周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

ロケンロールライフ171 

2012/02/29
Wed. 23:58

4年に1度の閏年の今日、関東は予報を超える雪に見舞われた。

ぼくの住む川崎市の多摩区は、その名の通り多摩地域に属するので、都心部より積雪は明らかに多い。
朝の通勤時には、駅近くですべって転んで頭を強打したらしいサラリーマンが、血だらけになって救急車に運ばれていた。雪に散らばる血痕を見てさすがにゾッとした。

帰りはシャーベット状の雪に足元をとられながら、何とか駅からの上り道を歩いて団地に辿り着き、広がる浄水場の森を見やれば、雪化粧した木々が何とも幻想的で、ネオンなどない、小さな生活の灯りが点々としている家並みを見つめてしばしたたずんだ。

2月が終わり、いよいよあの3月11日から1年を迎える3月に入るが、世の中は今どうにもきな臭く閉塞感に満ちている気がする。

昼間のNHKニュースで、民主党の厚生労働部門のワーキングチーム(長妻元厚労省が座長)が、厚労省の提出した法案を、我々も反対の声を上げて、マスコミにも取り上げられていたにもかかわらず、何の検討もなかったごとく丸呑みして、その新しい法律名が“障害者総合支援法”とされると報じられていた。

厚労省案の“障害者総合生活支援法”から“生活”の字を取っただけで、中身は自立支援法と何にも変わらないと言って良い法が、内閣の下に作られた総合福祉部会の骨格提言を歴史の闇に葬って近々成立してしまう。
画面の長妻元厚労省の、屈託のない笑みさえ浮かべた顔を見て、まったく同じ人間として理解することは出来ないせいか、何とも感じなかった。

巷では、名古屋市長の南京大虐殺発言(30万だろうが3万だろうが、殺した事実からは決して逃げられない。「なかった」と言うこと自体、本来成立しないし許されない)と共に、連日大阪市長である橋下徹氏の暴走独裁振りが報じられている。
この市長、実はぼくと同じ1969年生まれなのだが、元来女優以外あまりタレントに興味のないぼくは、これまでぜんぜん彼に関心は無く、報道もほとんど無視していた。

しかし、ここ最近、市職員に業務命令として思想調査のアンケートを実施したり、職員同士で交わされたメールの内容を抜き打ちで調べるなど、冗談やタレント活動の一環では済まされない内容の報道を読み、にわかに気になり出した。こいつはちょっとヤバイ奴かもしれない。
それ以上に、思ったより抵抗が少なく、逆に支持者が多いことも、毎度の日本人のアホさ加減だけで済まされない、大げさかもしれないが何か終末的な嫌な気配すら感じて来た。

3.11を経たにもかかわらず、日本は案の定、急いで「もと通り」にすることを至上命題にして、そのためには、取り返しのつかなくなった現実をごまかし装ってまで、まるで「もと通り」どころか「なかったことにする」かのごとく、それに尽力している。
そのごまかしも含む尽力にくじけそうになると、長淵剛みたいなのが張り切って歌うし、「がんばろう!」とか「絆」とかの類のまるで記号のようなスローガンたちがたくさん瓦礫に降り注ぐ。

こんな時に、歴史上いつだってそういう記号のような言葉があふれ出す時に、独裁者は現れるのではなかったか?

老害と言われる石原慎太郎ではもう担えない(と言うより、元々彼はたんなるトリックスターでしかなく、政治家としては無策無能であったことは(だからといって無害では決してない)、佐野眞一著の「誰も書けなかった石原慎太郎」を読んで分かった)役割を、慎太郎よりも多少政策立案能力と弁舌に長けた橋下徹が引き受けようとしているようにも見える。

民間に比べて、福利厚生の行き届いているがゆえにバッシングも受けやすい公務員の、しかも組合員にターゲットを絞って潰し、同時に日の丸君が代を強制して(これは東京も含めて、河村名古屋市長の言動も連動している)少数派を排除、踏みつけにして国を一つに見せかけようとする陳腐な所業は決して新しくないし、おそらく財界の意向に沿ったものと思われるが、「がんばろう」や「絆」が好きな市民たちは、橋本氏が自分たちには関係ない誰か(組合)をコテンパンにやっつけて、ドラマ仕立ての維新を自ら演出した橋下劇場で演ずるのを、ちゃらちゃらとおもしろがって喝采を送っているのかもしれない。

そういう世間(と言うか烏合の衆)のきな臭さへの反動か、それとも生来の性癖か、ぼくはどうにも反抗の虫が騒いでしょうがない。

そんなぼくが最近頭の中で反すうしているのが、大好きな詩人の金子光晴氏が22歳の頃、1917年に書いた「反対」という詩だ。
とりわけ好きな箇所が、中盤の“なにしに生まれてきたと問はるれば、躊躇なく答へよう。反対しにと。”のところ。いつの政府にも反対で、むろんやまと魂は反対だと詩人はさらに歌い(これは時代的にかなり勇気が要ったろう)、最後は“反対こそ、生きてることだ。反対こそ、じぶんをつかむことだ。”で終わる、何とも爽快な詩だ。
ぼくにとっては、「一つになって」や「がんばろう」や「絆」などという言葉より、よっぽど生き生きした人間らしい言葉だ。

ぼくらはいつの間にか自由と表して蹴落とし合う社会で、こんなシンプルな「反対」な生き方を排除し、認めなくなっているのではないか?
橋下市長のやり口に抵抗するのなら、真面目に議論を挑んだり組織的な反撃を講ずるよりもまず、個として徹底的に「反対」してみたらどうだろう。

ぼくは、金子光晴の「反対」をモチーフにして歌を作ろう。

今宵のBGMは、ボブ・ディランの「ライブ1975」。ブートレグシリーズVOL5として2002年に発表されたこのライブ盤は、ディランのライブ史の中でかなり評価の高いローリング・サンダー・レビューを収録したもの。
バイオリンやコンガなどをフィーチャーして、ジプシー的な漂泊感漂うサウンドが実に味わい深い。ライブバージョンの「ハリケーン」なんかむちゃくちゃカッコイイ!
ディランの声もまるで砂漠で歌っているかのようなザラザラ感で、ギターも存分に掻き鳴らしている。
惜しいのは、この編成での「ライク・ア・ローリング・ストーン」が収録されていないこと(別の海賊盤で持っていますが)。
何でディランが好きなのか?思えばディランは決して「がんばろう」とか歌わないからかな。いつだって個で居る者に歌いかけて来るのがディラン。だから聴くと寂しくなんかないわけです。ありがとう!ボブ・ディラン。

BG酒はホワイトハイボールでした。ではまた、ロケンロール!
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