周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

ロケンロールライフ914 

2018/07/03
Tue. 22:48

昨日家に帰りいつもの水浴び後に台所で晩酌していると、次女が折り紙で七夕飾りを作っていた。

ベランダに目をやるとそこには笹竹があり、夕げの支度をしている母ちゃんの背中に「もらったのかい?」と聞くと、長女が生まれる前からお世話になっている近所のWさん宅のを分けてもらったとのこと。そう言えばこの前の日曜の夕、森歩きからヘルスよしのへと向かう道すがら笹竹を持った親子連れとすれ違った事も思い出す。「そうかぁ、もうすぐ七夕かぁ」と呟いて、最近お気に入りの第3種のビール「本麒麟」をグビリと飲る。そうしてせっせと器用に折り紙で提灯等を作っている次女を眺めていると、七夕ってクリスマスやいつの間に流行り出したのか知らんハロウィーンよりもよっぽど落ち着いていて良いなと思えてくる。なにせ金がかからなくて良い。そして静かである(賑やかに七夕祭りやる街もあるけれど)。どことなくロマンチックだし神秘的でもある。

しかし、何よりもぼくにとって七夕はおふくろの命日なのであった。1994年の7月7日の夜、ぼくは実家の風呂から出たばかりだった。茶の間の親父手製のステンレス製ベッドの上ですでに意識を無くしていたおふくろは、この日川崎から駆け付けた母ちゃん(アタシの妻)を待っていたかのように、家族全員に見守られながら足かけ10年に渡ったガン闘病の末自宅で息を引き取った。48歳になってもうすぐ半年であった。
それからもう24年が経った。25歳だったぼくは、もうすぐおふくろの居なくなった世界で生きる時間の方が長くなる。葬儀諸々が終わって久々に出勤した朝、いつもの道を駅へと歩く時、踏みしめた地面の感触がこれまでと違うことに驚いた。おふくろの居た世界と居なくなった世界とでは、世界の感触が違うのだ。若かったぼくは「そんなバカな」とは思わず、「それはそうだ」と妙に納得した。おふくろが居なくなると言うのは、子どもにとって世界が実感として変わってしまうほどのことなのだ(もちろん親父でもそうかもしれないけれど)。ぼくはもう以前の世界の感覚を忘れてしまったほどにおふくろの居ない世界を生きてきた。

昨年、おふくろが15歳から22歳までに書いた一冊だけの短歌集のことを歌った“ないしょの話~母の歌集~”を書いて唄うようになってから、おふくろとぼくの関係はとても穏やかなものになった。40歳くらいまで夢に出てくるおふくろは、たいていぼくを心配し、叱り、まだぼくを育てようとする存在だったが、おふくろの死んだ年齢に近づくにつれ、夢の中でぼくとおふくろは同世代という変な感じになり、ついには悩んだり泣いたりしているおふくろをぼくが慰めたり抱いてあげたりするようになった。
そうして、“ないしょの話~母の歌集~”を唄うようになってからはおふくろの夢をまったく見なくなった。なぜかは分からないが、この歌を唄う度におふくろと、それもぼくよりうんと若い守ってやりたいまだ少女のような(それこそぼくの長女と同じ年頃の)おふくろと再会するようになったからかもしれない。

でも、久しぶりに七夕の夜に夢に出て来てくれないかなぁ。結局はまだマザコンの49歳になった倅なのであった。
短冊に書いて笹に結んでみようかしら。

今宵のBGMは、スティーヴ・アールのライブ・イン・ナッシュビル1995。BGドリンクは麦茶でした。
では、そろそろ14日のスペースCライブの選曲なんかも考え出そうかな。みなさん、ぜひお運び下さいね!ではまた、ロケンロール!

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ロケンロールライフ913 

2018/06/26
Tue. 23:13

昨日の仕事帰り団地に帰宅するなり、今年初の水浴びをした。

今日も昨日同様、午後から炎天の下2時間強若い利用者氏と共にもう10年以上やっている地域のローカル情報誌のポスティング作業に汗を流したので、帰宅後は風呂場に直行して水浴び。今年もまたぼくの大好きなこの季節がやって来た。
ただ、水浴びするにはもっと暑くなってくれないと最高の気持ち良さは味わえない。
最寄駅からの約20分の団地への帰り道は、急坂入れてほぼほぼ登りばかり。最終コーナー団地手前にあるこの地域住民御用達の生協に入ってクーラーにあたりたいのを我慢して、文字通り汗だく状態をキープして浴びる水シャワーは、生き返るなんてもんじゃない気持ち良さ。もっと暑くなって来ると、帰り道の頭の中はもう水浴びの事で一杯になる(そして水浴び後の冷えた第3種のビール!)。

おそらくこれほどまでに水浴びを楽しめるのは、相も変わらず我が家にクーラーが無いからであろう。
やせ我慢でもなんでもなく、この団地に越して来て今年で13回目の夏を迎えるがクーラーが欲しいと思ったことはない。それは何度かすでに書いていると思うが、この団地が高台の元々山だった所の上部に建てられ、今も残されている森に囲まれた風通しの良い立地だからだろう。実際団地に越して来る前に住んでいた平屋の古い借家があった所は(団地から歩きで30分と離れていない)、昔仙人が住んでいると言われるような谷だったことから付けられた「仙谷」という地名だったが、とにかく谷と言うだけあって風が通らない場所で、夏場はアイスノンをあてなければ夜眠れないほどだった。同じ多摩区内でこんなに違うとはと驚き、団地に越して来た当初、真夏の昼下がりに窓から入って来る風を感じながら感動して昼寝したことを覚えている。仙谷も良い所だったが、ぼくらが引っ越すなり即ぺシャンと取り壊されてしまった2間だけの借家では、5人ではとても住めなかっただろう。JKを筆頭に3人の育ち盛りの子を抱えて3部屋(6畳×1、4畳半×2)で暮らしている今も正直限界をとっくに超えていると言える。

先日DVDで借りて観た是枝監督の映画「海よりも深く」は、清瀬に実在する築50年は経っているだろう古い団地が舞台だったが、その描写はそのまま我が家の団地に当てはまり、母親役の樹木希林が住んでいるのが我が家同様賃貸で、出来の悪い息子である阿部寛に本気とも冗談ともつかない口調で、賃貸棟から持ち家棟に移りたいから買ってくれとせがむシーンなどシャレにならないほどリアルであった。実際母ちゃんもこの映画を観て、「ふだんこの団地で見聞きしていることと同じだから映画観ている気がしなかった」と言うほど。
その母ちゃんも団地内で売りに出ている部屋の広告が入るとチェックするようになった。今さら戸建やマンション等買えやしない。ぼくももうすぐ50だ。今から云千万円のローンなんか組んでどうなる。でも数百万で買えるこの団地ならかろうじてローン組んで手が届くかも。それもこれも自分たちだけだったらどうにでもなるけれど、これからも明るくはなさそうなこの国の未来で、狭くても子どもたちにいつ何かあった時に戻って来れる場所を作ってあげたい。母ちゃんはそんなことを言うようになった。そして、一生懸命パートの口も探し始めている。

呑気な親父は、もしここを追われたらそん時は子どもらと一緒に路頭に迷えば良いさ。知恵を出し合って生き延びるさとうそぶき、第3種のビールをグビリと飲りながら、水浴び後の幸福感に浸るばかりなのであった。「別に良いよ。このままで」と独り呟いて。

3歳の長女と、抱っこひもの中で寝ていた生まれてまだ3ヶ月の次女と、母ちゃんと4人で2006年のちょうど今時分この団地にやって来たのだった。

今宵のBGMは、スティーヴ・アールの2015年発表の「テラプレイン」。ブルーズ感マンチクリンの逸品。音はバンドの奏でる楽器が一緒に鳴っていてそれに乗ってボーカルが唄っているという普通の音。ぼくはそんな普通の音が大好きだ。
BGドリンクはトマトジュースでした。さぁ、今週末は立川歌酒房農家でワンマンライブ、生活バンドソウブラ全開で行きますよ~!みなさんヨロシク!!

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ロケンロールライフ912 

2018/06/24
Sun. 14:02

心が千々乱れながら終えた先週末。

魂を鎮めるようなつもりで雨中さいたま市は浦和へ、我が師豊田勇造と歌友飯浜ゆきこのライブを土瑠茶に観に行く。
途中やはり魂を鎮めるべく浦和駅西口を出て向かったのは、事前に調べ地図を頭に叩き込んで勘を頼りに目指した銭湯“稲荷湯”。
スマホも持たずいつも勘で目的地へ行くので道に迷うこともしばしばであるが、なぜか銭湯探しは外したことがない。それはたぶん、煙突という素晴らしい目印があるし、あの独特な銭湯としか呼びようのない佇まいが、メインストリートからちょっと入り組んだ場所にあっても待ち受けているからだろう。

果たして目当ての“稲荷湯”も実に古びた味のある佇まいでぼくを迎えてくれた。これはまさに魂を鎮めるのに相応しい!間違っても人間を消費の権化にするだけのピカピカ光ってりゃぁ良いような場所では、魂を落っことしてしまうばかりだ。そんな場所で癒せるものとは一体なんだろう?

常連客と話し込む受付けのおじさんに料金を払い(さいたまは430円!)外見通りの渋い脱衣所から洗い場に入れば、端のカランで貧相な体躯の長髪男が髪を洗っている。「いるんだよなぁ、こういう男。でもどこかで見たことあるような」と思って近づくと、何とソウブラギターの森田君であった。そりゃぁしょっちゅう一緒に銭湯入っているから見覚えのある体躯のはずだ。
この男も魂鎮めに銭湯を目指してきたのであろうか?本人の話では、最近出かける街の銭湯をまず調べるのが習慣になってしまっているとのこと。

そんなこんなで相変わらずの強い雨の中でも、ライブ前にすっかりほっこりしたリラックス気分で土瑠茶に辿り着き、さいたまの江上正監督主宰のピースライブを堪能した。
マンドリンで矢野敏弘さんも参加した土瑠茶ならではの完全生音ライブは、とっても素晴らしかった。そしてこの江上さん主宰のピースライブが、今やこの地に根を下ろし人々の集う思いのこもった有意義なイベントとなっていることを強く感じた。このピースライブならではの場が、江上さんの運びならではのライブの流れが、勇造師匠と、オープニングの飯浜ちゃんとピッタリ共鳴してそれぞれの持ち味で存分にパフォーマンスしている様子が実に気持ち良かった。
25年近い付き合いになる飯浜ちゃんの歌を聴いていると、かつてのいろんな場面やその時の空気感がよみがえってぼくを過去に連れて行っては、そしてこの今にまた連れ戻す。この人の変わらなさは本物で、それはずっと前から普遍を唄い続けている証左なのだろう。最近タイミングが合わずなかなか彼女のライブに行けていなかっただけに余計に感じたのかもしれない。しかし、彼女の歌やギターが変わって来ていることも確かなのだ。聴き手の心への触れ方は変わらないけれど。

そんな飯浜ちゃんを受けて、MC無しでスーッと場の空気を生音のギターの響きで満たして行った勇造さんの1曲目「背中」を聴いた瞬間、良いライブになることは約束された。繊細さ、力強さ、柔らかさ、揺るがなさ、師匠の歌とパフォーマンスの持つすべての要素がいかんなく発揮されるだろう予感は、もうワクワク以外の何ものでもない。
この日2部の最初で「急きょ変えた」と言って、陸前高田ジャズタイムジョニーのママ由紀子さんの書かれた詩を朗読した後で唄った「陸前高田」は、ぼくの涙腺を決壊させた(今回の関東ツアーは、2010年9月のジョニーライブDVD発売記念でもあった)。ドバドバと流れる涙を拭わずに目を見開いて師匠のパフォーマンスを見続けた。もう40年唄いに行き続けている陸前高田で出会い、そしてあのジョニーをも流し去った津波で別れることになった人一人一人のことを丁寧に歌う。これこそが師匠の歌であり、師匠にしか成し得ない歌だ。一人一人の一つ一つの生活。それに近づき逡巡し、手助けが出来たり出来なかったり、無為に振り回してしまうかもしれない可能性におののきながら、歌で自分を支えこの1週間もぼくはやって来たのだった。世界の1ミリも変えられなかったとして、ぼくはその営為を止めるわけには行かない。また始まる1週間も。

やはり、この日もぼくの魂を鎮めたのは、歌であった。
今日も夕方、所沢MOJOへ師匠のライブに行く。

BGMは、インターFMの「レイジー・サンデー」。
BG酒は本キリンでした。では、今週は29日の立川農家ライブに向かってロケンロール!

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ロケンロールライフ911 

2018/06/19
Tue. 23:16

昨夜は関西に住む友人知人たちの無事を確認しつつ、震度6弱の揺れについて、ぼくが体感した3.11の震度5強の揺れを思い出しながら過ごした。

犠牲者が出て、現在も水道やガスが止まっている高槻市は、5月末にソウブラがライブをして来たお店南風楽天があり、友人も住んでいる街。南風楽天は店主槇野さんがいち早くFBで無事を知らせてくれた。酒瓶や食器が落ちてずい分割れたとのこと。
山崎のさくらさんからは無事のメールと共に、日本列島どこも地震だらけ、五十嵐君も備えはしてねとメッセージをいただいた。本当だ。前日くらいに群馬でも地震があったし、南海トラフだろうが首都直下型だろうがもはや予測の意味があるのかしらと思わされるほどいつどこで起きてもおかしくない島であることを、つくづくつくづく思い知らされる。それなのに、3.11から7年で早くもポツポツ原発はしれーっと再稼働しているし、海外への売り込みにも相変わらず精を出している。正気の沙汰とはとても思えない。こんなどさくさの中で記者会見して、安倍晋三と会った記憶も記録もありませぇ~んと、やはりしれ~っと言いのけた加計理事長も原発並の軽薄さと図々しさと恥知らずと傲慢さである。そんな軽薄と図々しさと恥知らずと傲慢がこの国を、この世界を動かす原理となってしまっているのかと思うと、ますます一人の自由でもってその原理をテッテ的に否定して生き延びてやろうという気がマンチクリンになって来る。

3.11の1か月後から唄い出した「廃炉!」という歌を、今年くらいからまたこれまでとは違った心持でライブで唄うようになった。さらに自分自身の重心を低くして「廃炉!」という言葉を、空に巻き散らすようにではなくもっと地を這い根元を狙い撃つような気持ちと唄い方で唄いたくなったのだ。これからもしぶとくしぶとく「廃炉!」を唄って行きたい。

今回、地震で倒壊した塀の下敷きになって亡くなった方が居て、塀の設置が建築基準法に反していたことも報道され、殊に学校周囲の塀などの設置状態のチェックを全国に促したという。宮城県気仙沼市出身の旧友Oによれば、子どもの頃体験した宮城県沖地震で塀の倒壊により18名が下敷きになって亡くなり、以来かの地では「揺れると人はモノにすがりたくなる…だけど塀や建物からは離れなさい」と教えられてきたとのこと。宮城県沖地震での犠牲の後に建築基準法も改正されたのだが、その徹底はされていなかったということなのだろう。高槻市の発表を生かすことが、震災から学ぶことに他ならない。それからいってもやはり、福島第一原発事故後の原発維持と再稼働は学びを無視した行為であり、いくつかの復興事業もまた疑問を呈さざるを得ない。
そんな命を守るための学びを怠った結果が、今のこの国のシステムの根幹を成しているとしか思えないことばかり。地震だらけの島で生きていることを、ゆめゆめ忘れまいと思う。

関西のみなさんにお見舞い申し上げます。

今宵のBGMは、ボブ・ディランの81年発表の「ショット・オブ・ラブ」。
BGドリンクはトマトジュースでした。ではまた、ロケンロール!

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ロケンロールライフ910 

2018/06/17
Sun. 23:18

昨日はソウブラ御用達の森田家レコーディングスタジオにて、無事5曲森田君のリードギター録りを済ませ、その後うめちゃん、ちきんベース君も合流していつものように充実の?打ち上げを深夜まで楽しんで帰宅(FB上で、森田君がレコーディングの様子写真をUP。写真で見ると改めて森田君の部屋の拓郎爆裂ぶりが分かる(笑))。

そんな翌日のぼくの過ごし方と言えば、森歩きと銭湯ヘルスよしののゴールデンコース以外にあり得ない(笑)。
川崎市多摩区に住んで25年、この間2回引っ越したが、ぼくはずっとこの地域の森と森を繋ぐ“多摩自然遊歩道”のそばに住んで来た。そして、多摩自然遊歩道こそがぼくを森へと誘った入り口でありその名の通り森の道であった。

多摩自然遊歩道とは、この地域の遊歩道第一号である“多摩自然遊歩道”と、第二号“菅北浦緑地遊歩道”、第三号“東生田自然遊歩道”からなる総称である。母ちゃんと結婚して初めて住んだアパートは多摩自然遊歩道の森に面した所に在り、二人で本当に良く散歩したものだ(「多摩自然遊歩道便り」という歌にもした)。取り壊しによる立ち退きで引っ越した先の平屋の借家も遊歩道のそばであり、現在住んでいる団地は、黒沢明監督の「七人の侍」や「蜘蛛の巣城」のロケ地にもなった菅北浦緑地が近く、団地と繋がるまほろばの森を含んだ東生田自然遊歩道のまさにコース上にある。

東生田自然遊歩道は3コースの中で一番長く、全6.5kmあってぼくはその西約半分のコースを気ままに歩いては、ちょうどゴールでもスタート地点でもある小田急読売ランド前駅に出てヘルスよしので汗を流しているのだが、先週の土曜日の午後、ついに一念発起していまだ未踏破の東生田自然遊歩道の東半分、生田緑地のある向ヶ丘遊園駅へと続く道を標識頼りにやはり風呂道具を持って一人歩いた。なぜ風呂道具持参かと言うと、我が地域歩きのバイブルでもある、自然遊歩道設置に尽力した地元共産党元川崎市議の市村護郎氏著のその名も「自然遊歩道物語」(2001年出版委員会発行)によれば、東生田自然遊歩道の古墳群でもある森をちょうど降りた地点に、先日免許証の書き換えに多摩警察に行った帰りに念願かなって入湯した生田浴場があると書いてあるのだ。なので、まるで浮気をしてヘルスよしのに内緒でこっそり愛人に逢いに行くかのようなそそくさとした気持ちで、ポイントごとに立つ案内を頼りに、時折集合住宅の細い路地や階段も混じる東生田自然遊歩道を歩いた。暑かったせいもあるが、このコースはそれ以外のコースに増してなかなか歩きでがあり、アップダウンもけっこうキツイ。ゴールに風呂が待つから良いが、帰りも同じルートを歩くと夏場はせっかくの風呂上りにまた汗だくになっちまうこと必定だ。

それでも初めて歩く森の道は新鮮で楽しく、特に東生田自然遊歩道は地元の小学校の教育の一環として保全活動もしているようで、遊歩道の要所要所に可愛い小学生の書いたお手製の標識や植生紹介があってほっこりする。
そして、車からも見える根岸稲荷を過ぎて歩道橋を渡った先に、これまで歩いた森でついぞ遭遇したことないほど広大な竹林へと遊歩道は続く。歩けど歩けど真っ直ぐな竹林が続き何とも圧倒的かつ幻想的な心持にさせる。敷き詰められた竹の葉にすべって何度かこけそうになりながら、道を下って行くとちょっとした休憩場&広場があって、案内板を読むとこの竹林と山がいわゆる7世紀から8世紀に築かれた5基の円墳からなる根岸古墳群であることを知る。

「へぇ~」と独り言言いながらさらに遊歩道を降りると、突然住宅地に降り立ちキツネにつままれたような気持ちで道なりに歩けば、まさに目の前に現れたのはあの激渋風情マンチクリンの生田浴場であった。古墳でもある広大な竹林遊歩道を降り立った所に銭湯なんてあまりに出来すぎている。ぼくのような森と銭湯を愛する人間を泣かすために作られたルートとしか言いようがない。
本当に泣きそうに感動しながら、生田浴場の熱めなのに肌に優しい軟水のいつまでも入っていたい湯に、お爺ちゃんたちと同じ風景に収まって汗を流し至福の夕方を過ごした。とうとうぼくは、団地から好きな森を歩いてたどり着ける銭湯を2カ所も確保してしまった。けれど、ここに誓って言うがアタシの本妻はあくまでヘルスよしのであることに変わりはない。

最後に、なぜ我が多摩区の森に遊歩道が多いのかだが、先述の歴史的自費出版名著「自然遊歩道物語」によれば、ほぼ私有地である森は開発業者に容易に買い取られてしまう場合が多く、70年代から80年代にかけての市村議員ら市民たちの自然を守る運動の中で、市に働きかけて遊歩道分の土地を買い取らせ公道である遊歩道を森の中に設置することで、開発業者から森のこれ以上の破壊を守った証なのであった。遊歩道がない森はどうなったかは、隣接する稲城市側の同じ多摩丘陵(もちろん希少なタマノカンアオイが群生している)のかつて森であった所を見れば悲しく否が応でも分かる。無残に森と丘陵を崩し今もマンション建設工事が続いているのだ。
ぼくをこの土地に住まわせ愛着を持たせ続け、森へと、街の小さな銭湯へと導いてくれた多摩自然遊歩道は、この街を自然破壊から守ったシンボルでもあった。にしてはとても地味で静かな自然のシンボル。ぼくはそれをこよなく愛し、飽くことなく憧れ、この世界を良い方に変えて行く道しるべにし続けるだろう。もちろんこの遊歩道を歩き続けて。

今宵のBGMは、ピーターバラカン氏DJのバラカンビート録音音源。BG酒はトリスクラシックをストレートでチビリ。
ではまた、ロケンロール!

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2018-07