周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

ロケンロールライフ627 

2015/12/26
Sat. 23:18

昨夜は職場の忘年会で大いに呑んで楽しく語って帰宅。

同じ法人のY工房と、ずっと親しくお付き合いしている区内M作業所の職員とで呑むのがもう20年来のうちらの忘年会。
これまで激動の福祉業界でお互い真に助け合って来た同士なので、仕事の延長のような組織立った忘年会ではないから、毎年心許せて楽しく呑める。今年は同志サカイさんの愛娘Yポンも初参加し、その母の良い所みんな引き継いだ愛くるしさに思わずブチューッとチューしたくなるのをおっさん必死にこらえておりました。

今日は長女の陸上部の朝練が急きょ中止になったので、招待券をいただいていた近所の生田緑地内にある岡本太郎美術館で開催中の、“岡本太郎と中村正義「東京店」太郎×正義日本の美術界に挑む!”展を家族みんなで観に行く。

このブログで何度も書いているけれど、我が家は20年来やはり近所にある中村正義美術館に通っていて、みんな中村正義の絵のファン。この自宅アトリエを改装した小さな美術館が近くにあることも、ぼくがこの街を愛し住み続ける理由の一つである。

岡本太郎は、中村正義が発起人であり実現を目指していた、日展や院展のような国家権力に庇護されたものではない自由、自主独立な展覧会「東京展」に協力し実際に作品も出展した。
当時在野の展覧会(要するに権力におもねらない展覧会)を開催させてくれなかった東京都美術館で、中村正義は何としても反権威、反権力の東京展を開催すべく、病に蝕まれた身体に鞭打って都議会に訴え市民会議を発足させ、「顔となる人が必要」との判断で売れっ子であった岡本太郎に協力を依頼した経緯があったという。

二人に共通しているのは、ぼくから見ると孤高の画家という一点で、もちろん反権力という点でも共通点はあるかもしれないが、その質は大きく違っているようにぼくには思える。岡本太郎はかなり自覚的に「時代と寝た」画家であり、中村正義はまさに自覚的に「時代と刺し違えた画家」であったと思う。そんな二人の画家の作品を多数一堂に並べて、企画もVSと銘打つのだから、個人的に岡本太郎だけを観るために岡本太郎美術館には行かないだろうぼくも、この実にプロレス的な対決は観たくてワクワクして出かけた。

開館したばかりの時に、一度行ったきりの岡本太郎美術館はとにかく立派である。娘さんである館長さんがいつも迎えてくれる小さな正義美術館に慣れ親しんでいる我が家のみんなは(娘は学校行事で岡本太郎美術館を訪れている)、その違いに驚く。何だか豪華すぎてぼくには居心地良いとは思えない。「反権威、反権力ね~」と思わずつぶやく。
母ちゃんは、息子がチョロチョロ動くたびに随所に居る館内のスタッフが立ち上がって息子の挙動に注目するので、気が気でなくゆっくり観られなかったという。もちろん息子も騒ぐわけでも駆け回るわけでもない。いつもの正義美術館でのように気になる作品の前に自分で小走りに近付きジッと見たり、ここでは迷路のような建物の構造そのもので楽しんでいるだけなのだが。

ぼくは相変わらず独り後からゆっくり観ながら行く。と言っても、申し訳ないが岡本太郎の作品はしばらく観ると正直飽きてしまい、自然とスル―がちに進み早くVSコーナーにならないかなぁと先を急いだ。果たして企画展は最後の方にあった。まずこれだけ大きい美術館ならではの、ふだん正義美術館では観られない大型の作品がたくさん展示されていてうれしかった。特に4年前の練馬区立美術館で観た以来の初期作品である大きな「夕陽」(1949)が目に飛び込んできた時は、練馬の時と同じように涙があふれて来た。
広大な田園風景の空を赤く染める夕陽を、こんなに美しく懐かしく哀しく描いた絵は観たことが無い。これだけでも来て良かった。

そんな風に大型の絵を中心に、両雄の作品が時には交互に時には向き合うように展示されている様は確かに圧巻であった。これだけの空間がなければこのような展示は出来ない。大きな美術館もやはりあってもらわなければ困るわけだ。
そんな岡本太郎美術館に敬意を抱きつつも、作品を観比べるとやはりその魅力の差はぼくには歴然として見えた。
岡本太郎の作品はある意味一貫している。尖がったりくねったりし続け、JR発足の記念コインをデザインしたりマクセルのビデオカセットCMで爆発したりしたけれど基本はそれだ。そこに人生の機微や闘争の緊張感や危険な挑発を正義の作品のようには感じないのだった。爆発と叫び常識からの跳躍を熱く語ってはいたが、どれも岡本太郎と言うキャラクターの予定調和内に思えてならなかった。ゆえに、岡本太郎の巨大な絵はハリボテ渋谷駅に実に良く似合う。

片や正義の画力の確かさと、それを自らぶち壊しながら変遷する画風はやはり圧巻で、そこに時代と寝ない潔さと哀しみ(ブルーズ)が観る側に突き刺さって来る。が、正義の絵はどこまでも「生」を肯定する。
久しぶりに大壁面にズラッと並んだ代表作群である「顔」の絵を観たら、20年近く前に初めて観た時と同じく、ぼくが日々仕事で接している精神障がい者たちの顔と重なって見えた。それはとても具体的に一つ一つの顔の絵に施設の利用者たちの顔が重なるのだ。「嫌だなぁ。こんな時にまで仕事の事など考えたくない」と思うのだが、それでもジッとその顔達を見つめていると、様々な問題を抱え続け生きている彼らを、時に絶望的な気持ちで苛んでしまう自分の心がスーッと軽くなって行き、その顔一つ一つがなぜかどこか愛おしくも思えて来るのだ。苦悩と共に生きる。それに自覚的でも無自覚であっても生は肯定される。中村正義の絵は、ここ巨大な岡本太郎美術館において、圧倒的なパワーを発していた。

美術館を出るとお決まりの民家園を見学した。冬のここはとにかく空気が澄んで清々しい。古民家の匂いが懐かしく心地良い。
「今年も何とか冬の一時金出せたから、好きなもの食え!」と子どもたちに得意げに言い放ち、民家園内の合掌つくりの古民家地粉そば屋で、たぬきそばやらカレーそば、ざるそば等をみんなで美味しく食べた。

結局午後中生田緑地で遊んだ。ここがあることもやはりこの街を愛し住み続けている理由の一つである。長女は明日も生田緑地に陸上部で走りに来ると言う。カレーそばだけでは足らず、民家園を出てからサンドウィッチも食した食べ盛りの娘が眩しくて父はただ「食べりん食べりん」と言うばかり。いやぁ、ホンと一時金出せて助かった。美術館も招待券いただけてホンと助かった~。

家族みんなで良いモノを観た一日であった。

今宵のBGMは、スティーヴ・アールの2005年のライブ盤「ライブ・アット・モントルー」。昨夜も深夜遅くまでユーチューヴでスティーヴ・アールのサムピック奏法を研究し、今日も1時間以上部屋で練習した。だいぶいろんな曲のパターンに対応できるようになって来た。親指だけでバラ~ンと鳴らすのと軽く人差し指で押さえてカッティングするのを自在に組み合わせられるようになれば、完全にサムピックのみで行けるかもしれない。練習あるのみ。大晦日の新宿中央公園でやってみるか~。

BG酒はクリスマスプレゼントでもらったキリンの一番搾りでした。やっぱビールはコクが違います。
ではまた、ロケンロール!
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