周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

昨年6月以来の、我が敬愛する活動写真弁士片岡一郎君との共演ライブが無事終わり、久々にこのブログや手前の歌の事だけを考えりゃ良い夜を過ごしている。

毎回活動写真ライブが終わった後は、独特の解放感と安ど感を味わう。そしてしばらくするとまた、ぼくにとって他流試合、片岡君風に例えれば海外遠征気分?にもなる映画の世界が恋しくなって来るのだ。片岡君の、あるぽらんキネマ劇場のおかげで、相変わらず下手の横好きの域であるが、いつしかぼくの中にどっかりと無声映画が一隅を占めるようになった。

そして昨夜を結論から言えば、やはり無声映画ライブはシンプルな素材(映像、説明、音)でありながら、無限の可能性を秘めた芸能、文化、パフォーマンスであることを今更ながら再確認出来た一夜だった。
長くはない間隔を置いて再会する度に、片岡君の説明には磨きと深みが加わり、昨夜はこれまでにない彼からの圧を隣に居て感じ煽られながら(それは決して辛いものではない)必死でついて行くがごとく、怖気づいてなるものかとギターを弾き続けた。それでも、大好きな「国士無双」やチャップリンの「パンとダイナマイト」では、あまりの面白さに観客と一緒に思わず弾きながら笑い声を上げた。そう、昨夜はこれまで以上に観客から笑い声の起こる楽しい娯楽作品揃いであった。

娯楽作品ではあったが、強さに対する強烈な皮肉を感じさせる「国士無双」と、痛快無比な剣劇「血煙高田の馬場」、洋画に移ってチャップリンらしくコメディーの中にストライキだの爆裂弾などが出てくる「パンとダイナマイト」、スタントなしの身体芸の極みのドタバタ劇をこれでもかと見せるバスターキートンの「文化生活一週間」の4本を並べて観れば、その100年近く前の作品達から不思議な気分と共にこの時代(現代)に対するメッセージを感じる。
ぼくは個人的に、竹内浩三が敬愛していた伊丹万作氏に入れ込んでいるので(先日吉祥寺の古本屋で氏のちくま文庫版のエッセイ集を手に入れ、愛読中)、片岡君が全編1時間以上の作品の現存する20分のみの映像だけでなく、残された台本を読み上げて映画の全容を説明してくれたのを(20分の残存映像でも、この映画の本質はしっかり伝わる)、映像を思い浮かべながらワクワクして聴いた。

昨夜のお客さんたちも、無声映画好きはもちろん、片岡君の説明が好きな人たちばかりだったようで、決して多数派ではなくても、少なからず無声映画ライブを楽しみながらこの時代を生きている人たちの存在がぼく自身もうれしくなる。
終演後は、観に来てくれたスズキさんや片岡君の弟妹弟子で先日共演させてもらった山城秀之さんと山内菜々子ちゃんと楽しく飲み語った。観損なって後から来たお客さんにサプライズアンコールもやったりして、実に楽しい無声映画ライブの夜となった。そして、それは紛れもなく畢竟2015年の早春を生きる我々の一夜なのであった。

映画の前にぼくは1曲、この日は竹内浩三と伊丹万作氏の話を少しして、「日本が見えない」をソロで歌った。何か映画のように歌えた気がした。
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2017-05