周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

東北記④ 

2015/09/07
Mon. 23:09

気仙沼駅でソウブラメンバーと江上さん、KさんSさん夫妻を迎えてくれた旧友O山は、職場の10人乗り送迎車を借りて来てくれていた。

荷物を積んでみんなで車に乗り込むと、O山はぼくに今日(8月29日)ライブをする陸前高田ジャズタイムジョニーさんへの入り時間を確認し、それまで少し時間があるので気仙沼と陸前高田を車で案内してくれると言う。もちろんこちらに異論のあるはずもない。

O山の運転で早速駅前の道を海岸線に向かって走ると、一見普通の街並に所々虫食いのように建物の無い空き地が現れ、やがて津波で1階部分が壊されたままの鉄筋の建物等も視界に入って来た。それはソウブラメンバーにとって写真や報道、ネット情報以外で初めて見る被災地の現実であり、ぼくが肉眼を通してそれを感じた衝撃は、月並だけれどやはり見るのと聞くのとは大違いというものであった。

旧友は運転しながら、自分の高校まで過ごした気仙沼の震災被害と自身の思いを語る。その話は、彼の東北なまりのある声音の穏やかさと相まってぼくの身の内に沁み込んで来る。それに身を委ねていると、時折ふとドキリとするような言葉が発せられこちらも思わず唸ってしまう。震災後4年半近くが過ぎて、海から数百メートルも陸に上げられた大型船などの姿はもはやないが、気仙沼も陸前高田同様津波で1000人以上の犠牲者を出した被災地であり、現在はかさ上げという、土砂を今までの土地の上に被せて固めて海抜を上げる作業が行われている。確かに震災後の地盤沈下の影響もあるのだろうが、海岸には海面すれすれの場所もある。
そんな海岸線に、宮城県はかさ上げとは別に5mを越える防潮堤を築くと決め、それは気仙沼市民の意向というわけではなく、防潮堤の効果についても疑問の声が上がっているという。一口に復興と言ってもどの目線に立ちどんな街づくりを目指すのかでまったくその方法や在り方は違って来る。O山の説明を聞きながら気仙沼市の複雑な様相を垣間見ただけでも、それは感じる。そしてそれは気仙沼市だけに当てはまることではない。ぼくの住む街や日本すべての行政単位に等しく言えることだろうと思う。

気仙沼市から車は隣の市であり、県境を越えた岩手県陸前高田市へと向かう。途中O山が震災前に息子と釣りに来たという浜辺の脇を通る。その頃も海岸に車を停める際は常に道路側に車体前方を向けて停め、すぐに発進して海から離れられるように注意していたという。そんな彼の話からは、この地域で暮らす人たちの日常に、当たり前として津波に対する備えがあったことが伺え驚く。それはぼくらの暮らす東京近辺では(首都直下型地震の発生を言われているのに)全く意識下に無い生活の心得であり、天災に対する危機意識だ。首都圏の人間はやはり自然をなめているのだろう。しかし、だからこそ余計に大震災の東北の被害の甚大さにいたたまれない気持ちになる。旧友の言葉からも“それなのに”という思いがにじむようだ。

陸前高田市へと続く道路は割と高台を走っているようだが、O山の話ではここまで津波は押し寄せて来たらしい。実際に身体感覚で自分の今居る場所と海から押し寄せる波を想像すると、恐怖心が湧いて来る。道路には津波の到達地点と避難距離の目安を示す標識があって、常に運転手に注意を促している。

しばらく走って(気仙沼から陸前高田までは車で30分程度)車は、広大な荒涼とした景色の所に出た。そこが最も津波の被害が大きかったかつての陸前高田市の中心部であり、これも報道で見覚えのある奇跡の一本松やひしゃげたままのユースホステルの建物が確認出来た。
道路脇のガソリンスタンドの看板上部には津波の到達点の印があり、一棟だけ残されている5階建て団地の5階あたりにもやはりここまで津波が来たという印がある。とにかくとんでもない津波の高さだ。そして、ぽつりぽつりとある震災遺構以外の周囲はぐるり見渡す限りの荒涼とした土地(街の跡)であり、その頭上を未来都市のパイプラインのようなベルトコンベアが幾本も走っており、山から運んで来た土砂をはき出しては山を造っている。その土砂をたくさんの重機がまいては踏みならしている。気仙沼とはかさ上げの規模が違うと感じた。
津波の高さが15mにもなった陸前高田市では11mのかさ上げをするという。海辺の街全体を11mもかさ上げする作業はちょっと想像を絶する。かさ上げをし終えてそこからようやく新しい街づくりとなるのだ。

空地の一角に車を停めて、O山はその奥まで続く草地の中にある一軒のプレハブ小屋を指して、そこが震災後彼が働いていた支援センターだったと教えてくれた。
ぼくは、彼が2012年から昨年末まで陸前高田を拠点にして働いていたJDF(日本障害フォーラム)いわて支援センターについて少しは知っているつもりだった。建物がプレハブ小屋であったことも。しかし、今原野のような草地の中に実際にポツンと建つ小屋を見て、ここから被災した障がい者の居住地を一軒一軒訪ねて生活の実情と必要とする支援を聞き取り、実際に移動の支援を行っていたのかと思うと、ただただ驚くばかり。がれきも今はほとんど片づけられているが、彼がここで働き出した3年前にはまだあったろうし、その光景はまだ惨状に近いものであったはずだ。現にセンターのプレハブ小屋の所まで、津波で流れ着いた生活用品等があったそうだ。

「ちょっと登るの大変だけれど、よく見渡せるところがあるから」と、旧友はすぐそばの神社の石段らしい所へぼくらを案内した。(つづく)


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