の癒しとエネルギーになります。
先日山崎のカンチ兄貴から今年の高槻南風楽天ライブのステキなチラシが届き、そろそろ関西の友人たちに送ろうとあらためてカンチ兄貴の手による招き猫イラストのチラシを見れば、“廃炉LIVEvol.6俺たちが招いたこと 俺たちが招くこと”のフレーズにグッと来る。良いテーマだ。今日のこともそうだけれど、明らかに俺たちが招いたことで俺たちはアップアップしている。でもまだ俺たちには「招く」作業が残っている。アップアップしているだけでは何にも招けやしない。5月27日は果たしてソウブラと鼻炎トリオで何を招くことが出来るか、今から楽しみでならない。カンチ兄貴、ナイスセンス!

BGドリンクはレモンのアロマオイルを1滴足らした水でした。では、15日は大森スペースCでロケンロール!

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ハーダー・ゼイ・カム 

2017/04/10
Mon. 22:26

ハーダー・ゼイ・カム
原曲 ジミー・クリフ
意訳 五十嵐正史

奴らはいつだって
俺たちのことを知っちゃいない
声の限り叫ぼうが
聞く耳など持ちゃしない

だから太陽が昇る限り
俺たちで始める
激しく奴らにつぶされても
終わりはしない
激しく奴らに倒されても
消え去りはしない

奴らはいつだって
俺たちを押さえつける
正しく導いた気で
ふんぞり返り続ける

だから太陽が昇る限り
俺たちで続ける
激しく奴らにつぶされても
終わりはしない
激しくやつらに倒されても
消え去りはしない

望む限り闘う
死んだらきっと終わりだろうけど
奴らに操られて生きるより
自由な奴で墓場に行くさ

だから太陽が昇る限り
俺たちで歌おう
激しく奴らにつぶされても
終わりはしない
激しく奴らに倒されても
消え去りはしない

激しく奴らにつぶされても
終わりはしない
激しく奴らに倒されても
消え去りはしない


10年前に訳した時はサビの歌詞が全然違っていた。演奏もあえてレゲエを無視したリズムをとってソウブラ流にアレンジしたのだが、数回ライブでやったきり歌わなくなってしまった。
あらためてこの歌が、権力に対して終わらぬ闘いを挑む普遍的な持たざる者の歌であることを再認識して約し直し、10年ぶりにソウブラで合わせてみるとまた全然新鮮なアレンジに生まれ変わった。10年前より面白いサウンドになっている気がするが、歌に込める思いはさらに強く激しく切実に。きっとこの10年の世の中が、現在が、ここから予見させるこれからがハーダー・ゼイ・カムだからだろう。でもこの歌は人間社会いつの時代も普遍的なテーマであり続けると思う。映画の中のワンシーン、あのスタジオで歌うジミー・クリフの不敵でしなやかで決して屈しないオーラみなぎる佇まいとパフォーマンスはいつ見ても、何度見ても美しい。

4月15日(土)のスペースCワンマンライブで披露する予定!
みなさん、ぜひお運び下さい。
18:00開場 18:40開演 1500円(1ドリンク付)
大森北1-12-10 03-3762-2213 JR大森駅東口下車徒歩5分

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ロケンロールライフ781 

2017/04/09
Sun. 21:47

昨日は3ヶ月ぶりの5時間スタジオ練習。

5時間の合間の休憩は合計1時間もなかったはず。4時間以上ギターを弾き唄いまくった48歳間近のアタシ。いやぁ気持ち良く疲れた。練習後の4時間呑みの居酒屋T前屋の席でも言ったけれど、「俺たち20代の時より一生懸命練習してるぜ!」に嘘も盛りもない。
ライブが続くと自然と練習をしたくなる。ライブでぶっつけ本番で試していることをスタジオでちゃんと確かめたくなる。メンバーの誰もがこの貴重な練習の一時を待ちに待っていた。このやる気は高校生バンドにも負けてないはず。

バンドで初めて合わす新曲2曲に、10年ぶりに書き直した「ハーダー・ゼイ・カム」と何年もやっていなくて今また歌いたい曲が数曲。それに遮二無二取組み5時間はあっという間に過ぎた。
練習合間の休憩時は、先日ヤフーニュースに載った埼玉県川口市の銭湯を経営するあるぽらんの若き常連仲間N君のことから銭湯話で盛り上がる。
そのニュース記事によると、現在20代30代の若者が後継者不足に悩む銭湯の経営を引き継ぎ(無論引き継ぐのは経営だけではなく、銭湯の仕事そのものである)、大きなブームではないけれど確実に若い新たな客を掴み現代の銭湯復興を担っているという。
確かに、先日夜の会議の前に西蒲田にある老舗の銭湯「改正湯」に10年ぶりくらいに入りに行ったら、外観はかつてとほとんど変わっていなかったけれど、下足箱が新調されて受付には若いバイト風の女の子が居た。脱衣所も浴室も改装されており、スーパー銭湯と見まがう洗練とキレイさにたまげたのだったが、そのサイズのコンパクトさと気軽さはあくまで銭湯であって、ぼくは代替わりを実感し感心しながら大田区独特の黒湯温泉をぬるめの炭酸湯にした斬新な湯に浸かり、汚れ一つない真っ白な天井を見上げて「これはこれで素晴らしいな」と満足したのだった。

もはや右肩上がりなど望むべくもなく、また望むべきではない経済成長や経済効率優先思想に大切な人生をすり減らすのではなく、公衆浴場を後継して行く若者が出て来たことにうれしいと同時に希望を感じる。数値に現れなくても、実際にこの社会を細やかに包み豊かにしてくれている隙間にちゃんと目を留めることから、経済効率優先の大雑把で隙間を潰しまくって省みることのないこの人でなし社会をひっくり返すことが出来る。ソウブラの生活の歌、ロックもまたその隙間からこそ生まれ歌い繋がって行く。

そんな昨日の回想&妄想に浸っていたら、ぽたりとヘルスよしのの離れのバスクリンぬる湯の天井からしずくが額に落ちて我に返る。夕方離れは薄暗いが節約かそれがヘルスよしのの流儀か灯りは点かない。けれど文句はない。ヘルスよしのはこれで良い。若者が銭湯という文化を継承し新たな息吹を吹き込むのと、時の経過をそのまま刻み小さな街と共にくたびれて行くものが、同じ公衆浴場というタガを外さぬ非競争的原理の上に在ることが、とっても正しいとぼくは確信しつつぼくの生業である福祉もまたそうであるべきだろうと妄想を膨らませて、また滴が額に落ちるまで薄暗いヘルスよしのの離れ(おそらく後年サウナと共に建て増ししたのだろう)のぬる湯に浸かり続けた。

今宵のBGMはピーター・バラカン氏のバラカンビート録音音源。
BGドリンクはトマトジュースでした。ではまた、ロケンロール!

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ロケンロールライフ780 

2017/04/07
Fri. 23:30

登戸研究所保存の会会報原稿草稿

川崎市多摩区に住んで早25年、登戸研究所のことはずいぶん前から、きっと20年くらい前から知っていた。保存の会のみなさんによる見学会のお知らせも何度かもらったことがあり、参加していれば当時まだ現存していた木造の偽札印刷所や偽札保管倉庫をこの目に焼き付けられたはずであった。
しかし、生来の出不精と人見知りもあって「これは見ておくべきだ」「何か大きな気付きを与えてくれるはずだ」と直感し思い立っても、動けずに時間は過ぎた。

ある時、家の母ちゃん(妻のことをもう25年以上こう呼んでいるのでご了承願いたい)から地域の歴史を学ぶ市民講座を通じて、登戸研究所の史実を伝える子どもたち向けの朗読劇「ヒマラヤ杉は知っている」に参加することになったと告げられ、ぼくはずっと心の中にありながら近づけなかった登戸研究所との繋がりが出来たことを大いに喜び母ちゃんを鼓舞した。もしかしたら、この時すでにぼく自身参加するつもりでいたのかもしれない。それは直に現実となり、ぼくは朗読劇の公演に参加し朗読にライブでギターを付ける担当となった。

台本をいただき、ぼくはまずテーマ曲を作ろうと思った。
この地に80年以上立つヒマラヤ杉が、70年以上前の戦争とこの地域の様子を回想する冒頭を読んでいたら、優しく少しもの哀しい沖縄音階っぽい曲が自然と浮かんだ。これ以外にないと思った。そしてそれが今もこの朗読劇の最初と最後で弾いている曲である。
そのうちぼくは、自分のふだんのライブでも登戸研究所のことを歌い伝えたくなり、朗読劇のテーマ曲に劇の内容を盛り込んだ歌詞を付けて、サビのメロディーを加え「ヒマラヤ杉は知っている」という歌にしてライブで歌い出した。
すると、聴いた人からの評判がなかなか良く、結局昨年末に発売したバンドのCDにも収録してしまったのだが、何よりぼくは今こうして少しでも登戸研究所の史実を伝えることに関われていることがうれしく、関わりながらこれからも学び続け、加害の歴史から目をそらさぬ視点からこそ、戦争を二度と起こさない生活の在り方を生涯希求して行きたいと強く思っている。

この文章の後“ヒマラヤ杉は知っている”の歌詞が掲載される予定。ぼくのライフワークの一つと思っている(もう一つは里山保存)登戸研究所について、資料館開館以前から草の根の活動を続けて来た「保存の会会報」からの原稿依頼に喜びぶっつけで書き出してブログ同時公開しました。これを推敲して完成させます。今年は地元で何度か「ヒマラヤ杉は知っている」を歌う機会がありそうで本当にうれしい限り。歌唄い冥利に尽きます。

今宵のBGMはジミー・クリフの1976年発表の名盤ライブ「イン・コンサート」。あらためてバックメンバーがスゴイ!リードギターがアーネスト・ラングリンだし、ドラムは勇造師匠のジャマイカ録音超名盤「血を越えて愛し合えたら」で叩いているカールトン・サンタ・デイヴィス!確かにスゴイ演奏。ボブ・マーリーの「ライブ」と並んでレゲエの至宝ライブ盤!

BG酒はブラックニッカハイボールでした。明日は1月以来のスタジオ練習にバンド始めたばっかりの高校生みたいに興奮してる。やりたい曲がマンチクリンだ。きっとギター森田君もそうだろう。オーケー、いくつになってもロケンロール!そしてハーダー・ゼイ・カム!

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ロケンロールライフ779 

2017/04/05
Wed. 23:19

昨夜は、ぼくの働く小さな施設を運営するNPO法人の理事会であった。

この春で仲間と始めたこの法人も12年目を迎える。前にも書いたかもしれないが(このブログにはそういう重複話は多いと思う)、東京都からNPOの認証が下りたその日の夜遅く、日付が翌日に変わってすぐに次女が長女と同じ助産院で産まれたから、法人設立の日はまず忘れることがないだろう。

次女が産まれた夜、ぼくはちょうどスペースCの運営委員会の会議中で、そこに母ちゃんから陣痛が始まったという電話が入り慌てて大森から1時間半かけて我が家に駆け帰った。
当時住んでいた古い平屋2間だけの借家の玄関を開けると、4畳半の部屋の灯りの下、準備を済ませて唸っている母ちゃんと、心配そうに母ちゃんを見つめそばにちょこんと座っている3歳の長女が居た。時間は9時を回った頃、ぼくはこの時たった3人のチームを実感した。こちらの生き方の都合上、頼るべき親戚縁者は居らぬがそれがどうした。ぼくは自分たちこそが誰よりも強く結ばれた家族(チーム)だとその時思った。

当時乗っていたいただきものの中古のワゴンRを飛ばして5分ほどで着く助産院へ向かう途中、車窓の右側に見える夜の森の上にキレイな満月があった。「満月の子だ!」ぼくはそう声を弾ませながら助産院へ急いだ。

小さな次女はそんな夜に、「私が居るから大丈夫」といつも母ちゃんに言ってくれた、まさに母代わりであった助産院の院長先生の手により助産院のお風呂の中で水中出産で生まれた。長女と同じく「いらっしゃい」と生まれたての赤ちゃんに声をかけてぼくがへその緒を切った。長女と比べてとてもおとなしい小さなかわいいこの世にやって来たばかりの女の子と、長女と母ちゃんと4人になったチームで助産院の部屋で一緒に一晩過ごした翌朝、いつもの出勤時間にぼくは助産院から職場に向かった(院長先生から「こんな日くらい休めないの?」と言われたっけ)。確か風呂は助産院で借りて長女と入ったはずだ。

当時ぼくの働く小規模作業所には、長く続くことになる障害者自立支援法の嵐が吹き荒れ始めていて、早くから法を拒否する姿勢を打ち出していたぼくらは大田区の中で孤立し出していた(元々孤立してはいたが)。施設を訪問した当時の障害福祉課長に「こんなことをしていちゃ自立支援法ではだめだ」と言われたのはこの頃だったか?もうちょっと後の話だったか?

前夜から続いた軽い興奮状態で職場に着くと、理事長からFAXで自宅に届いたという東京都からの前日付の法人認証書が送られて来ていて、すぐさまもう一つの施設の所長である同志S嬢に電話を入れたことがまるで昨日のことのようであるが、その前夜満月の晩に生まれた次女はなんと今日から小学6年生になった。かつて長女が教わったとってもステキな女性教師が担任になったことをうれしそうに次女から報告され、父も負けないくらい喜び「絶対個人面談父ちゃん行くからな~!」と金麦をグビリと呑みながら大宣言したのであった。

ぼくと仲間の働く施設が、その後も悪法と寝ることなく今も何とか生き残っていることはこれまでもここに書いてきた通り。
そして5人となった我がチームは、今年もそれぞれの春を迎えた。さしずめこのチームで、社会という相手に対して自分たちらしく生きるという競技を挑んでいるといったところか?

今宵のBGMは、ジョニー・キャッシュの超名盤「アット・フォルサム・プリズン」の完全版。ジョニーの意気込みと緊張感、囚人たちの熱狂、とにかくただならぬ空気感に満ちたライブ盤。彼ら(囚人)の側から世界を見つめ歌おうとするどこまでも正直なジョニー・キャッシュ、良いなぁ。

BGドリンクはトマトジュースでした。ではまた、ロケンロール!


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2017-04