周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

ロケンロールライフ772 

2017/03/12
Sun. 22:08

今日は花粉症がツラいのもあって、何の予定もない解放感に浸ってラジオをつけっぱなしにして寝たり起きたりのんびり過ごす。こんな一時がもう若くない自分にはとてもありがたい。

夕方に息子と二人で20号棟ある団地の周囲を散歩し、600万円で売りに出たとチラシが入った最上階(5階)の部屋を探すが見つからず、そのまままほろばの森に入りタマノカンアオイ観察。近頃は68000円の家賃が肩に重く、安く売りに出る部屋があったら買っちまおうかと(月々の支払いが家賃より安く済む)母ちゃんと話すのだが、子どもたちは1階のこの部屋が良いのだと主張する。我が棟の目の前は、かつて警察官宿舎があった所が取り壊され、東急建設が一戸につき駐車場2台分のスペースのある大規模一戸建て住宅建設の真っ最中。個人的には広大な更地が市民農園になったら良いなぁと夢想していたが、どうやったってこちとらには手の届かないマイホーム群が建つことになった。

それでも息子と春の森を歩くのは楽しく、家を持つだのどうでも良く思えてくる。息子は目ざとく絶滅危惧種タマノカンアオイの葉を見つけ、父は一つ一つ微妙に葉の紋様や色合いの違うタマノカンアオイの豊かな個性を息子に見せて教え、群生することなく点々とありながら春夏秋冬枯れることなく己が緑葉で在り続ける姿にいつもながら元気をもらう。

森を出て団地に帰る息子と別れ、父は一人ヘルスよしのへ向かう。
ライブの曲目を考えたり歌詞やMCを考えるのは、部屋に居るより断然散歩(森歩き)や銭湯に入っている時の方が思い付く。今日は、いよいよ今度の土曜日(18日)に迫った両国はフォークロアセンター階下の一つ目ギャラリーさんでの初ワンマンライブの選曲をしたい。
団地から読売ランド前駅へ続く長い坂道沿いの桜並木は、早くも蕾が膨らみ出した感じ。またあの落ち着かなくも美しい桜の花咲く季節がやって来るのか…。そんなヘルスよしのへの道すがらあれこれとライブのセットリストが思い浮かぶ。結果、我ながら挑戦的な良い選曲となりライブが楽しみ。

行けばどんな空間と湯が待っているか分かりきっているのに、ヘルスよしのへ行く度に、湯に浸かる度に新鮮で最高の極楽気分を味わう。しかし、ここのところちょっと心配なのは、いつも受付けに座っていたおばちゃんが年明けすぐくらいから不在であること。果たして今日も裏方担当と思われるおじさんが受付けもやっていた。お休みすることも多くなり(先週火~金までもお休みであった)、ぼくは内心気が気でない。なので確認も兼ねてかかさず週一で通うことを心がけている。
湯上りにいつもの商店街を歩けば、昨年書いた「ヘルスよしの」の歌詞に出てくるお店のいくつかがもはやなくなっているのが寂しい。だからこそか、この商店街の風景を歌にすることが出来て良かった。唄えばいつでも今はもう無くなった景色に会えるから。

今宵は満月とのことだが、曇って月は見えず。6年前の震災から約10日後の圧倒的だった満月を思い出す。あんな満月はきっと生涯見られないだろう。

今宵のBGMは、インターFMバラカンビートの録音音源。
BGドリンクはトマトジュースでした。ではまた、ロケンロール!今週末の両国ライブぜひぜひよろしく~!!

両国フォークロアセンター一つ目ギャラリーソウブラ初ワンマンライブ
17:00開場18:00開演 1500円(1ドリンク付)
墨田区千歳1-5-15 03-3631-8273
両国駅もしくは都営新宿線森下駅から徒歩9分

ライブ後会費1000円で懇親会有り

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ロケンロールライフ771 

2017/03/11
Sat. 23:39

3月11日、今日ぼくは明治大学生田キャンパスに行き、登戸研究所資料館が企画した証言会“登戸研究所で働いていた人に聞く登戸研究所の姿”「15歳の戦争」に参加して来た(満員で200人は優にいたと思う)。

年に数回、登戸研究所資料館では時どきの企画展のテーマに沿って、大学のホールを使って市民向けの講演会を開く。誰でも予約なしで無料で受講出来るこの講演会に、ぼくは自分が学生時代に受けたどの講義よりも、真剣にかつ積極的に参加し学ぼうとしていると思う。自分の中の本能に近い感性が、この時代を捉えこれからを生きて行くためにここであったことを知ることが必要だと感じているのだ。

今日聴いたかつて登戸研究所で働いていたお二人の話(88歳と87歳)は、アンケートにも書いたけれど、体験した人でしか表現出来ない言葉の響きを持ってぼくの心に入って来た。
88歳と87歳の二人の男性は、登戸研究所に15歳で入所し、一人は当時の日本が「決戦兵器」と妄想した風船爆弾の飛行実験と爆薬の製造に携わり、一人は中国経済を混乱させるための大量の偽札作りに従事させられた。証言会のタイトルにあるように、当時の戦争国家ニッポンは、15歳の少年に絶対機密である国際法違反の戦争の道具を作らせその実行をも強要した。
近所に住む人の多くが同じように登戸研究所で働いていたけれど、互いに知っていても一切仕事の内容は話さ(せ)ず(親兄弟にも)常に私服や制服の憲兵に動向を見張られていたという。
研究所資料館の調査で明らかになったのは、あえて近所の人たちを研究所に雇うことでお互いをけん制監視し合わせて秘密を保持させる目的があったらしいこと。この国の政府が権力が実に考えそうなことだ。

敗戦後長年登戸研究所について語らなかったことについて、「あまりに世の中が急激に変わってしまい自分にとって空白になってしまった」「俺は人殺しの道具を作らされていたのかと思うと…」と、怒りなのか悲しみなのか悔しさなのか混然となった強い口調で語られた時、ぼくはお二人が竹内浩三とダブって目頭が熱くなった。がらがらどんどんと事務と常識が流れた戦後を、お二人は「戦争は絶対にしてはいけない」と断言しながらも、平和憲法を持った戦後日本に対してどこかやりきれない憤りを抱いている。ぼくはそのことに矛盾を感じない。平和憲法を持ちながらそれを実現出来ていないことに何ら恥じず沖縄に犠牲を強い、アホなオリンピックに浮かれ最悪の原発事故収束の詭弁を垂れ、避難者を見捨て原発を再稼働している今のニッポンそのものではないか。この国は結局何も反省していないし何も変わっていない。15歳から登戸研究所で働きそれから70年以上を生きてきた人の肉声は、そのことをはっきりと伝えていた。実に重みのある人間性に満ちた生きた言葉と共に。

6年が経った3月11日に、1945年8月15日と同じくあの日を境に変わらなければいけなかったこの国の在り方を、これからも自分なりに目指して行こうとあらためて強く思った。ぼくにとってその手がかりの様な景色は、あの震災直後しばらくの間キラキラとハリボテを照らす明かりを消していた薄暗い夜の街だ。あのままで良かったのにと今もつくづく思う。

今宵のBGMは、本日放送の久米宏のラジオ番組「ラジオなんですけど」録音音源。今日の放送はぜひ聴きたかったので録音しておいた。ゲストコーナーの被災地で肉親を亡くした方の霊体験話が沁みる。最近死んだお袋との対話を続けていたのでとても良く分かる。人は死んでも無くなることはない。関係は変わるけれど対話は続くのだ。

BGドリンクはトマトジュースでした。ではまた、ロケンロール!

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ロケンロールライフ770 

2017/03/09
Thu. 23:03

今日は5時を過ぎたら急いで仕事を切り上げて帰り、次女の誕生日祝いをするためにリクエストされていた近所の回転すし屋のH寿司へ家族で外食。

我が家で外食と言えば、アタシの実家か義父宅へ遊びに行く時以外は、誰かの誕生日にリクエストがあってそれに応え得る財力がある時だけだから、子どもたちの特に息子は朝から興奮気味で、父が時折歌うのを聴いて覚えたシブがき隊の名(迷)曲を起きたとたんに「スシ食いねェ~♪」と歌い出すほど。我が子たちの時折見せるこの分かり易くもいじらしい盛り上がりは、父をうれしくもふだんは思いもしない誓いへと導く「見てろよ。いつか回らない寿司食わしてやるからな!」。

次女の実際の誕生日は1週間先だが、その日の夜に父は施設の利用者諸君と、東京善意銀行から招待いただいた女子プロレス観戦に行く予定を次女の誕生日であることを忘れて入れてしまったので今夜に前倒しとなったのだ。
次女はそんな父に最近よく「もっとちゃんとしてほしい!」とか「フツーのお父さんが良かった」等と小言を言う。かまってもらってうれしい父は、長女や息子に向って「父ちゃんちゃんとしてるじゃんな~?ウッ、ゲ~ップ!」てな感じで晩酌の麦とホップのゲップをわざとまき散らして余計ひんしゅくを買ったり、「なぁ、フツーの親父なんてつまらねぇぞ」と話し出そうとして「うんちくは要りませんから!」と拒否られたりしている。

ぼくは今でも3人の子どもたちが生まれた日のことや生まれた瞬間のことをよく覚えていて、ぼくと同じ顔で母ちゃんから出てきた長女と対面した時の、腰が抜けそうになった驚きとは違って、小さく可憐な可愛さをたたえて水中出産で生まれた次女はまるでかぐや姫のようであった。誰に抱かれても愛想よく微笑み仕草の一つ一つが愛らしく、どうしてぼくの子どもでこんなに可愛い子になったのだろうと不思議に思ったものだが、やがて3人の内で唯一胃腸が弱く、大胆なようで実は線の細いところがあるのがまさに父とうり二つであることが分かって来た。

それが出て来たのがちょうど小学校に上がる頃で、最初はなかなか学校へ行けなかった。家が、安心出来る所が大好きで、父がインフルエンザでダウンした時は、自分は何ともないのに学校を休んで寝込む父のそばで一人遊びをしていた。
いつもはキツイことを言ってくれるけれど、父が泊まりで留守にして家に帰ると真っ先に玄関に迎えに来て抱きついてくる(さすがにもうしてくれないかもしれない)。毎年関西ライブで高槻に行くのだけれど、毎回観に来てくれるギター森田君の姪っ子がちょうど次女と同い年で雰囲気も似ていて、森田君の姪っ子に会うとぼくはこれからライブだっていうのに、次女に会いたくなって思わず家に帰りたくなったりする。そんな次女ももう11歳、6年生になるのだ。

今日急いで帰って来て、仕事着でもある黒Gパンを脱いでいつものシルバーのおっさんトレーニングウェアに着替えて「さぁ、寿司食いに行くぞ!」とみなに声をかけると、次女は父のいつもの姿に一瞥をくれるなり「またそのダッサイ恰好?友達に会ったら恥ずかしいでしょ!ったく」とキビシイ一言。ええ、もちろんアタシは着替えたりなんかしませんよ。そんなことしたらアタシの親父道に反しますから(なんのこっちゃ)。次女よ、誕生日おめでとう。

今宵のBGMは、CCRの1970年のライブを収録した「ザ・コンサート」。
BG酒は麦とホップゴールド(回転ずしでは飲まなかったので)でした。ではまた、ロケンロール!

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ロケンロールライフ769 

2017/03/07
Tue. 22:58

昨年末に引き続き、またも職場で受注しているローカル情報誌のポスティング作業に追われている。

どうにも担い手である利用者不足を解消出来ず、不本意ながら職員が代わりにやらざるを得ないという、昔から作業所と呼ばれた施設が陥る典型的なパターン。まぁまだこっちが残業してまでやるほどではないので何とかやっている。それでも、昨年末は風邪をおして寒風の中配り歩きあやうく肺炎になりかけた(汗かいて仕事して熱を下げようっていう治療法自体が間違っていたのだが)。

この季節は寒さより何より辛いのは花粉である。午前中は面接と事務仕事をやって午後から動ける時間を作り、2時間ほどで400枚配ったが終始鼻水たらしくしゃみを連発しながらであった。
今日配ったのは、職場から東海道新幹線の線路の方向に広がるH嶺町という地域で、先日ここにも書いたかつてお袋が働いていた美装社という製本会社からほど近いところ。なので小走りに黙々とポスティングしながらちょっとしたトリップ状態になって、やはりお袋のことを考えた。おそらくこの辺りも彼女は歩いたに違いない等と思うと、さらにトリップ感は増して行く。

ここら辺の街の特徴と言ったら、やはり大きな昔ながらと最新のお屋敷と古いアパートの混在具合だろうか?割合で行ったら圧倒的にお屋敷の方が多い。環八を挟んで向こう側は天下の田園調布である。
お袋が15歳から22歳まで書いた短歌と俳句の中には、仕事へ行く道すがらのこの辺りのお屋敷の庭の木々や草花が登場する。しかし、お袋はここから海側に降りて行った南六郷という地域のアパートで両親と3人で暮らしていた(2人の兄はすでに独立)。
手作りの歌集には、少なくない数の自分の父親に対して憤る句がある。多少ぼくも聞いていた話だけれど、どうやらお祖父ちゃんはあまり働かず(大工職人であった)、そのくせ頻繁に朝帰りをする遊び人であったらしい。お祖母ちゃんが内職していることや、お袋が働くことで家計を助けている様子も読み取れる。つまり暮らし向きは楽ではなかったのだろう。

陽の当る 坂道の家声も無く 我が世の天下と 猫柳伸び  
                   1967年2月1日 市川悦子(21歳)

ポスティングをしながら、あまりに狭くて壊れそうな急な錆びた階段を気を付けて上り、古びたポストに投函する際に一瞬ここに住んでいる人の暮らし向きを思って同情してしまう。方や、嫌味なほど長い壁伝いを探してやっとポストを見つけるようなお屋敷に対しては正直腹が立つ。この地域はちと貧富の割合がおかしい。日本の現実はもはや貧の割合が遥かに多いはずだが、大田区の山の手なぞはまだまだスカした奴らが多いのだ。そんな毒な感情と共に(屋敷が多いおかげでそのぶんたくさん歩かなければならないことも手伝って)、お袋はこの道をどんな思いで歩いていたのだろうかと考える。おかげ様で息子もここを行き帰りしていた若きお袋と同じ貧乏でござる。今ならアンタと気が合うとしか最近思えないんですよ。ちょっとそこらでお茶して話がしたい気分。いや、政治思想は別にして。

孫から見たお祖父ちゃんは、酒もほとんど呑まず真面目に大森日赤病院の掃除の仕事を続けた時代劇と釣りが大好きな優しい人だった。若い頃に一生分遊んでしまったのだろうか?大好きで相当通っていたという浅草の話をお祖父ちゃんから聞いておきたかった。

そんなトリップ体験した午後の仕事を終え、くたびれた足を引きずって帰宅すると、長女は応援道具を一式そろえて今日から始まるWBCの試合に備えていた。彼女の野球熱はまったくもって冷めやらないようだ。父はプロレス(それからロック)だったが、そうやって何か熱狂出来るものが若いうちにあるのは良い事だなんて母ちゃんに言いながら麦とホップをグビリとやっていると、ふとテレビから音声が途絶えた。壊れたかと思って見やると、ちょうど日本チームが君が代を歌っているところで長女が自分で音を消していたのだった。この歌が大嫌いな両親に気を使ったのか?それとも…等と思いながら今宵の晩酌を大いに楽しんだ。稼ぎ悪くても少なくとも母ちゃんや娘たちを泣かす親父にはなりたくねぇなぁ。

今宵のBGMは、ジョン・フォガティの85年発表のアルバム「センター・フィールド」。ジョン・フォガティの復活作と呼ばれてる逸品。ちょっと80年代っぽい音ではあるが、彼のギターや歌声はいつ聴いても気持ち良い。WBCに盛り上がる娘を見て野球がモチーフのこのアルバムを聴きたくなった。

BGドリンクはトマトジュースでした。ではまた、ロケンロール!

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第14回すばるまつりライブ終了! 

2017/03/05
Sun. 21:34

今朝は心地良い二日酔いで目が覚めた。

心地良い二日酔いなどあるものか!?と言われそうだが、それがまれにあるのだ。頭は重いが気持ち悪くはなく、前夜の深酒に後悔の念も無い。けれど確かにダメージは残っている。そんな二日酔いがごくまれにあって、今朝がまさにそんな日であった。

昨日は、野方の商店街の中にあるふれあい広場で開催された、主に精神障害者の利用する事業所(要するに同業であります)すばるカンパニーさん主催のすばるまつりでライブした後、野方の昼からやっている餃子が売りの居酒屋で日のあるうちからバンドメンバー4名(タケサンシン山村君は子連れだったので帰宅)と呑んだ。小売店の多い雰囲気ある商店街で昼間の野外ライブ、音響もぼくらには滅多にないPA完備のまさにロックバンドっぽく増幅された音。広場には子どもからすばるカンパニーの人たちや、通りすがりの人、まさに老若男女が良い感じで集ってぼくらのステージを観てくれる。そんなライブが楽しくないわけがない。その直後の、ご苦労さんも兼ねて初めて訪れた街での呑みがこれまた楽しくないわけがない。

この日のぼくは一つ呑み方を決めていた。それは最近寝床で再読した酒とつまみ社刊の大竹聡著の「中央線で行く東京横断ホッピーマラソン」(アタシは文庫化前の初版を持っている)に大いに感化され、ぜひ腰を据えて一度とことんホッピーを呑んでみようという決意であった。もちろんホッピーはこれまで何度も呑んだことがあるけれど、たいてい先に他の酒を何種か呑んでからホッピーセットを頼むことがほとんどなので、ホッピー呑みなら当然分かっている中(焼酎)と外(ホッピー)の割合やお代わりのタイミングがすでに酔っぱらっているからてテキトーになってしまい、最後にどちらかが変な残り方をして終わることが多いのだ。

しかし、大竹氏の名著を読むと実にホッピーの中と外のコンビネーションが良いことに感動しそれに憧憬して、いつかそのコンビネーションを真似て存分にホッピーを味わいたいという気持ちを抱いていた。ありがたいことに、ホッピーは庶民の酒(工場は調布にある)であり安上がりなので存分に呑んでも懐のダメージも少ない実に挑みやすい酒なのであった。
たまたま入ったその餃子居酒屋は、まさにホッピーの当たり店であった。まずホッピーセットを頼み、大竹さんが書いたように外1本で中を3杯呑もうと思い、早速呑み干して中のお代わりをお姉さんに頼むと、お姉さんはマジックでナカとカタカナで書かれた大きなヤカンを持ってこちらにやって来て、「好きな所でストップと言って下さい」と言うではないか。驚いたぼくは「えーっ!?どこまで入れてもらっても良いの?」と聞けばコクリとお姉さんは頷く。ぼくは、なみなみ注いでもらいたいのを外で割ることを考えこらえて6分目くらいでストップをかけた。これだって通常の中の2倍ほどの量だ。そんなアトラクション的なお店のお姉さんとのやりとりを楽しみながら、結局セットを3回と中のお代わりを3回ずつして、シメには4人で大好きな山崎のハイボールを呑んで大いに盛り上がり4時間ほどで店を出た。

ホッピーセット3回といううことは中3杯で、2杯分は優にある中のお代わりを3回しているので、3杯+2杯×3回=9杯!焼酎の中を呑んだ事になり、さらに山崎を1杯呑んだ。餃子やチャーシューにキャベツの浅漬け等もつまみで頼んで、一人ほぼ3000円ずつで済んだから安いものである(同席のギター森田君はアタシと同じホッピーで攻め、ちきんベース君とうめちゃんはもっぱらソーダ割り系であったような)。しかし、野方駅でみなと別れてから団地に戻るまでの記憶がほとんどない。慣れない西武新宿線を乗り継ぎ、キャリーでアンプを転がしながらの大荷物だったが忘れ物もなく、どうやらちゃんと風呂にも入って布団に寝たようだ。子どもらの話によると、大荷物抱えてドカドカとえらい上機嫌で帰って来たぼくは(たぶん、9時過ぎには帰ったはず)、お姉さんがホッピーの中を好きなだけ注いでくれたことを誰も聞いていないのに何べんも語り、子どもたちが無視するや否や、突如北の国からの田中邦衛氏演ずる黒板五郎に変身して「子どもがまだ食べてるでしょうが!」と何べんもモノマネをしてさらに無視されると、しつこく「なぁ、家族みんなで「北の国から」を最初から全部観ようよ」と言い寄り、それでも無視されると急に倒れるように寝てしまったという(それでもどうやら夜中起きて風呂にだけは執念で入った模様)。覚えてないな~。

と言うわけで、今日はその時息子に約束したという永山のブックオフバザールへ車で連れて行った。
夕方はもちろん我が極楽銭湯ヘルスよしの。この時期花粉症がツラいので森歩きはちょっと自粛するのだが、やっぱり春の気配を感じに歩きたくなって多摩美の森を通って行った。森は匂いも風も木々も地面から萌ゆる草もすべてが春を告げていた。命はまたも春を迎えたのだ。それがどんな春になろうとどんな春であろうと。そして春の酒もまた美味い。

すばるカンパニーの皆さま、音響をやっていただいた笑進笑明音楽隊の皆さま、すばるまつりお世話になりました!

第14回すばるまつりソウブラセットリスト
①ほんとうのさいはひを求めて
②新しい日々
③君と同じ
④結風

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2017-03