周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

ロケンロールライフ714 

2016/09/29
Thu. 23:02

昨夜、仕事帰り団地前のいつもの森を正面に見る坂道を下っていると、窓が開け放たれている我が家の方から、長女の「オーッ!」という雄叫びが聴こえて来た。ここから我が家まで10m以上はある。全く近所迷惑ではないか。

しかし、ぼくは前にも書いたかもしれないが、団地周辺の道を歩きながら団地で暮らす人たちの生活音が聞こえたり、飯の匂いがどこからともなくして来るのが大好きだ。何だかそれだけで幸福な心持ちがして来る。家路が楽しくなるのだ。

果たして家に帰ると、長女は今夜勝てば優勝が決まる日本ハム対西武のプロ野球中継を観ながら歓声を上げていた。
今年から突然プロ野球ファンとなった長女(イケメン選手が居れば球団は特に問わないらしいが、一応ヤクルトファン)は、我が家のチャンネル権を握り、妹や特に弟からブーイングを浴びても平気の平左で暴君として君臨している。
麦とホップをグビリと呑んで、ぼくも観るとはなしにテーブルから14型テレビの小さな画面をぼんやり眺めていると、母ちゃんから「家は父親にまったくチャンネル権がないわねぇ」と言われ、「うむ。子供の頃は親父が帰って来ると有無を言わさず巨人戦に替えられたものだが、まさか娘がそうなるとは…まぁ、でも何となく野球中継が流れているのは悪くはない」と応える。そう、父はもはやテレビ番組を追っかけるのがおっくうでラジオ中心の生活になって久しい。観たい特集番組等を見つけても直に忘れてしまう。最近自分が意識的に観られたら観るのは「真田丸」くらい(それも忘れがち)。

先日、長女と友達のMちゃんと一緒に神宮球場にヤクルト戦を観に行ったのだが、長女に言わせると「父ちゃんの応援はなってない」そうだ。ヤクルト側外野自由席の観客たちの熱烈な応援の中にあって、父だけボンヤリ呆けたオッサン状態で辺りを見回し酒を呑んでるばかりで浮いていたと言うのだ。つに娘にまで「みんなと同じに出来ない」ことを責められ、父は少しムッとしたのだった。
父だって好きなライブではそれこそ周囲から浮くくらい盛り上がるし(泣くし)、プロレスならばリングに釘付けになって腹の底から声を出したりするのだ。ただあまりに人が多過ぎる熱狂は、政治もスポーツも遊戯場も学校も会社も組織も…etc何か怖気づくと言うか違和感が先に立つ。分かるかなぁ分かんねぇだろうなぁ。

テレビの前で大谷投手が一球投げる度に長女はキャーキャー言い、相手チームが活躍に水を差すとボロカスに罵倒するのを観ていると、遠い昔、チャンネル権保持者の親父が、やはり好きで観ていたプロレスにぼくの方がハマり、アントニオ猪木の試合の度にブラウン管の前で大声を上げては、家族にうるさがられた少年の自分を思い出した。相手の技を喰らって喰らってそれでもカウント2で跳ね返し、一瞬の隙をついての延髄切り一閃で生放送時間ぎりぎりで(今思えばすごい感動的な計算ずくではある)逆転勝ちするアントニオ猪木の姿に、10代前半の自分の在り方を思いきり投影していたのだ。実況は若き古舘伊知郎氏、なんと今度片岡一郎君は古舘氏と歌舞伎座の舞台に立つと言う!

この30数年で変わったものと変わっていないもの。少なくともこの団地の風景、生活音はそれほど変わっていないだろう。ぼくはそこにつつましい開放性を見る。変わり様のない暮らしぶりが確かに「在る」ことを感じる。そう、暮らしは匂いであり音であり感触だ。それを無化した暮らしは人を人でなしにするのではないかと思う。決して命の円環を感じることは出来ないだろう。
こんな場所で今を生き、子どもが大きくなって行くのを見るのは楽しい。世の中がどうなっても。

今宵のBGMは、「ザ・ロスト・ノートブックス・オブ・ハンク・ウィリアムス」。ボブ・ディランやレヴォン・ヘルム等そうそうたるミュージシャン達が、ハンク・ウィリアムスの遺した未発表詞に曲を付けた好盤。久しぶりに棚から見つけて外から聴こえる虫の声と共に気分良く聴いてます。
BGドリンクはトマトジュースでした。ではまた、ロケンロール!
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