周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

ロケンロールライフ646 

2016/02/22
Mon. 23:18

週末にDVDで借りて観た映画の衝撃が消えない。

息子のための仮面ライダー旧2号と共に、何気なく手に取りそのモノクロ写真と“地の群れ”というタイトルにひかれて全く予備知識なしに借りた映画だったが、冒頭ねずみの群れに入った一羽の鶏がやがてネズミに喰われ、肉といい内臓といい食いちぎられ、最後はその両者の居る箱に火が放たれすべて丸焼けにされるという生々しすぎるシーン(白黒でまだ助かった)から目を背けたくなりながらも釘づけにされ、それから2時間画面から1秒たりとも目が離せなかった。

焼かれたネズミと鶏は、直に映画の舞台となった長崎に投下された原爆の暗喩と分かったが、この映画はいわゆる原爆映画ではない。言うならば日本人(原爆を落としたアメリカも含むがそれはこの映画において前面には出てこない)の加害性をこれでもかと暴き出し、責任の所在を観る者に暗たんと考えさせ安易に答えを出させない映画だ。その加害責任とは、朝鮮人差別、部落差別、被爆者差別であり、それらが敵対しさらに差別し合う。それを高みから差別する傍観者たる市井の民はなす術なく何の解決にも動け(か)ない。警察も宗教も(そして左翼運動も)役に立たない。
それらのあまりに悲惨な、けれど説得力のある(つまり、日本人ならやったはずだ。絶対にニッポンで起きた事だという事実)物語を、重厚な演技の俳優陣が見事過ぎるほどに演じる。特に主役であろうと思われる鈴木瑞穂(かつて炭鉱で働いていた時、朝鮮人女性を妊娠させ自死に追い込み、過去を捨て長崎で医師を目指すも被爆、自身も被差別部落出身と知り社会変革をめざし共産党に入党するが党活動に挫折し、過去に苛まれながらアルコールに依存し妻と心を通わせられないまま町医者をやっている)の演技は素晴らしい。救いようのない苦悩と赦されることのない罪を、抑えた演技で見事に演じている。

しかし、その他出演者たちもまったく引けを取らずにすごい。被爆者集落に住む青年に、部落民と差別され強姦された徳子という少女(紀比呂子)が一人被爆者集落に乗り込み青年の父親(宇野重吉)に抗議するも拒絶され、次に彼女の母親(北林谷栄)が乗り込み宇野重吉と互いを差別し罵り合うシーンはあまりに痛ましく、やがて母親に向けて暗がりから無言で飛んでくる石礫(最後は投げられたトタン板で首を切られ母親は死ぬ)は、この国の陰湿な暴力を象徴して余りある。

ラストは、当初強姦容疑をかけられた被爆者集落に住む信夫という青年(徳子と心を通わせそうになるが、徳子の母親に集落の他の仲間と共に石を投げつけてしまう)が、今度は徳子の母親殺しの容疑をかけられ逃走するシーンで終わるのだが、信夫は集落を出て、復讐しようと待ち構えていた部落の人たちを何とかかわし、米軍基地へ入り込むが追い出され最後に走り着くのが新築のマンモス団地。この映画が作られたのは1970年でぼくの住んでいる団地が建てられたのと同じ年。今では古びた昭和のレトロな団地として比較的低所得層が住んでいるが、当時は最先端の憧れの的として入居希望しても入れなかった人がたくさん居たと聞く。この映画のラストで唐突に登場して来た団地は、まさにそんな富と洗練された暮らしの象徴として描かれ、追われてフラフラと団地内に入り込んで来た信夫青年を、青空の下(白黒だが)清潔感漂わせた主婦たちが、集団で編み物をしながらうすら笑いを浮かべて見ているのだ。
それまでこの映画に出て来た家屋は、木製の船内を改造した水面に浮かぶあばら家だったり、トタン屋根が並ぶ平屋の集落であったり、せいぜい鈴木瑞穂演じる町医者の家屋が平屋だけれどマシな造りであるくらいで、長崎の街の風景もまだどこか戦後日の浅いことを画面から匂わせていた。
この映画、時代設定が少々前後しているが(本当は1960年頃だろう)、ぼくの生まれた1969年頃はまだ戦後24年でありまだまだ古い安普請の家屋や集落はたくさん残っていて、そこに忽然と巨大な団地群が建ち出したのは確かにこれまでの戦争後の風景を一変させたのだろうと想像させる。

ぼくはこの「地の群れ」という46年前のモノクロ映画を観て、なぜか今年の1月に施設の映画鑑賞行事で観た同じ長崎が舞台の山田洋次監督の「母と暮らせば」を思い出した。
悪い映画ではなかったが、この映画には決定的に何かが欠けていると思えてならなかった。その欠けているものはとても重要で、それが欠けているばかりにこの映画はただの「良い映画」で終わってしまっていると感じていた。竹内浩三をモデルにしたと言って嵐のメンバーを浩二という名前で登場させても、ただ残念な気持ちになるだけだった。竹内浩三が書いたであろう戦争がこの映画には描かれていない気がした。そして、「母と暮らせば」に決定的に欠けていたものが、1970年に熊井啓監督が撮ったモノクロのCGの一つも使われていない、アテレコのノイズもはなはだしい「地の群れ」にこれでもかと言うほど盛り込まれていたのだ。

とにかくものすごい映画を観てしまった。生涯折に触れぼくはこの映画の場面を思い出すことだろう。
そして、この「地の群れ」のような映画は絶対に現代では作ることが出来ないと思えてしまうことで、ぼくはやはり現代がとても窮屈でさらに生き方も表現も画一化され委縮した時代になっていることを知って愕然ともするのだ。日本人は、かつてよりさらに安易な情緒を頼りに体制も反体制も、好戦も反戦も同調しようという傾向が強まっているのではないか。また逆に、かつてこのような冒頭からラストまで観る者(日本人)を問い続ける(そしてそのことに成功している)優れた映画が作られながら、こんな風(ニッポン)になってしまったとも言えるかもしれない。
でもよくぞこれをDVD化してくれたと思う。

今宵のBGMは、ニール・ヤングwithクレイジー・ホースの「アメリカーナ」。
BGドリンクはトマトジュースでした。ではまた、ロケンロール!
スポンサーサイト

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

この記事に対するコメント

page top

コメントの投稿

Secret

page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://soulbrothers.blog137.fc2.com/tb.php/992-15087866
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

page top

2017-08