周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

ロケンロールライフ549 

2015/03/04
Wed. 23:10

先日吉祥寺の古本屋「よみた屋」さんで購入した“伊丹万作エッセイ集”を、読み終わるのが寂しいのでチビリチビリと大事に読んでいる。

敗戦の翌年に竹内浩三の消息を案じながら結核で亡くなったという、戦前の日本映画界で数多くの作品を監督し(現存するもの甚だ少なし)、病臥してからも脚本を書き続けた稀有な自由人にして個人主義者、反戦主義者で当時の狂った日本国においてまっとうな非国民でもあった伊丹氏の文章は、実に映画同様洒脱で力が抜けているようで(けれど時に個人名を挙げての痛烈な批判もある)風刺と諧謔に富んだ痛快な読み応えがある。

今日も仕事の帰りに電車内で読んでいたら、「演技指導論草案」という文章のところで思わず「あっ!」と声を上げそうになった。出だしからしばらくが箇条書きで演技や演出についての伊丹氏の考えが短文で綴られており、例えば“○法則とは自分が発見したら役に立つが、人から教わるとあまり役に立たないものだ。”というようになのだが、この書き方や文章の調子が、まさに竹内浩三が日大専門学部時代の後期に書いた散文“鈍走記”にそっくりなのだ。

ぼくはにわかに興奮しながら文庫のページを繰って、この伊丹氏の草案が書かれた年月日を調べたら(「映画演出学読本」昭和15年12月)と記してある。ドンピシャである。昭和15年と言えばまさに竹内が日大専門学部映画科に入学した年であり、結局3年に満たなかった彼のもっとも映画に接し詩を書き青春を謳歌した大学時代に、大ファンである伊丹万作氏のこの文章を読んで映画監督になる夢を膨らましつつ、戦争にとられる直前、竹内はこの大好きな師匠の文体を借りて、草稿では伏字なく“戦争は悪の豪華版である”“戦争しなくとも建設はできる”とまで書き切った「鈍走記」を書いたのだ。

伊丹氏も戦中は発表出来なかったが、この戦争が愚かな行為であり間違いであることをはっきりと書いていた。
竹内浩三は師匠とかくも深く繋がっていたかと思うと熱いものが込み上げてくる。
嘘っ八な天皇制国家の、軍国主義と言う名の狂信が支配する時代とその軍隊において、孤軍奮闘手帳に“筑波日記”を書き記していた竹内の孤独を思うと、ぼくは胸が締め付けられてならないのだが、伊丹万作という映画の芸術の師の存在が、彼を孤独地獄からおそらく何度も救ったであろうことは想像に難くない。
なぜなら、ぼくにもまた彼にとっての伊丹万作氏と同じ師匠が居るから。

家に帰り、あらためて竹内浩三全集の年表を読んでいたら、1942年(昭和17年)に大学を繰り上げ卒業させられ入隊したことが書かれた後に“このころ、手紙を通じて、伊丹万作氏の知遇を得る。”と書かれてあった。

誤魔化しと無実化の果てに迎えた敗戦70年の今年、竹内浩三の生き様は、彼の遺した作品はますますもってリアルだ。

今宵のBGMは、ボブ・ディラン89年発表の名盤「オー・マーシー」。このアルバムの音は不穏でロッキンで最高にカッコイイ。1曲目の“ポリティカル・ワールド”は今年中に意訳してみたい曲。最近話題になったディランの40分に及んだスピーチの日本語訳も読んだが、ディランの本音?トークがかなり面白かった。凄すぎる70オヤジだ。

BGドリンクはトマトジュースでした。ではまた、ロケンロール!
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