周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

この連休で、藤田幸雄著「父がいた幻のグライダー歩兵部隊」を読了した。

この本は、著者の父が第二次大戦時フィリピンに従軍し、全滅したと言われていた部隊の生き残りであり、その同じ部隊に竹内浩三が居たことが分かって、父の記憶を紐解きながら当時の記録や証言を息子である著者が調べ上げ、父と共に竹内浩三の送った日々を辿った労作である。

昨夏朝日新聞に掲載された、新発見の竹内浩三フィリピン派兵直前を含む2枚の写真は、この本の著者の父親が所蔵していたもので、部隊の集合写真として著者の父と竹内が一緒に納まっていた。
著者の父と竹内は個人的に親しかったわけではなかったようだが、同じ筑波のグライダー歩兵部隊に配属され、先発した船が撃沈された後、一緒に積み残され同じ船でフィリピンに向かい、上陸後は散り散りになって突撃、転進、敗走して行く果ての雑軍までほぼ共にしていたことに、それだけでたまらない気持ちにさせると共に激しく想像を掻き立てる。

著者の父は夜間の奇襲で大怪我を負うが一生を得て、行動を共にした友人の力も借りて敗戦まで生き延びたが、竹内は4月9日にバギオという街周辺の1000m級の高地で戦死したとされている。
8月15日の敗戦まであと4か月ちょっと。しかし、著書を読むと、前年の12月初旬に筑波を立った竹内たちの部隊がフィリピンに何とか上陸出来たのが、年末から翌年(昭和20年)の正月であり、その時すでにアメリカ軍の猛攻撃を受けて、その後は物資もなくまともな態勢も作れず、生れて初めて歩くルソン島を一か八かの決死奇襲攻撃をしかけながらウロウロする日々。それを、竹内は3ヶ月以上も生き延びたことが分かり、それを思うと、著者が書くようにあんな戦争に不向きな男が本当に良くここまで生きていたと思えて来て涙が止まらなくなった。と同時に、おそらく彼が彼の愛して止まない景色や場所、人をひたぶる望郷しながら、やはり彼の見た戦争を紙片かそれこそ詩に書いたように飯盒の底にでも書きつけていたはずだと思えてならなかった。そんな彼の姿が浮かんでならなかった。

竹内のフィリピンでの足取りは、稲泉蓮氏の著作「ぼくもいくさに征くのだけれど」で彼自身が現地を旅して辿っているのだが、彼の心の動きがメインで書かれているためか、読んでも竹内が本当にそこで戦争をさせられ殺されたということが今一つ伝わってこなかった。この著作自体が竹内浩三を通して自分の心の揺れを追っているので、逆に竹内浩三が引っ込んでしまう感じがぼくにはどうしてもしてしまう。

それがこの藤田氏の本では、実際に竹内のすぐそばに居た父の体験を客観的に実証しながら綴っているので、著者の主観は極力抑えられ逆に臨場感が増す。推論もいくつかの記録から読み込んでおり現実感がある。
少なくともこの本は、筑波日記以降記録が何も残っていない竹内浩三が、最期を迎えるまでに送った日々を初めて世に知らせてくれた貴重な記録であることは間違いない。ぼくはそのことに何よりも感謝したい気持ちでいっぱいになって本を閉じた。

最終章での、竹内の姪の孫にあたる男の子の話は、竹内を好きな人間にとっては本当に涙の止まらなくなるような話である。夕暮れのヒグラシの声が聴こえるベランダで読んだ時、ぼくは彼の詩だけでなく魂も生きていることを確かに感じた気がした。彼が生きていたということが本当に良かったと思え、やはりそれを殺した政治と国を軍隊を、ぼくはこれからも絶対に信用しないし許せないのだ。
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2017-06