周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

ロケンロールライフ320 

2013/03/07
Thu. 23:58

昨夜(6日)は、仕事帰りに乗換駅であり、横須賀線も乗り入れて現在大々的に普請中の、昔日の面影が一掃されつつある武蔵小杉駅で下車して、高層マンション隣にある中原市民館へ向かう。

この日は、川崎市中原区役所まちづくり推進部生涯学習支援科が主催する市民講座「とことん原発を考える」シリーズの第二回目として、ぼくの好きな哲学者である高橋哲哉氏の講演会があるのでそれを聴きに行ったのだ。

絶賛大工事中の駅前は、夜間でも花粉を増長する埃っぽさで、無機質な空間とあいまって何とも地に足付かない感じがする。武蔵溝ノ口同様、ぼくが愛知県から出て来たばかりの頃(20年前)にあった匂うような場末感がなくなり実に寂しい限りで、まさに建てば建つほど広がる砂漠だ。

こぎれいな市民館の多目的ホールには、150名以上の人で埋まり、平日夜の知る限り地味な告知であった講演会にしては盛況だと思った。
入り口付近では、ソウブラも出演する10日の原発ゼロへのカウントダウンinかわさきのチラシが配られており、この市民講座にも脱原発川崎市民が関わっているのかもしれない。区が金を出し(この日も入場無料!)市民に運営を任せて、高橋哲哉氏の講演会が打てるというのは、阿部市長はアホでバビロンでも、川崎市はなかなかだと言うことか?

18:30に始まった高橋哲哉氏の講演は、表題通り、昨年出版された著書「犠牲のシステム福島・沖縄」に書かれた“犠牲のシステム”とは何かの解説を軸に、現在のこの国の問題を明かしそれに立ち向かう方途を探るといった内容であった。
ぼくは個人的に高橋氏の論理的でありながら、常にその基底にある倫理を感じさせる文章だけでなく、割とおだやかな声音の話しぶりも好きである。
反対に、聴衆を煽りまくしたてるように激しながら話す人は、それがどんなに共感出来る内容であっても聴くのは嫌である。
扇動されるのではなく、聴き終えた後にじわりと確かに自分の内から力が湧いてくるような話ぶりが良い(例えば他に、生で聴いたことはないけれど小出裕章氏や、一度講演を聴いて著作の文章の激しさと違って実に穏やかな話し方であった斉藤貴男氏など)。

高橋氏が語る、今の日本を支配し、これを打破しなければ原発も沖縄もあらゆる問題は解決しないところの「犠牲のシステム」とは、一言で言えば“或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活(生命、健康、日常、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維持される。犠牲にする者の利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには生み出されないし、維持されない。”という社会のあり様のことだ(~犠牲のシステム福島・沖縄~より)。

ぼくはこの提起と犠牲のシステムの定義に全面的に共感賛同すると共に、どこか懐かしさも含むぼくの個人的な感情と感動をこの言葉から想起するのを禁じ得ない。

それは高校生の頃、自分の進路に行き詰まり、それまで田舎町で受験戦争の勝者を目指して井の中の蛙であった自分が完全に虚しくなり、その元凶を社会を頑強に支配しているかに見えた競争原理というシステムに見て、そこからの脱出、遁走を心身のバランスを崩しながら社会福祉の世界(それとロケンロール)に独り見出した時に感じた「もう誰も蹴落としたくない。他人を押しのけてしか得られない幸福はいらない」という祈りにも似た気持ちを思い出すのだ。もちろん、それが社会福祉の世界にのみ在るわけでも確立されているわけでもないこととはすぐ直面し、挫折も味わって行くわけだが(それでも、この時に自分がそういうアジール(システムの外に置かれた自由領域)を意識的にも無意識的にも求め生きて行く作法が定まったと言える)。

高橋氏は、犠牲のシステムが機能している所では、憲法で保障されているところの基本的人権が守られていないし、何より人間として倫理的に許されない状況に置かれていると語る。
その典型が原発であり、日本全土の74%もの基地の犠牲をずっと強いられて来た沖縄であると。
そして、ぼくはその犠牲のシステムはもうこの社会の細部、隅々にまで仕込まれており、原発にも沖縄にもそうであったように、気付かぬうちに我々は犠牲の上に成り立つ利益を得ていると思っている。

ぼくの働く障害者福祉の世界に「障害者自立支援法」が強行導入され、もう多数がそれに慣らされてしまっている現実もまさにそうだろう。
ではもはやそれに抗う術はないのか?

それは高橋氏も言うように、一人一人が沖縄に、福島に、原発に、そして日常の中で見つけてしまった“犠牲のシステム”に声を上げ続け、それを回避する選択をし続けて行くしかない。そして、“犠牲のシステム”を見つけた時、気付いた時に、己の加害にも気付かされ問われることはもはやこの世界において、決して避けられるものではないし、避けて生きて行くことなど出来やしないと思う。

講演後の会場からの質問で、福島も事故前まで受益者だったではないか?沖縄の問題も単純に利権(経済)の問題であって、こっちが犠牲を強いているというような観念的な考え方には賛同出来ないといった、聴いていて実に残念な気持ちになる質問が出されたが、高橋氏は冷静に「ではなぜ福島の海沿いの町は危険な原発を受け入れてまで、お金が必要だったのか?そこに犠牲のシステムは働いていなかったか?」「沖縄問題で利益を得ているのは県民ではない。ある種のマフィア達だ。そうやって経済で考えてしまうことで逆に人間的な問題が見過ごされてしまう」と、だいたいこのような回答で逆に質問者に問いかけていた。

その高橋氏の態度は、ぼくにとても強い印象を与えた。

帰りにオバハンらにガンガン割り込みされながらも、辛抱して並んで著書にサインしてもらった時「犠牲のシステムの話、とても分かりやすかったです」と声をかけたら、ペンを止めてぼくの顔を見上げて少し微笑んで「ありがとうございます」と言ってくれたのがムチャクチャうれしかった。すっかりミーハー気分で本を抱きしめて普請中の武蔵小杉を後にした。

今宵のBGMは、リチャード・トンプソンの84年発表のLP「ハンド・オブ・カインドネス」。ライナーノートは中川五郎さん、明日お会いしたらリチャード・トンプソンのこと聴いてみよう。

BG酒はホワイトハイボールでした。ではまた、ロケンロール!


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この記事に対するコメント

高橋氏の「犠牲のシステム福島・沖縄」という本、僕も読んでみよう!と思う。
実はここ4日間、ちょっと形は違うけど(しかもたいした事ではない小さな)「犠牲のシステム」に気付いたかみさんが、何度も先方に電話して闘ってたのね。。
でも、今日やっと先方の数人のうちの一人とマニュアルではなく「心」で会話することが出来て、その人もかみさんもお互いに「ありがとうございました」って涙流してたのを見るにつけ・・・やっぱりとことん話し合うこと、あきらめずに話し合うことって大事なんだなぁと感じたわけで^^                  「一人一人が沖縄に、福島に、原発に、そして日常の中で見つけてしまった“犠牲のシステム”に声を上げ続け、それを回避する選択をし続けて行くしかない。」ということに深く共感する今日このごろであった^^            それと、五十嵐君の「もう誰も蹴落としたくない。他人を押しのけてしか得られない幸福はいらない」という気持ち・・・ホントに同じ気持ちです。僕は誰が一番でもいいと思う。ただ、自分の「弱音、弱気、さぼり」には負けたくない(笑)。負けるときのほうが多いけどね(笑)。                     あ、ちなみにこちらのBGMはロバート・ワイアットでした^^ 

                 




サイクル・アニー #- | URL | 2013/03/08 23:44 * edit *

サイクル・アニー君、「犠牲のシステム福島・沖縄」は新書サイズで、とっても読みやすいよ。

“あきあめずに話し合う”君のかみさんの姿勢、大切ですね。
わが身を振り返ると、アタシは気が短くて(相変わらず?)、自分の意見をぶっつけ放しのことが多々あるのです。
自分の「弱音、弱気、さぼり」に負けたくない…うん、40代をこの気持ちで乗り切りたい!

ロバート・ワイアットは聴いたことがなくて…ジョン・ハイアットは良く聴くのだけど(て言うか、良く曲をパクってます(笑))。

五十嵐正史 #- | URL | 2013/03/09 22:34 * edit *

こんばんは
3-11後、東北(被災地)は沖縄になったと思いました。
東北の多くの人が地元マスコミ含めて、富や繁栄を都市に(為政者に)収奪される地として右も左もなく主義思考や宗教あれこれ関係なく、自覚しました。ホントは昔からそうだったんですが、ここ30年くらい東北も物質的に豊かにあふれ、忘れてしまってたんですね。結果、原発たくさん受け入れて来たんですが…。
通じない相手とも粘って話すの大事ですね〜見習いたい姿勢。

さて、土曜に森田さんがライヴに来てくれて嬉しかったのを10回以上も口にして家人に呆れられましたが、いい夜でした(^^;;
今度は4月のライヴを楽しみに頑張ります!


スズキ #f3g/b1UA | URL | 2013/03/11 01:50 * edit *

スズキさん、4月20日ライブの素敵なチラシありがとうございます!
うれしぃですね~気合入ります。近々スケジュールにも載せます。

よしだよしこさんライブお疲れ様でした。森田が「ええライブやったぁ」としきりに言っておりました。よしこさんが森田の顔を覚えてくれていたのもうれしかったみたい。

収奪されて来た地としての東北。ぼくはこれまでまったくと言って良いほど意識外でした。それこそが無意識の植民地主義なのだと痛感します。

五十嵐正史 #- | URL | 2013/03/12 00:20 * edit *

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