周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

ロケンロールライフ807 

2017/07/05
Wed. 23:28

もうすぐ七夕である。

七夕はおふくろの命日。あらゆる儀式や記念日を重んじず、家族の誕生日さえ忘れがちなぼくを見越してかおふくろは忘れる事のない23年前のこの日に亡くなった。
今年の1月に、おふくろの遺した歌集を初めてちゃんと読んで受けた衝撃と感動を「ないしょの話~母の歌集~」という歌にしてライブで唄い出したところ、おかげ様でかなり好評をいただいている。聴いた方の多くが自分の母親のことを思い出したと言ってくれ、ぼくとしては自分のおふくろのことをそのまんま歌った超個人的な歌が、それぞれ一人一人違う母親との関係を想起させるということを、どこか不思議なようなそれでいてやはりとてもうれしく感じる。この歌を書いて良かった。

先日の隅田川フォークフェスの打ち上げの席で、中川五郎さんが「おふくろさんぼくに紹介してよ」なんて言ってくれたのは、歌の中のおふくろがとても魅力的な女性に感じてもらえたからだろう。それはやはりおふくろの書いた言葉の部分をうめちゃんに歌ってもらうようになったことが大きい。自分のパートを唄い終わりギターを弾きながら目を閉じてうめちゃんの唄うおふくろの言葉を聴くと、にわかに自宅の親父が造ったベッドで息を引き取ったおふくろではなく、若く思いつめるような瞳をたたえた女性が目に浮かんでくる。唄う度にぼくはそのおふくろと会えるのが楽しみになり、何とも言えない幸福を感じる。おふくろのことをこんな風に思うようになるなんてそれこそ思いもしなかった。親との関係は死んだ後も続き変わって行くものなのか。それがたとえ上手く行かなかった親子であっても。

この歌を唄うようになって、最初はMCでおふくろとはとにかく考えが合わず分かり合えなかったと喋っていたのだが、そんなことばかり言っている内に、だんだんと本当はそんなに仲が悪くはなかったんじゃないかと自分の認識を疑うようになった。と言うのもこの歌を唄うようになってから、なぜかおふくろとの絶えなかったいさかいの思い出よりも、ともかく一緒に居た時過ごした時のことをよく思い出すようになったのだ。長男であるから当然だが幼少の頃の思い出はとにかくおふくろと二人きりだし、長じてからもおふくろと二人で高校受験の合格発表を、越境入学にチャレンジして結果見事落ちた(思えばあれが挫折の始まり?)越谷高校に観に行ったことや(信じられずに茫然と立ち尽くすぼくをおふくろは引っ張ってそのまま私立高校に連れて行き、入学の手続きをし公衆電話から祖母に電話をかけ入学金を借りた)、知多半島の日本福祉大学夜間学部にかろうじて入り、二人で新幹線に乗って下宿を探しに行ったこと(新幹線の車内販売で買ってもらって食べたアイスクリームの美味しかった事。しかし、それから2年もしないで母ちゃん(妻)と同棲し出すわけだからつくづく親不孝な…)。独り暮らしした知多半島から、月の電話代が1万円超えるほどおふくろに電話をかけ恋の悩みを相談した事等々…。なんだずいぶん何でも話し合ってた親子じゃねェか(だからケンカも良くしたのか)。
まぁ、マザコンなんですな、明らかに。今夜も我の血をひくマザコン息子が「なんで母ちゃんはこんなダメダメなじじぃと結婚したんだ?」と、パンツ一丁で晩酌後ひっくり返っているアタシを見下ろしながら真顔で母ちゃんに聞いていた。

ただふと思うのは、おふくろは誰かに自分の思いのたけを話せていたのだろうか?ということ。とても感情的な人で良く怒り泣く人だったが(もちろん笑いもしたがイメージは怒り泣く印象が強い。それはすなわちよく怒らせ泣かせたということであるが)、どこか自分を押し殺すことを自分に強いていたような気がしてならない。だからこそ、15歳から22歳までの熱い血潮のたぎるままを歌に遺したあの歌集がまぶしく読める。そんなこんなをいろいろ話したいと切に思う。今の自分の歌を聴いてもらえたらと思う。

流れ速き 梅雨空の雲どこへ行く どうせ行くなら我も一緒に

踏まれても なおはねあがる青草の 強さを話す小さき友へ

風に乗り 吹きつく雨や借り傘の 中に隠れし髪にもふれる

離れ見る 六郷川のゆったりと 流れて語る幼き頃を

市川悦子 1966年7月7日、8日の短歌

今宵のBGMはピーターバラカン氏DJのバラカンビート録音音源。ザ・ウォーターボーイズがかかってうれしい。
BGドリンクはレモンアロマオイルを垂らした水でした。ではまた、ロケンロール!
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この記事に対するコメント

喧嘩するほど仲がよい!

最初に五十嵐君と知り合った頃,おつれあいを「カアチャン」と呼ぶのが不思議で,「ではお母様はどう呼ぶのか_」と?。ほどなくお母様はもうこの世におられない事を知り「それならさもあろう」と思いました。

私も,下の息子とは中学〜20台前半までマンション中に響く大喧嘩してました(幼児〜小学まで映画や買物どこでも一緒に出かけ,趣向や気が合った子が!)。
4年前から岩手に行ってくれて(行かせて),ホッとしました。当初は「追い出された」と恨み言や,あれこれ昔の母の暴言(^^;)をあげつらっては批判してくれ落ち込ませてくれた彼も,マザコンの呪縛から距離をおくことで解放されたのでしょう。4年経た今は地元で彼女ができ,夜バイトから昼の仕事に変り「結婚する」と言ってます。母も完全に解放されて幸福です(笑)

五十嵐君のお母様,息子がやっと客観的に見てくれるようになり,「大人になってくれて嬉しい」と思ってるかも。歌にできて良かったですね!(^^)

スズキ #f3g/b1UA | URL | 2017/07/06 13:14 * edit *

唄、歌い。表現者はやっぱりズルイよね。共感や非難を浴びることできるんだもん。その下で明かりの当たらない所で、実働のみして誰からも、評価はされず。母親は死んだ後も活きている。親父は生き続けてちょいちょい事を起こす。俺は目が廻っている。カミサンに本当にお世話になっている。

ソウルタイガー #- | URL | 2017/07/06 22:05 * edit *

スズキさんの息子さん、シュッとしてるからモテるでしょう。
解放おめでとうございます(笑)。
23年間母の遺した歌集と向き合わなかったのは、やはり大人になりきれていなかったからなんですかね~。

8月の帰省の相談を近いうちにソウルタイガーさんにします。今回個人的にどうしても行きたい場所あり(野田市内)。
長女の部活の予定等調整しています。陸上部は秋まで引退出来ないらしい。この暑さにやられないように、ご自愛くだされ。

五十嵐正史 #- | URL | 2017/07/06 23:24 * edit *

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