周辺暮らしのロケンロール
関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズのブログ
ひたぶるにただ
2014/02/06
Thu. 21:38
23歳にして無謀な侵略戦争にかり出されて殺された竹内浩三の詩を、15年来彼の作品を愛読して来て今年45歳になるぼくが歌にして、ささやかではあるが世に問うことを思うと、実に胸が高まる。
何年か前から自分の中で計画していたのだが、一つの作品にまとめるにはまだ曲が足りない気がしていたところに、昨年夏にスズキさんに竹内浩三作品を歌うライブを企画してもらい、それをきっかけにさらに新曲も増え、ようやくアルバム作品として作れそうな気がして来たのだ。
特に、とても短い詩だけれど昨年新たに曲をつけた“ひたぶるにただ”に出会えたことが大きい。
それはこんな詩だ。
むすめごをうたひ
むすめごをゑがき
うたひゑがきて
はつるわがみは
うたひゑがくを
なりはひとして
ひたぶるにただ
生くるわがみは
竹内浩三は良く「ひたぶる」という言葉を使った。70年近く前の日本で一般的な言葉だったのか、それとも流行語だったのかは知らないが、ぼくもこの言葉の響きにひかれいつしか多用するようになり、自分の歌詞にも入れるまでになった。
けれど、本家竹内浩三のこの詩ほど「ひたぶる」が効いている作品はない。たった一回出てくる「ひたぶる」だが、ひたぶるにうたひゑがく、そのことによって誰でもない自分を生きることへの高らかな(けれど、決して傲慢ではない)宣言となっている。
最初の「むすめごを…」の2連は、おそらく彼特有の茶目っ気であり照れ隠しでもあるだろうが、もちろん本気でもある。彼は愛しいむすめごを歌うようにすべてを見つめて歌おうとした。そのぐらい自分に引き寄せてすべてを歌おうとした。それは、彼の命を奪った戦争に対しても同じであった。
まるで竹内浩三が生きていた時代のように、世の中が目に見えてはっきりと息苦しくなって行く感じはするのだが、ぼくはそれを権力側の締め付けだけでなく、それに対峙する側(ぼくもそこに入るのだろう)の情報過多と無責任な言葉の垂れ流しと、強迫的ですらある力への指向にも感じる。そんな時だからこそ、69年前に殺された男が遺したどこまでも自由で生きることへの希みに満ちた、他者への思いに満ちた言葉を噛み締めて歌いたい。
70年生きて来た言葉で、使い捨てられシェアされ更新してはUPされ続ける借り物言語のこの時代にひたぶる挑みたい気分なのだ。
今回のレコーディングは五十嵐正史ソロアルバムとして、ソウブラのメンバーやそれ以外の音楽仲間に手伝ってもらってレコーディングする予定。ブログ読者のみなさま、どうぞお楽しみに!
「ひたぶるにただ」(仮題)~竹内浩三を歌う~
収録予定曲
・骨のうたう
・日本が見えない
・しかられて
・三ツ星さん
・東京
・あきらめろと言うが
・放尿
・手紙
・ひたぶるにただ
・なんのために
・望郷
・鈍走歌~竹内浩三“鈍走記”より~
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