周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

東北記⑥ 

2015/09/11
Fri. 23:57

現在のジャズタイムジョニーは、仮設の陸前高田市役所先の少し高台にある4軒続きのやはり仮設店舗のうちの1店(元々の店は市の中心部にあったが、津波で流されてしまった)。ジョニーでは、ぼくらの師匠である豊田勇造さんが75年の開店直後からほぼ毎年ライブをし続けていて、震災後も“東日本ファン支援ライブプロジェクト「さぁ、もういっぺん」”と銘打ったフリーライブを毎年続けている(今年は9月24日)。そんな師匠も歌い続けて来たお店でライブが出来ることは、ぼくらにとって夢の実現に他ならない。
旧友O山にとっても、ジョニーは10代の頃から憧れの店であり「大人になったら絶対行きたい」(と言うくらい大人の雰囲気マンチクリンのお店だったのだろう)と思っていたそうだ。

店内ではすでに、今日(8月29日)共演する地元のバンド“ヒロボーズ”のメンバーが機材のセッティングをしていた。
それぞれ自己紹介をして、音が出せるまで時間があるので外で楽器をいじったりしながらのんびり過ごす。雨も上がり、しだいに晴れ間がのぞいて来た。ライブで割と悪天候にたたられることの多いソウブラにしては珍しく、気持ちも上がって来る。
当初は野外で歌おうかという話だったけれど、微妙な天気ゆえ演奏者は店内でライブをすることにして、店の扉を取っ払って開放し、外にもイスを並べ雨よけ用のテントを建てるという、手作りのスペシャルなライブ会場が作られる。

今回共演だけでなく、機材も提供していただいてこのライブの形態を考えてくれたヒロボーズのリーダーOさんとようやく対面出来、外でしばし立ち話。Oさんはかなりの腕前のドラマーであり(震災後ジョニーに歌いに来たあのベン・E・キングとも共演!している)、旧友Oとは共にJDFいわて支援センターで働いていた同僚であり、ジョニーのママさんとは40年前にジョニーが開店する前からのお付き合い!という方で、その風貌語り口からも生粋の陸前高田の人を感じる。そして何よりこれからの陸前高田のことを、被災しながらも普通に暮らしを営んで行きたい市民、災害弱者と言われる人たちの目線で思い、その普通の暮らしに、音楽やそれを通して生まれるものが欠かせないと確信している人だと強く感じた。

そんなOさんと「楽しくやりたいね」という話になって、今日は会場の雰囲気からして夏(の終わり)フェスみたいな開放的な感じでやろうという気持ちになった。夏の終わりの仮設店舗でのライブフェス、そして“再会の夜in陸前高田ジャズタイムジョニー”というライブタイトル。何だかそれだけで胸がキュンとなって来る。ここに自分が居て歌えることがうれしくなって来る。

ライブの時間が近づいて来ると、車で来る人、BRT(震災で鉄道が不通になったため、替わりにかつての鉄道路線に沿って走っているバスのこと)を利用して来る人たちがぞろぞろとジョニーに集まって来る(多くがヒロボーズさんのお知り合いの地元の方たち)。辺りは暗く周囲には人気もそれほど無い中、ジョニーだけが賑わっていてそれはまるで夜の幻燈会のようなどことなく不思議でほっこりする光景であった。

この日のライブの流れは、一部ソウブラが自己紹介兼ねて短めにやって二部ヒロボーズさん、そして三部に再度ソウブラが一部より長めに歌うという感じ。
開園時間の18:30を過ぎ、厨房のママさんのGOサインをいただいてまずはソウブラが4曲(・残された場所で・新しい日々・解放の歌・再会の夜に)を歌う。この前のブログで書いたように、跡形もなく消え去った陸前高田の街を見た後で“わずかに残された場所で 集い語り合えば 今はもう奪われた景色が見えて来る”とか“この道行くのやめて歩き直そう やり直すことも出来ないほど奪われいないなら”というような歌詞を歌うのは、その言葉の重さがズシンと自分の身体に打ち込まれるような感覚を味わう。バンドのおかげで、ビートに乗ることで口ごもりそうになるのを乗り切ることが出来た。
お客さん達はうれしいことに手拍子してくれたり、外の暗がりではチューヴ状の光りモノ(名前忘れた)を振ったりしてノッてくれる。ぼくは思わず「ホントに夏フェスみたい!」と合間のMCで言った。

一部の最後に、このライブのタイトルにもなったO山との20年ぶりの再会のことを歌った「再会の夜に」を歌う。この歌をここでO山に聴いてもらうことが、ぼくにとって(きっと他のメンバーにとっても)今回の東北ライブの一番の願いであり目的であった。思わず気持ちが溢れそうになるのを抑えながら、大事にやわらかく思いを込めて歌えたと思う。
打ち上げの時に聞いた話では、この歌が終わった後でO山は外で泣いていたという。ぼくはまったく気付かなかったのだが(他のメンバーが目撃し、そっとしておいてやれば良いものを「泣いちゃったか~」なんて声かけたらしい)、それを聞いてぼくまで泣きそうになった。たぶん現場に居たら一緒に泣いてしまっただろう。

ヒロボーズのステージは、楽しく懐かしい昭和歌謡の名曲を会場のみんなと一緒に歌いながら親密で温かな空間を作って行く。ぼくも外で体を揺らしながら時に口ずさんで楽しむ。隣では10代の女の子たちが携帯電話をテーブルに置いて、蛍光チューヴを振りながら彼女たちが生まれていなかった時代の流行歌に合わせて楽しそうに踊っている。他の仮設店舗はみな閉まって外は闇、その中で携帯電話を置いて踊る女子たちはとってもステキに見えた(この子たちは最後までライブを楽しんでくれた)。

三部のぼくらのステージは、まず竹内浩三詩を3曲(・三ツ星さん・日本が見えない・骨のうたう)歌う。竹内の詩もやはり陸前高田で歌うとまたいつも以上にいろいろな思いが込み上げて来る。しんみりと歌った後で、前日に続いてさいたまの江上さんを紹介して「抵抗の歌」に突入。江上さん登場の仕方ももう慣れたもので、踊るようにステージに現れてキメのポーズをしてくれる。お客さん達もみなさんすぐに一緒にやってくれてこれまたフェスらしい(笑)一体感に包まれた。江上さん、東北でばっちりダンサーとして大活躍、お疲れ様でした!

次の「そこからロック」からは、大学時代ソウブラのちきんベース君のバンドでベースを弾いていたO山にもぶっつけ本番でベースを弾いてもらって、ちきんベース君とダブルベースで共演する。
登場前に外でストラップが外れてベースを落としてしまうアクシデントに見舞われたと言うが、なかなかどうして良いグルーヴ出してベースを弾いてくれる。忙しい中無茶ぶりしてしまったが、どうしても一緒に音を合わせたかった。
調子に乗ったぼくは、さらに次のラストの曲「結風」でヒロボーズのドラマーOさんに共演をお願いして呼び出し、急きょドラムを叩いてもらうことに。どんな曲なのかまったく知らないOさんに、ぼくが「こんな感じです」と言いながらギターで曲のパターンを何回か繰り返し弾くと、Oさんの握ったスティックが唸り、ビタッととってもカッコイイロッキンビートでドラムを入れて来たのを合図に全員音を合わせて曲が始まった。ぼくがドラムセットをバックに歌ったのは、それこそ大学時代以来20数年ぶりだ。ツインベースにドラムも入ってビッグバンド編成で歌う「結風」は気持ち良かった~!今でも思い出すとあの時のOさんの叩くロックビート(御年64とのことだが、メチャクチャパワフル)が蘇り興奮して来る。
Oさん無茶ぶりに応えていただき本当にありがとうございました。最高のドラムでした!

ビッグバンドで燃え尽きた後、うれしいアンコールをいただき「最前列でゆっくり聴きたい」というO山を前に、ソウブラだけで「ONE GUITAR」を歌って、この夜の陸前高田ジョニー2015年夏の終わりのフェスは終わった。陸前高田での再会の夜は、再会だけでなく新たなうれしい出会いの夜になった。ライブも終演後も笑顔が絶えないジョニーだった。出演者もお客さんもみんな笑顔だった。そしてジョニーを思い出すと、ママさんの柔らかい笑顔を思い出す。ジョニーというお店が愛されている理由、人が集う理由が何だか分かった気がした。
打ち上げの料理がどれも美味しくて忘られないが、中でもすいとんの味が今まで食べたことのない美味しさで、あの日のライブの思い出と共に強く残っている。陸前高田ジャズタイムジョニー、ありがとうございました!(つづく)
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