周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

第2回おひさま春祭りライブ終了 

2014/04/13
Sun. 21:32

昨日(12日)は、近所の御用達スタジオHで、2回目の竹内浩三詩CDのレコーディングであった。

前回同様、ソウブラのギター森田君と梅ちゃんとの3人での作業であったが、5時間で新たに2曲を完成させ、さらに1曲基本トラックを録り、前回録った「日本が見えない」のリードギターを重ね録りして完成させた。

今回から使用した新たな録音機材ZOOMのR16を、取説と首っ引きになりながらではあったが何とか使いこなし、録音された音の予想以上の高音質に3人で驚きながら、順調に、確実に竹内浩三の作品集にまた一歩近づいた。
なぜだろう、自分の書いた歌をCDにするのとは一味違う、いやそれ以上のやりがいと充実感を感じている。

これまで何度か作ろうと思い立ったが、まず自分のCDを優先させて来た。しかし、いつか竹内浩三を作れるだろうと思っていても、ペースが落ちることなく年に10曲以上歌を書き続けている中では、思い切って自分を後回しにしなければいつまでたっても作れやしないと思い至った。そうして、それは正解であった。

昨日最初に録った「しかられて」なんかは、晩御飯時に親(彼は12歳で母を亡くしているので父か姉に怒られてか、後年思い出しての創作か)に怒られて思わず家を飛び出した浩三少年が、一人街灯りの中に佇み外に漏れてくる夕飯の支度の音や匂いを感じながら、「強情張って悪かった」と謝って家に戻るタイミングを計っているという、ささやかな暮らしの一コマに愛情を込めて瑞々しく描写した詩なのだが、歌っていてホントにこちらまで幸福感に包まれ優しい気持ちになって来る実に素敵な詩なのだ。

ぼくはいわゆるJ-POPと括られる類の歌詞や、アキモト某などが書く歌詞には商魂とあざとさ以外何にも感じないのだが、この世に出ることなく生を奪われた詩人が10代の時に書いた、あざとさも時の風潮への媚びも先取りもへつらいとも無縁な詩には、歌っていてまるで自分がこの上ない宝物を見つけて抱いているような豊かな気持ちにさせられる。
本当の詩は、歌詞は、人をだますことなく利用することなく、たとえ商品になろうと、資本の囲いモノではなく産業の片棒担ぎなど決してしない(それがたとえ地域振興だの復興だのと言う美名の下であろうと)。ぼくにとって、竹内浩三の詩を歌うということは、そんな歌を歌う人間としての自分をもう一度確かめる作業でもある。そして何より、大好きな大バカ野郎であり、生きるべき男であった竹内浩三と深く出会う楽しい作業なのである。

新たな機材で、梅ちゃんが間奏と最後にピアニカを入れ終えて3人でプレイバックを聴いていたら、これまでのレコーディングで一度も感じたことのないようなほっこりした何とも言えないうれしい気分になった。自分の書いた歌で果たしてこんな気分になれるかどうか?自信ないけれど、挑戦して行く価値は大いにある。歌を書く人間が目指すべき場所はいくらでもあるのだ。

思わず「何かこれ、シチューのCMでかかりそうな歌だな」と言って3人で笑いながら「テレビに売り込んだろか?」と軽口を叩き合う。それはかつて、90年代の初めに高田渡さんの歌声が突如シチューのCMに流れたあの歌の雰囲気にとても似ているのだった。

レコーディングのことは軽く報告して、今日ソロでライブ出演した近所のお祭りのことをメインに書こうと思ったのに…。タイトルそのままに、そのことは明日にでも書きましょう(って、書くかどうか分からんけど)。

今宵のBGMは、エリオット・マーフィーの待望の新作を増税前にフランスからの輸入で頼んでおいたのを、今日届いて聴いておりますが、5曲入りのミニアルバムでした(どうりで安いわけだ)。
自宅録音したかのようなチープなサウンドだけれど、相変わらずのエリオット・マーフィーの肉声と濃密感漂う詩の世界。この人も自分の作るべき歌うべき歌を裏切らずにひたぶる続けているカッコイイロケンローラーだ。

BG酒はキリン澄みきりでした。ではまたロケンロール!


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