周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

ロケンロールライフ771 

2017/03/11
Sat. 23:39

3月11日、今日ぼくは明治大学生田キャンパスに行き、登戸研究所資料館が企画した証言会“登戸研究所で働いていた人に聞く登戸研究所の姿”「15歳の戦争」に参加して来た(満員で200人は優にいたと思う)。

年に数回、登戸研究所資料館では時どきの企画展のテーマに沿って、大学のホールを使って市民向けの講演会を開く。誰でも予約なしで無料で受講出来るこの講演会に、ぼくは自分が学生時代に受けたどの講義よりも、真剣にかつ積極的に参加し学ぼうとしていると思う。自分の中の本能に近い感性が、この時代を捉えこれからを生きて行くためにここであったことを知ることが必要だと感じているのだ。

今日聴いたかつて登戸研究所で働いていたお二人の話(88歳と87歳)は、アンケートにも書いたけれど、体験した人でしか表現出来ない言葉の響きを持ってぼくの心に入って来た。
88歳と87歳の二人の男性は、登戸研究所に15歳で入所し、一人は当時の日本が「決戦兵器」と妄想した風船爆弾の飛行実験と爆薬の製造に携わり、一人は中国経済を混乱させるための大量の偽札作りに従事させられた。証言会のタイトルにあるように、当時の戦争国家ニッポンは、15歳の少年に絶対機密である国際法違反の戦争の道具を作らせその実行をも強要した。
近所に住む人の多くが同じように登戸研究所で働いていたけれど、互いに知っていても一切仕事の内容は話さ(せ)ず(親兄弟にも)常に私服や制服の憲兵に動向を見張られていたという。
研究所資料館の調査で明らかになったのは、あえて近所の人たちを研究所に雇うことでお互いをけん制監視し合わせて秘密を保持させる目的があったらしいこと。この国の政府が権力が実に考えそうなことだ。

敗戦後長年登戸研究所について語らなかったことについて、「あまりに世の中が急激に変わってしまい自分にとって空白になってしまった」「俺は人殺しの道具を作らされていたのかと思うと…」と、怒りなのか悲しみなのか悔しさなのか混然となった強い口調で語られた時、ぼくはお二人が竹内浩三とダブって目頭が熱くなった。がらがらどんどんと事務と常識が流れた戦後を、お二人は「戦争は絶対にしてはいけない」と断言しながらも、平和憲法を持った戦後日本に対してどこかやりきれない憤りを抱いている。ぼくはそのことに矛盾を感じない。平和憲法を持ちながらそれを実現出来ていないことに何ら恥じず沖縄に犠牲を強い、アホなオリンピックに浮かれ最悪の原発事故収束の詭弁を垂れ、避難者を見捨て原発を再稼働している今のニッポンそのものではないか。この国は結局何も反省していないし何も変わっていない。15歳から登戸研究所で働きそれから70年以上を生きてきた人の肉声は、そのことをはっきりと伝えていた。実に重みのある人間性に満ちた生きた言葉と共に。

6年が経った3月11日に、1945年8月15日と同じくあの日を境に変わらなければいけなかったこの国の在り方を、これからも自分なりに目指して行こうとあらためて強く思った。ぼくにとってその手がかりの様な景色は、あの震災直後しばらくの間キラキラとハリボテを照らす明かりを消していた薄暗い夜の街だ。あのままで良かったのにと今もつくづく思う。

今宵のBGMは、本日放送の久米宏のラジオ番組「ラジオなんですけど」録音音源。今日の放送はぜひ聴きたかったので録音しておいた。ゲストコーナーの被災地で肉親を亡くした方の霊体験話が沁みる。最近死んだお袋との対話を続けていたのでとても良く分かる。人は死んでも無くなることはない。関係は変わるけれど対話は続くのだ。

BGドリンクはトマトジュースでした。ではまた、ロケンロール!
スポンサーサイト

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2017-03