周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

ロケンロールライフ441 

2014/03/21
Fri. 23:49

3連休初日の今日は、午後から長女茜と二人で夏以来の明治大学平和教育登戸研究所資料館を再訪。
3月8日までが会期であった企画展「本土決戦と秘密戦」-本土決戦体制下で秘かに準備されていたモノ-を観逃してしまったのだが、29日まで企画展延長の情報を得て“これは観ておかねば”と思い立ったのだ。

前回と同じく団地から春風の中をてくてく歩いてだいたい30分、道中完成間近の新曲を口ずさみ続けていると茜も一緒に口ずさみ出す。
五反田神社を登って西三田団地の中を歩けば、小田急線の反対側の丘の上にある我が寺尾台団地同様昭和の風情(公園の古さや年季の入った石階段等々)マンチクリンの風景に何とも安らぐ。

研究所資料館すぐそばの裏門から入り、まずはかつて“弾薬庫”と呼ばれていた当時のままの倉庫をデジカメで写してから館内へ。相変わらず当時の研究所の建物をそのまま資料館にした館内は独特の雰囲気と質感で迫って来る。まるで入館した者をそのまま戦時中にタイムスリップさせてしまうみたいだ。

ぼくと娘が入館すると、ちょうど20人くらいの高齢者の学習グループの見学ツアーがスタートするところで、ぼくらもその中に紛れ込んでガイドさんの説明をそれとなく聞くことに。
やがて若い女性の研究員とおぼしきガイドの説明が始まり、戦争体験世代であろう当時の世相を懐かしむおじいちゃんおばあちゃん達の後方から遠慮がちに聞いていると、その解説の上手さ直截さにぼくは最初からグングン引き込まれていった。
この登戸研究所資料館は、現在も研究員の手によって戦時中極秘とされていたここの役割と、当時の政府、軍部との関わりについて研究が続けられており、今回の企画展は当時の日本がアメリカとの最終決戦をどう準備していたかのまさに研究成果の発表であった。

サイパンやレイテ島で敗戦した日本は、アメリカに本土攻撃の領海権を取られ、それまで登戸研究所では毒ガスや細菌兵器、偽札、アメリカ本土への風船爆弾(最初は爆弾を搭載していたがさしたる成果?は上がらず、やがて牛を殺すウィルスをフリーズドライした生物兵器を搭載し、アメリカ人の食料供給源を絶ち、厭戦気分を煽ろうとする何ともお粗末な戦術が考え出されたが結局実現には至らず。日本全国の和紙を集めて主に女学生たちが直径50mの風船爆弾を、わずか1年足らずの期間で1万発も重労働の下造らされた)の製造をしていたのを、天皇、政府、軍部を東京から長野県の松代に造る地下壕松代大本営に移すのに伴い、1945年3月~4月にかけて登戸研究所も移転することになった。

今回の企画展はこの松代大本営が何のためにどのように造られ、なぜ登戸研究所も同伴することになったのかを、実に詳細に事実の説得力を持って観る者に提示するものであった。
すなわち、この登戸研究所も松代大本営もすべて“国体護持”のためのものであり、国体護持とはすなわち天皇と政府のみがこの戦争で生き残れば良いというシステムであり、そのために民衆は犠牲になるというものであった。
本土決戦に備え(怯え)た政府は、大急ぎで巨大な地下壕である松代大本営を造るために、日本人だけでなく朝鮮の人たちをも強制徴用して2交代制の12時間労働を強要して建造を急いだという。

物資が底つく情勢にもかかわらず、新たな皇居には高級木材が持ち込まれ、特に細心の注意を払って敵の攻撃から逃れられるようジグザグに地下壕を掘らせて造ろうとした部屋は、何と天皇家に伝わる三種の神器(鏡、剣、勾玉)を置くためだけの部屋であったという。この強制労働で数十人とも数百人とも言われる朝鮮人労働者が殺されたとのこと。

以上のようなことを、おそらくぼくより若い女性ガイドは戦中派のお年寄りたちを前に堂々と語り、質問にも丁寧に答えて行く。この企画展を通してどうしても伝えたいことがあるという強い意志をその語り口から感じた。

そして、いよいよなぜ登戸研究所も松代に移ったかを最後の第五展示室で聴いた。それを考えさせる資料として、松代に移転後当地の住民を巻き込んで缶詰爆弾等が造られていたり、731部隊の石井四郎が開発した水を浄化する濾水機濾過筒が大量に造られ、それが元研究所所員宅に保管されていた事が紹介され、そこからおおよそ推測されることとして、当時の政府は松代で上陸したアメリカ軍を迎え撃つべく、細菌兵器戦を仕掛けるつもりであったろうという。
濾水機濾過筒は、安全な飲み水を確保するために必要なもの。それはすなわち周囲に細菌をばら撒いて自分たちの使う水を確保するために必要であったと言うのだ。

説明を聞きぼくは思わず唸りそうになった。政府は松代にすべてを移した後は、その土地に住む人たちのことなどカスほどにも思っていなかった(もちろんその他すべて国民のことも)。その証拠に、なぜ松代だったのかの理由について、長野が信州=神州というこじつけと、長野県民が天皇家に対して割と忠実従順な気風であるからだというのだ。ホンとイカレている。

結局松代に米軍が来るまでもなく敗戦した日本だが、戦後登戸研究所所員はたったの一人も戦犯にはならなかった。
それはすぐ朝鮮戦争を控え、ソ連との冷戦も見越していた米軍との裏取引により、戦後すぐ登戸研究所所員は米軍の下でその手腕をふるったからだ。特に米軍に重宝されたのは偽札造りの精巧さであったという。そんなところで日本人の器用さが生かされることの皮肉と愚かさを思わずにいられない。

特定秘密保護法が通り、解釈改憲を独断でやってすぐにでも戦争の出来る国にして、安倍晋三がひたすら「取り戻す」と言うニッポンは、まさに“国体護持”のために国民が総動員され虫けらのように使われ殺されるニッポンだ。
ぼくは、この企画展で初めて現代を生きる実感として、すべては“国体護持”のためにあらされた当時のニッポンを理解した。それがきっと分かるような予感がしてどうしても観たかったこの企画展。資料館側の意気込みも相当のものであり、おそらくその背景には、現代の安倍政権によるあの頃を取り戻す暴走への危機感があるのではと思われる。

こんな企画展が現在進行形で開催され、なおも今後も世に問い続けようとする姿勢に、ぼくはまだまだ世の中捨てたもんじゃないと心底思い力をもらう。
2時間近く肉声でしゃべり続け、最後の方では声を枯らし気味になっても、国体護持が民衆を犠牲にするシステムであることを、揺るぎない研究調査結果として見学者に教えてくれたガイド女史の鮮烈な印象が資料館を出た後もぼくの脳裏に焼き付いていた。

帰りは道々茜と安倍晋三が取り戻したいニッポンについて熱く語った。
手前の立場と役割が欲しいからと、それがたとえ国体護持の役割であっても嬉々として受け入れる烏合の衆が一人でも減ることを強く願いながら、大好きな街の風景を愛しい気持ちで眺めながら…。

今宵のBGMは、大好きなブルーズマン、JBルノアーのチェス録音盤「ナチュラルマン」。
この不世出のブルーズマンは、朝鮮戦争への徴兵反対を歌ったり時のアイゼンハワー大統領に捧げるブルーズを歌って発禁処分を喰らうなど、中々硬派の人。しかし彼の声やサウンドはどこか悲哀と優しさに満ちていて沁みる。ブルーズだろうと、フォークだろうとロックだろうと、生きている世の中に眼を向けずに歌うことなど出来やしない。ロールオン、JBルノアー!

BG酒はホワイトハイボールでした。ではまた、ロケンロール!





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