周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

朗読劇“ ヒマラヤ杉は知っている”終了! 

2015/07/11
Sat. 22:56

それは、明治大学生田キャンパス内にある樹齢80年以上のヒマラヤ杉が見つめて来た川崎の多摩・登戸の歴史を語るという朗読劇。

話の中心は、かつてその場所に現在の明治大学の敷地以上に広大にあった旧陸軍登戸研究所で戦時中に行われていたこと。
90年代から、現存する当時のままの一部施設を保存し語り継ぐ活動を続けている保存会の活動に母ちゃんが参加するようになり、ぼくも長女と2年前に初めて資料館を訪れ、衝撃を受けたと共にこの資料館の在り方と活動の意義に共感して以来、企画展の度に訪れている。

そして母ちゃんが、保存会と登戸研究所資料館の共催で始めた団体の見学者向けのその朗読劇に、7人の朗読者の1人として出演し、その2回目の公演にあたる今日、ぼくにもその朗読劇にギターの生演奏で音楽を付けてほしいという依頼が来て参加して来た。

今のぼくには、現在の仕事をリタイアした後にぜひやりたいことが2つあり、1つは近所のまほろばの森の里山ボランティアで、もう1つはこの登戸研究所資料館の活動のお手伝いである。これはぜひとも実現させたい夢であり実現出来ると信じている夢でもある。定年退職(一応14年後)したら、ぼくは一切今の仕事である精神保健福祉の世界とは決別し、この2つの活動とライブ活動とで人生を全うしたいと熱望しているのだ(果たしてそれで食えるのかは不明)。

そんな風に常日頃考えているぼくだから、この依頼はうれしかった。しかし、本番までぼくがリハーサル出来る時間はない。
最低限の依頼は、劇中に70年前の子どもと現在の子どもが交互に歌う地元の民謡“多摩川音頭”を歌いやすいようにギターでアレンジして劇中で伴奏することと、やはり劇中で現代の子どもたちにロック風にされる“多摩川音頭”を作曲することであった。

楽譜の書けないぼくは、バンドのメンバーにしているように弾き語りでデモ音源を作り、それをみなさんに聴いてもらい当日まで練習してもらうという方法で行った。そして、朗読のバックで弾く曲はぶっつけ本番で行くしかないので、前日である昨夜、借りてきた前回の映像を見ながら一応何パターンかの曲を考えて臨んだ。

間接的ではあるが、初の両親共演を見てやろうと、午後から部活のあった(結局中止になったが)長女も含め子どもたちも全員伴って家から車で10分ほどの明治大学キャンパスへ。
夏の陽気も相まってかキャンパス内は広く光って眩しく、行き交う女子大生はさらに眩しい。時折デレデレとギャルたちを眺める父を、次女は「気持ち悪いんだよ!」とバッシバッシと容赦なくひっぱたく。

会場は、キャンパス内の南西の端に唯一現存する70年前当時の建物をそのまま資料館化した、登戸研究所資料館近くの講義棟の一教室。そして本日観劇する団体は、生協のパルシステムが企画した平和学習ワークショップに参加した親子40人強のみなさんと、保存会の方など市民併せて50人くらい。
マイクは使わず生音なので、本番前にギターと声の音量の調整を念入りにする。時間の都合で通しリハはやはり出来ない。
家の母ちゃんも含めて、朗読者はみなさん女性(母ちゃんが最年少)で、何人かは朗読ボランティア等の活動をしているものの、他の方は母ちゃん同様ほとんどパフォーマンス経験のないみなさん。

けれど、この本の内容が良く出来ていることがまずあるのだろうが(研究所資料館が作成した絵本が原案)、朗読者みなさんの熱演もなかなかすごい。場面ごとに衣装を替え時に身振り手振りを交えて物語に命を吹き込む姿には、正直感動を覚えた。そこには特に自分たちより若い世代にどうしてもこの物語を伝えたいという思いがあり、それが表現への情熱となっているのだとぼくは感じた。
なので、そんな演者の思いを共有しながらぼくも物語の中に入って行きギターを弾けた。初合わせの割にはかなり良く出来たのではないかと思う。結局20分の上演時間中のほとんどでギターを入れていた。

特にこの物語の肝と思ったのが、戦後家族にさえ口をつぐんでいたここでの仕事の内容を、80年代以降になって語り出した(きっかけは高校生たちの「平和ゼミナール」活動)元所員の証言シーン(語り出した動機は贖罪の意識)と、当時地域で雇われた若い人たち(10代も多かった)が仕事の内容が良く分からないまま口外を禁止され、それでもここで働いた日々が自身の青春時代であり、それを長い事封印せざるを得なかった哀しみが刻まれた句碑“過ぎし日は この丘に立ち めぐり逢う”にまつわる話のシーン。
中でも元監督的立場であった所員(科学者)が、所内での動物実験では飽き足らず、中国の南京で捕虜を人体実験をした話と実験の成功が科学者としての興奮を呼び、「趣味」とまで言わしめるところ。
これがまごうことなき戦争である。安全保障などではまったくない。ただただやればやるだけ続ければ続けるだけ人を壊すだけなのだ。科学者にも市井の人々にも散々こんな破壊をし尽くした国だからこそ、武力を戦争を放棄したのだ。
そんな戦争の本質を知らないボンボン政治屋が語る「アンゼンホショウ」や「アイコクシン」の話をテレビやネットで聞くより、こういう戦争の普通の姿を観て聞いて感じる方が有意義であることはもちろん。本当に戦争を拒否出来る意志を持てると思う。

うれしいことに、子どもたちの多くが熱心に聴いてくれていた(メモを取る子も居た)。ぼくよりも若い人たちが多かったと思われる親御さんたちもまた同様であった。
終演後、「この時代の所為なのか、観る側の熱意を感じる」といったような話も聞き、国会前などのデモに参加する人たちだけでなく、戦争法案を拒みたい思いは多くの人に共有されてきているのかもしれないと思った。
熱演の母ちゃんは、終演後の一言で「元々人前で表現することが得意ではなく、日常は忙しくそれどころではないけれど、この朗読劇の時だけは大切な事を伝えるために、そんな普段の自分を変えて臨んでる」というようなことを語っていた。母ちゃんなかなか見事な朗読であった。

子どもたちは色々辛口批評もしてくれたが、最後まで熱心に観ていたことが分かりうれしかった。明治大学の学食でご馳走してやったら(定食セットが370円!)ゴキゲンさんであった。
ぼくも良い仕事が出来てうれしかった。なかなか好評だったようで何よりであった。協力出来て参加出来て本当に良かった。

今宵のBGMは、大好きなロニー・ジョンソンの1940年代吹き込みのLP。ブルーズと歌ジャズとの見事な融合。プチプチというノイズがまた心地良い。

BG酒はホワイトハイボールでした。ではまた、ロケンロール!
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この記事に対するコメント

母さんには、五十嵐正史さんから一方的に絶縁するだろう?
母さんは、見捨てることはしないだろう?
それは、俺の母さんだからね。そして親父の強さ。(鈍さ?)

ソウルタイガー #- | URL | 2015/07/13 06:11 * edit *

子どもたちそれぞれに親との思い出があり、それぞれの持っている親の姿がある。その違いがまたおもしろい。
明日ゲスト出演するチャリカルキの劇は、そんな兄妹たちと母との物語。台本読んだら泣けそうになった。

五十嵐正史 #- | URL | 2015/07/13 23:48 * edit *

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