周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

ロケンロールライフ649 

2016/02/28
Sun. 21:32

27日は、昼から明治大学生田キャンパス内の登戸研究所資料館へ、事前申込みをしていた山田朗館長の展示説明会に参加する。

早い時間のライブがなければ、土曜日はたいてい昼過ぎまでコーヒー飲みながらラジオを聴き新聞を読んでいる父が、いそいそと出かける準備をしているのを見て、最近期末試験が終わったばかりの長女が「大人は自分の好きな勉強が出来て良いね」と言って来る。「うむ、大人になるって良いぞ」と応えると、「でも、白髪になるのはいやだ」と言われ「大人になれば気にならんぞ」と説得力のない返事をして出かけた。

限定20名の説明会には、定員いっぱいと思われる参加者が集まり、ざっと見たところ3分の2がぼくより年配者で3分の1が同世代かさらに若い人たちと見た。中には学生らしい若人も数人居た。
先日山田館長の講演を聴き、その語り口と内容の豊かさ面白さにすっかり魅了され、より小規模で館長の話もさらにじっくり聴けるこの機会を逃してなるものかと思っていたのでとっても楽しみにしていた。果たして、いつも一人で観て歩いている展示資料が館長の話を聴きながらだとその10倍は深く読み込め理解出来た気がした。話を聴きながら何度も唸りそして苦笑した。

特に印象に残ったのは、登戸研究所を語るのに外せない風船爆弾の開発と使用について。その原料となった和紙は人間国宝級の紙漉きの腕前が無いと爆弾に使用出来る薄くて丈夫で軽い和紙は漉けなかったこと。そしてその和紙をこんにゃく糊で五重にして貼りつける作業(通常のでんぷん糊は水溶性なので、アメリカ大陸に到着するまでの風雨に耐えられない)を、各地の学校の講堂で女学生が担い、直径10メートルもの風船爆弾を10000発も造ったこと(飛ばしたのは約9300発)。しかし浮力を維持するために35kgの爆弾しか搭載できなかったこと(東京大空襲時のB29の投下した焼夷弾は200kg級)。当時1機5万円した零戦と比べ風船爆弾は1機1万円もしたこと。どこに着弾するかまさに風任せの爆弾であったこと。偏西風頼みだったので冬季しか飛ばせず、冬の北米大陸に投下する焼夷弾はそれこそ何も焼き尽くせなかっただろうこと。館長は技術としては相当優れていたが、兵器としては失敗作と断言されたが、それを聴く参加者の誰一人異議のあろうはずもない。唯一オレゴン州でピクニック中の家族が誤って風船爆弾に触れて爆発し6人死亡した事実が分かっているが、日本でも打ち上げ失敗の誤爆でちょうど同じ6人が死んでいるとのこと。本当に馬鹿らしい。あの戦争はバカとしか言いようがない。あの戦争の事実を知れば知るほど、日本は大真面目にバカで阿呆でどうにも救いがたい。情けなくて涙が出て来る。では、果たして現在は無残な敗戦を経て利口になったのか?北朝鮮が時たま打ち上げる弾頭を搭載していないロケット(衛星)をミサイルと言い募り、迎撃兵器に毎年兆を超える金を赤字大国のくせに注ぎ込んでいる2016年のニッポンはまともなのか?ぼくには同じにしか見えない。何にも変わっちゃいない。

今期の登戸研究所資料館の企画展の目玉は、敗戦時と敗戦後の登戸研究所について。
ぼくにとっても大きな関心の的であり、今後研究が進みその全貌が少しでも明らかになって欲しいのが、上陸した米軍を迎え撃つべく準備されていた本土最終決戦のこと。長野の松代大本営に天皇と軍と政権中枢を移し、地上で細菌をや化学兵器をばら撒き米軍と共に日本国民を殲滅させる本土最終決戦は、実際に行われようとしていた(長野に疎開した登戸研究所の面々は、天竜川付近で毒ガス実験をやり、水のキレイなかの地でたくさんのろ過装置を貯蔵していた)。そして、本土最終決戦で守ろうとしたものこそが、あの戦争が何のためであったかの真の目的でもあるのだ。

それともう一つは敗戦後、戦犯を米軍によって免除され今度は米軍に利用された元登戸研究所の科学者や技術者たち。彼らが雇われた朝鮮戦争時に横須賀に設置されたGPSO(米軍の特殊印刷局の意らしい)の実態について、資料館の人たちが調べそのあった場所と関わった元登戸研究所所員の証言を得たのだが、何と米軍から元研究所所員は証言しない事を誓約させられていたという。館長の「まだ秘密戦は終わってないんです」という説明にぼくは背筋が冷たくなった。70年以上も前の戦時中に登戸研究所で働いていた科学者技術者は、その命が尽きるまで時に日本国、そして敵国だった米国に監視され口止めされ続ける人生なのだ。

米軍がそこまでかん口令を敷くGPSOで実際やっていたのは、やはり偽札つくりに偽造パスポート造り等対共産圏への秘密戦への協力だった(資料館は匿名で今回証言を得た)。

あっという間の1時間余り。館長の説明は素晴らしく分かりやすくぼくの胸に落ちた。この小さな資料館が明らかにし続ける戦争における日本人の加害の歴史は、左右思想の違いなく解釈のしようのない事実であり戦争の真実だ。次年度学長が変わり、この資料館に対する学内での風当たりが心配もされるが、沖縄の磨文仁の丘の平和資料館と並び日本人の加害の歴史を証明し伝える貴重なこの場所は、守り続けて行かねばならない貴重な戦争遺産だ。

その後明治大学の学食麺コーナーでたぬきそば大盛り(300円!)を食してから、吉祥寺へと向かい、三鷹バイユーゲイト10周年フェスを観る。長丁場5時間があっという間に思わせる総勢11組の出演バンドのパフォーマンスの素晴らしさと音楽の豊かさにしびれっ放しであった。それぞれの個性が際立っているが、それでもやはりバイユーゲイトならではとしか言い様のないミュージシャン達であった。終演後は3人ソウブラで吉祥寺のろへ。ここに来て正直やっと一息つけた。

深夜の帰りの電車でふと、今日の一日が25年以上前の沖縄滞在時、くわえさんや親友Aに日中戦跡や平和資料館を案内してもらった後で(それとも別の日であったか?)、浜辺の野外フェスに連れて行ってもらい浴びるほどに沖縄ならではの音楽を聴きまくった日々と似ていることを思い出した。戦争の傷跡や歴史も最高の音楽もすべて同じ日常の中に在る。くわえさんから送ってもらっているDVD「辺野古のたたかい」には、生活の中に闘いが在る沖縄の現在が鮮明に映されている。歴史と共に生き明日を切り開いて行くということをいつも考えさせる。無関心で生きられるということは、実は不自然に操作された生活なのだ。

今日の夕方はヘルスよしので、川崎市浴場組合連合会ロゴ入りのタオルをもらった。
うれしかった。

今宵のBGMはインターFMのバラカンビート。
BG酒はコープ仕様の金麦でした。ではまた、ロケンロール!
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