周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

あるぽらん激ライブ!知念良吉&ソウブラ終了! 

2017/05/22
Mon. 23:03

今日は午後から暑い中利用者2人と共に、大田区内呑川沿い某公園で公園清掃。

暑さで異臭を放つ弁当ガラや犬の糞などを汗かき分別作業。どうも日曜の夜ライブがあった翌日は公園清掃当番に当たることが多い。燃えカス状態の身体はしんどいが、そんな状態ではかどらない事務仕事や魂研ぎ澄ます面接をやるよりはまだマシである。なにしろ考えずにシンプルに身体を動かせば良いので助かるし元来こういう仕事がぼくは嫌いではない。事務や相談業務やるより本当は合っているのではないかと思うこともしばしば。

それはさておき昨夜は完全に燃え尽きたのである。ライブを観届けてくれた人は承知と思うが、昨夜の知念良吉師匠の凄味とパワーは凄すぎた。そして、これまで共演者として知念さんとのライブをして来たソウブラは、昨夜共演20年にしてついに知念良吉バンドとなった。昨日のあるぽらんのお客さんの誰一人そのことに異議はないだろうと思う。それだけ知念良吉師匠とソウブラは一つだった。リハーサルは当日の約1時間のみ。知念さんが生み出すライブの流れに必死について行くのではなく文字通り一緒に流れ思いきり知念さんの懐に飛び込んだ。遠慮は一切無かった。20年の共演の中で昨夜初めて知念さんが絶叫するのを聴いた!ソウブラの音を思いきり楽しみ重量級の思いを叩きつける知念良吉師匠を、狭いあるぽらんのステージで身体を密着しながら左真横に見れば、それは何だか神々しいような姿だった。俺はこの人の影を追い続けて来て良かった。豊田勇造と知念良吉という2つの長い影が俺の道しるべなのだという幸せを噛みしめていた。

そんなステージ上のぼくの顔を「小僧のようだった」と称したONE LOVE高江のSちゃん。そうなのです。師匠と共にステージに上がる時、48歳の親父はいつだって憧れの人を追いかけている少年になるのです。老眼鏡かけた少年です。でも老け顔に見られがちなアタシが実は童顔であることに気付いてくれてうれしかったよ~Sちゃん。

ソウブラのステージ、知念さんと浅田君のステージ、そして知念良吉&ソウブラのステージ(梅ちゃんがメインボーカルをとった知念さんの「海の向こうに」では、師匠思わず落涙!)と3部構成3時間半近く!に及んだまさにあるぽらん激ライブ(暑かったですね~)。最後にステージから知念さんがお客さんに向けて行った「付き合ってくれてありがとうございました~!」という言葉に知念さん自体がこのライブに熱中し燃えた証を感じた。終演後熱い感想をたくさんいただけて、ぼくは燃え尽きたかいがあった。マスター佐々木さんから渡されるビールの冷たさが最高の褒美だった。

お酒を止めていた知念さんが久しぶりに缶ビールを開け、終演後ライブの興奮覚めやらぬままたくさん話をした。その知念さんの言葉、思いの一つ一つがこの時代を生きるぼくにしっくり来る。政治世界との付き合い方。そして確かにある(そして実現している)それとは別のもう一つの世界。ぼくらは、うた唄いはもう一つの世界を築き続けそちらに居るべきであること(フットワーク軽く股に掛けるけれど)。そちらからたとえ小さくとも非力であっても撃ち続けること。本当に世界を変えるために。
あらためて、知念良吉はもっとも激しい根源的なプロテストシンガーであると思う。政治的な発言をし、政治的な集会で唄う誰よりも政治を撃つプロテストシンガーだ。ぼくはこの唯一無比の根源的プロテストシンガーを心から敬愛しぼくもまたそうでありたいと願う。やっぱりぼくには2つの長い影だけがぼくの前に伸びている。それで十分だしそれがとても幸せなことだと心底思う。

そして、そんな場所としていつもある阿佐ヶ谷あるぽらん。この場所で唄い続けてこれたことにやっぱり感謝しかない。音響機材はいよいよヤバいけれど(笑)、あるぽらんという空間がぶれないもう一つの世界そのものなのだ。「やり続けて来たというのはこだわりがあるからだよね?」とぼくに言ってくれた知念さん、ハイその通りです。ソウブラには最初から、あるぽらんでライブし続けながら全くぶれないこだわりがあります。

さぁ、今週もあれこれ忙しいけれど週末の関西ライブに飛び立つためにバッチリ充填するぞ!さぁもういっぺん燃え尽きるために!

あるぽらん激ライブソウブラセットリスト
①この素晴らしくない世界で
②ファシスト野郎
③地平線(知念良吉師匠のカバー。アンコールでもう一度歌った)
④ないしょの話(母の歌集)
⑤ヘルスよしの
⑥命でしかないビート

知念さん&ソウブラ
・何処へ行くオキナワンボーイ
・ジュークボックスの空と海
・サンサンサン
・夕闇バンドのロケンロール
・海の向こうに (ボーカル梅田ゆかり)
・慶良間の海で
・俺の生まれた町には金網がある
・なまるやんどーくまるやんどー
・地平線 (ボーカル五十嵐 ハープ知念良吉)


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ロケンロールライフ791 

2017/05/17
Wed. 23:20

仕事帰りの電車の中ではたいてい、新曲のことかブログに書く内容のことを考えている。

CDウォークマンで今日のとっておきのアルバムを聴きながら、そんなことを考える一時が好きだ(通勤時間が片道1時間15分ほどあるので、長編のアルバムでもまるまる聴ける)。
今日もいつものように生田駅で下車し、筋肉痛の長女に頼まれた湿布薬を薬局で買い津久井道を歩きながら横目で人だかりがしている年季の入った肉屋Sのショーウィンドーを見ると、今日はぼくの好物の鶏皮のピリ辛揚げがある!ぼくは車が来ないのを確かめそそくさと道路を横切って肉屋の人だかりの後ろにつく。

20代の時は時折外に呑みに行っていたけれど、家で毎日晩酌はしていなかった。空腹を満たすことが第一で酒はまだ二の次だった。
それが30代になって毎晩瓶ビール大瓶1本を呑むようになって、子どもが3人になり経済事情により第3種のビールに格下げした40代は350ml缶2本とアテ(つまみ)が欠かせなくなった。何でも良いのだけど酒と共にその日のつまみを楽しみに家へ帰るようになってしまった。個人差は当然あるだろうけれど、人間の食べ物や飲み物の好みや習慣は年齢と共に変わる。この世に生きて48年、思えばぼくの食生活と呑み生活は大きく変化して来た。
で、今のアタシはとにかく晩酌時のおつまみが楽しみなのである。そして中でも昭和の肉屋S特製の鶏皮のピリ辛揚げは、週に一回ありつければ御の字の希少な絶品おつまみなのであった。

ぼくの前でピリ辛揚げが無くならないことを祈りつつ、無事に順番が来ていくぶん興奮気味に「ピリ辛揚げ150g!」と頼めばいつだってそれ以外買わないのに「他にご注文は?」「ありません!」というやりとりをして、税込178円を渡す。150gはけっこうな量で、子どもたちにあげたってこちらの酒のアテに十分すぎる量なのにたったの178円!このリーズナブルさがまた嬉し。

紙袋に包んでもらってそれをぶら下げて最初の一杯を心待ちに家路を急げば、子どもの頃親父がよく油紙に包んだ鳥のササミ肉を買って帰って来たことを思い出す。親父の晩酌は毎晩キリンラガー大瓶1本と決まっていて、やはり必ず何か一品をお袋が作ったり自分で用意したり買ってきたりしていた。
子どもたち(と言うよりほんとんどアタシ)はその親父が買ってくるつまみが楽しみで、今ではとんと食べなくなったし見なくなった(あるのかな?)鶏の生のササミ肉をにんにく醤油でいただいたあの美味は、今も口中に思い出せるような気がする。そして親父の左横からぼくはビールジョッキを奪ってゴクリと一口いただく。親父が「おいコラッ!」と言っても時遅し。苦いラガービールが喉を通る感触を、記憶にある限りでも小学校の低学年から一口味わっていたことを覚えている。その苦さを美味いと思えたのは、利根川の土手で一人缶ビールを呑むようになった17歳の時。

刺身や生肉が好きだった親父は鶏のササミ以外に鮪やイカ、タコ、レバ刺しや馬刺し等々今思えば工場労働者のつつましい暮らしの中でなかなか上等なつまみを食べていたものだ。
かたや倅は150g178円の鶏皮がご馳走で、それにこれまた月に2度くらいありつける生協の40%引きカツオのたたき(約200円強)が大ご馳走。何もなければ納豆だけをアテにしたり、大竹聡さんの本で知った豆腐に塩をまぶした刻みネギをたっぷりかけて、その上にごま油を垂らすだけで超美味いアテをこしらえたりのつまみライフである。これも時代の違いだろうか?思えば40代の親父は独立し一人で五十嵐工業を立ち上げて意気揚々であった(と思う)。確かに家計は右肩上がりになって行った。間もなくぼくは家を出たけれども。

みんな(と言ってもぼく以外に食べるのは長女と母ちゃんだけ)でカリカリに揚がった鶏皮をつまみ、ぼくは誰も一口呑もうとして来ない麦とホップをグビリと呑んで、今宵は調子の良いヤクルトを子どもと一緒になって応援するのだった。
いつものことだけれど、電車で考えていた事と全然違うことを結局徒然に書いてしまった。それもまたブログ(当人はショートエッセイもしくは身辺雑記のつもり)の面白さでもある。

この国の世情を見やれば、手前らの威嚇は棚上げのまま北朝鮮のミサイルで大騒ぎして、今また共謀罪をごり押しして、たかだか皇室の恋愛話にキャーキャー騒ぎ、二度と取り戻せぬ沖縄のサンゴ礁と森をそれらと同じ時に無言で破壊している。政治は愚かすぎてまともに関わる気は全くしない。しかし、個人の単独発言も十分政治的である。同じ土俵に乗らずとも望まなくともつまみの話でも十分政治的になり得る。マスを求めることが政治じゃない。マスを求めるのはどこぞの国や宗教団体のマスゲームと同じ結果になるだけだ。いわゆる不寛容な集団の出来上がりだ。左だろうが右だろうがぼくは決してそこにコミットしない。瑣末なことを書きそこから天下国家まで語り人間本来の在り方を見つめる。人間本来の在り方を一人一人の日常の中で見つけ実現して行く。4月のかけこみ亭ライブで知念良吉師匠が言った言葉だ。至言である。この言葉を実現するライブを21日の阿佐ヶ谷あるぽらんで知念良吉師匠とソウブラでみなさんに観せます!

今宵のBGMは、ボブ・ディランのブートレッグシリーズ第10週「アナザー・セルフ・ポートレイト」。ディランのアルバムの中でもぼくが大好きな「新しい夜明け」や「セルフ・ポートレイト」のアウトテイクマンチクリンの、至福必至の名盤。
BGドリンクはトマトジュースでした。ではまた、ロケンロール!

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吉祥寺のろ&多摩区お日さま春祭りライブ終了! 

2017/05/14
Sun. 22:21

昨日やる予定だった長女の中学校の体育祭が雨天の為今日に延期となり、毎年出演している地元多摩区の脱原発イベント「お日さま春祭り」は一人で出かけ、その前に母ちゃんが週2日お手伝いしている稲城市のカフェ“宇宙さんぽ”に、母ちゃん手製のお菓子を代わりに納品。

母ちゃんたちをまず中学校に車で送り、いったん戻って準備をし、ライブ機材(充電式アンプ、マイク&スタンド)とギターとお菓子を積んで宇宙さんぽへ。開店パーティー以来のメグさんとらくださんに挨拶をする。すっかりお店としての雰囲気と言うか佇まいが出来上がった感じ。メグさんに先日いただいて愛飲しているレモンアロマオイルのお礼を言うと、自分の声が昨夜ののろライブでの熱唱と風邪なのかアレルギーなのか分からぬ症状による鼻づまりと喉の痛みでハスキーボイスであることに気付く。正直身体もしんどい。自分の出番が終わったら早目に切り上げようと春祭り会場である多摩沿線道路沿い、中野島市営住宅前の公園へ。

震災と原発事故後、川崎市でも高まった脱原発の市民運動と気運の中でスタートしたこの祭りも第5回目。ぼくはおそらくほぼ全回弾き語りで出演している。こうして継続する中で川崎市では市民運動から発電所が開設され、バイオマス等の代替エネルギー利用も進められている。国や政府単位で見た時の完全な原発再稼働後戻りとは逆の、粘り強い脱原発の動きが続いていることを身近な地元のイベントで再確認出来るのはなかなか心強い。

11時に公園に着き、主催のTさんにプログラムをもらうと、ぼくの出番は13:00~の15分。こちらから事前確認をしないのもいけないのだが、地元の運動系のイベントはたいてい当日現地に行くまで出番も時間も分からないこと多し。こちらもそれに慣れてしまった。
しかし、あと2時間を一人でつぶすのは大変だ。車で来ているので酒も呑めない(いつも家族みんなで来て、帰りは母ちゃんに運転してもらえるからしっかり呑んで楽しめる)。それでも見事な太鼓演奏や子どもたちのダンスを観て楽しみ、自分の出番で3曲(①新しい日々②ヒマラヤ杉は知っている③廃炉!)を無事唄う。紹介される時に「五十嵐さんと言えば“廃炉!”」と言われ、実際“廃炉!”ではあちこちから「廃炉!」の声が聴こえた。この歌を唄い出して6年が過ぎたがまだまだ唄い続けなければならない歌だ。

それにしても、一人で機材をセッティングして片づけるのは結構キツイ。ライブを終えてラーメンや焼き鳥、焼きそば、ケバブもある出店で食べようと思ったが、こういう祭りで一人で食べるのがどうにも寂しく感じ、なにせ酒も呑めないのでいそいそと機材を車に積んだぼくは早々に会場を後にすることにした。そしてその時ぼくの頭にはもはや「蕎麦屋」に行く事だけに満たされていた。
一人飯を喰うなら断然蕎麦屋、しかも昨夜のろのライブ後打ち上げの席で蕎麦屋がどれだけ素晴らしいか(特に蕎麦屋で呑む酒とシメに喰う蕎麦)語り合った事が頭にこびり付いていてもうどうにも蕎麦屋に行きたくてたまらなかった。蕎麦屋なら一人でも全然寂しくないと言うかむしろ一人の方が良い。

頭の中でこの近辺蕎麦屋マップを広げ、考えた末に10数年ぶりくらいに稲城市府中街道沿いにある手打ち蕎麦屋S宮に行くことにした。残念ながら近所にあった歩いて行ける美味しい蕎麦屋は数年前に店を閉めてしまったので、このままま車で行くから酒は呑めないけれど仕方ない。とにかく蕎麦屋にこの身を置いて、ゆっくりこの世界で最も好きな食べ物であるたぬきそばを食べられればそれで良い。
かつて、長女が小さい頃までは良く外食していた。今とほぼ同じ給料で扶養家族が少なかったのだから余裕があったのだ。特にS宮は蕎麦好きなぼくのお気に入りで良く行ったものだ。ここは大田区は武蔵新田のF家と双璧を成すぼくにとっての絶品蕎麦屋である。

果たして健在でしかもけっこう繁盛している感じの、久しぶりのS宮のテーブル席に一人座れば徒然に昨夜ののろライブの事を思い出す。生憎の悪天候、そうでなくても厳しいことが予感されていた集客も、こんなことに限って予感が的中するもので少数精鋭5名のお客であったが(もう、本当にいつものことながらこんな時に来てくれたお客さん一人一人を忘れることはありません)、精一杯気持ちを込めて唄い演奏した。5名のみなさんが楽しんでくれたのなら何よりなのだが…と思いつつ個人的な反省点をつらつら思い返す。そして自分が今疲れていることを今更ながら実感する。喉は痛い。身体は変に火照っている。先刻の3曲ライブも精一杯やったが何だか集中力が途切れそうな感じがしていた。そして思う。「ああ、やっぱり蕎麦屋に来て正解だったわ」と。

10年以上ぶりに食すS宮のしっかりコシのある噛みごたえマンチクリンのたぬきそば大盛り(700円)は、涙が出るほど美味かった(汁は色は薄めのいわゆる江戸そば風ではないが、しっかり出汁が効いていてこれまた美味し)。これで酒が呑めれば本当に最高なのだけれど団地に帰るまでの辛抱だ。ちゃんと麦とホップは3缶冷やしてある。
どこか気だるく心地よくもある唄い疲れというやつに身を任せながら、それでもやっぱりライブが好きだと思う。ままならぬ集客は努力し続けるしかない。近場で何べんもライブしているのだからそのリスクはつきまとう(だからと言ってライブを減らせば客が来るかと言うとこれがまたそうでもない)。お店には本当に申し訳ないがその分は自分たちで呑んで貢献したい(それは望むところでもあるから、酒飲みでホンと良かった)。でも、昨夜の演奏は自分で言うのも何だけど良かったと思う。ちょっと頭にも来るけれどお客が少ないとホンと森田は良いギターを弾く。昨夜は隣で何度か惚れ惚れしながら彼のギターを聴いた。森田独自のムーディースローハンドギター爆裂って感じだった。まれに客多い時もたのみまっせ。

ヘトヘトで帰宅してこのまま麦とホップ呑んで寝てしまおうかという誘惑を断ち切って、どうしても行きたいヘルスよしのへこれまた雨上がりの大好きな森を歩いて行った。頑張ったかいがあった。ヘルスよしのは健在の実在の今日も天国であった。
我慢に我慢を重ねて帰宅後呑んだ麦とホップの美味さよ(本当はビールが呑みたい)。そしてまた“生きてて良かった~♪”カンチ兄貴バージョンが頭の中で流れるのだった。

のろライブセットリスト
①森は生きる
②余計な音
③まだ見ぬ兆しを待ちながら
④ファシスト野郎
⑤この星に日が昇る間の話
⑥借り暮らし
⑦寄り添う暮らしの幸せで

⑧いつか ※高田渡さんのカバー
⑨しかられて 詩 竹内浩三
⑩地平線 ※知念良吉師匠のカバー
⑪普通の暮らし
⑫ヒマラヤ杉は知っている
⑬ないしょの話~母の詩集~
⑭ヘルスよしの
⑮命でしかないビート
~アンコール~
⑯ONE GUITAR

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きょうされん東京大会2017ライブ終了! 

2017/05/03
Wed. 22:40

今年も去年と同じように、代々木オリンピック記念青少年総合センターで見上げる空はどこまでも青く快晴で、日差しはこの年一番の眩しさで地上を照らしライブを終えて会場を後にするぼくらを感嘆させた。

自分の内にあるものを出し尽くした虚脱感と、反比例するように満たされる肯定感。時々味わうかつて大好きなパンクロッカー故ジョー・ストラマーが言った「自分の居るべき場所でやるべきライブをやった」という言葉そのままの達成感に、メンバー全員が包まれたきょうされん東京大会ライブが今年も終わった。

昨年から半ばサービス、半ば次に自分の歌を聴いてもらうための“掴み”として唄っていたカバー曲(たいていがソウブラ風にアレンジした「上を向いて歩こう」)を唄う必要がなくなり、今年も最初からセットリストに入れず全曲オリジナルで臨む。と言うのも、もう定番の何曲か(「新しい日々」「結風」「廃炉!」等)は歌詞をみんな覚えてくれていて、イントロが始まればみんなノリノリで応えてくれるからだ。後はみんなのノリと全身で楽しもうとする気持ちをこっちがちゃんと受け止めて、実際出来はしないが倍返しするつもりで魂込めて演奏し唄うだけだ。

しかし、昨日ライブをしていてふと感じたのは、ライブをするぼくら以上に、きょうされん東京大会に参加しているたくさんの障害当事者(多くが知的障害の人たち)と、彼らに寄り添い一緒に楽しんでいるスタッフたちの方がぼくら(ソウブラ)を無条件に受け止め受け容れてくれているのではないかということだ。
この日どうしても唄いたかった「命でしかないビート」を、相模原事件のことを話してから演奏を始めると、車椅子の男性が上半身をゆすって強くリズムを取りながら両手を叩いてビートを刻んでいるのが見えて胸が熱くなった。ぼくは「みんなの命でしかないビートを鳴らそう!」と叫び、途中からは湧き上がるままの咆哮を上げながら会場を満たしているビートに身を任せたのだった。
「最後の曲」と紹介して“結風”を唄い出そうとすればその時点で「アンコール」が起こり(笑)、異例の本編最後の曲を唄う前にアンコールをやる宣言をして、そのもらったアンコールの声にはしっかりと「廃炉!」のうれしいリクエストが付いていた。理屈抜きに音楽をシンプルに感じたまま楽しんでもらうのはもちろんうれしいが、やはり歌詞を書き意味ある歌として言霊を乗せた言葉を届けたいぼくは、どんな風であっても「歌」が伝わっているのを感じるのが何よりもうれしい。中でも100%メッセージだけで出来ていてここのステージで7年歌い続けている「廃炉!」をリクエストしてもらうのは、メッセージシンガー冥利に尽きるというものだ。

ボーカルは会場備え付けのワイヤレスマイク、マイクやアンプ類は持ち込んだり東京大会参加施設が持ち寄ってくれたものを借りてのモニターもないシンプルな音響設備で、数百人入る会場で大盛り上がりの中ライブするからこちらは互いの音を何とか聴き取りながらの演奏となるが、このような環境でライブさせたらソウブラの右に出るバンドはそうはいないのじゃないかという自負はある。それで十分自分たちを燃焼させ自分たちの音楽を表現出来る。なんもかもお膳立てされて「さぁ、どうぞ!」としてもらう場所でしかやったことのないバンドとは鍛え方が違います。

ライブ後、こちらは名前を知らない人(毎年ここで会える人も多し)から「五十嵐さ~ん!」と声をかけられ、握手したりハイタッチしたりして再会を約す。続くこと、続けることの大切さありがたさかたじけなさが身に沁みる。今年もありがとうでした!きょうされん東京大会。

きょうされん東京大会2017ソウブラセットリスト
①この素晴らしくない世界で
②新しい日々
③君と同じ
④命でしかないビート
⑤結風
~アンコール~
⑥廃炉!

今日(5月3日)は、多摩区憲法まつり&ピースパレードでパレード直前ソロで1曲入魂「ファシスト野郎」を唄いました。
会場である登戸三角公園の子ども広場で、息子と割り箸ゴム鉄砲を作って遊んだりご近所さんのF君が見事なコマ回しを披露、息子に伝授してくれる等なかなか充実の一日。けれど、先週来から続いた呑みで小遣いが早くも残り半分になってしまい、GWの資金稼ぎに夕方町田へCDを売りに行き、4000円強GET。1回以上の呑み代は取り戻せた勘定。5月はまだ始まったばかりだぞ~(涙)。

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今夜は仕事帰りに登戸駅で下車して、再開発真っただ中(やらないでほしかった。絶対武蔵小杉のようにはしてほしくない)の更地の目立ち出した路地を歩き多摩区役所と併設した多摩市民館へ。

ギターとライブ道具を車で持って来てくれた母ちゃんと待ち合わせて、大ホールで開催されている「たま憲法大集会」に途中から参加する。
改憲の企みと流れが止まない施行70年の日本国憲法を、地域から見直し再評価し選び直す取組みに異議はない(さらに安保破棄)。特にぼくは第9条の完全実現を、自分の生涯かけてこの国と社会がどうなろうと捨てることなく追求したいと願う者だ。

そして、この地元川崎市多摩区の憲法大集会の第二部(第一部では、作曲家の池辺晋一郎氏と無言館館主の窪島誠一郎氏の対談であった)後半の市民からの発信の最後で、ぼくが登戸研究所保存の会からの発言として「ヒマラヤ杉は知っている」を弾き語ることになったのだ。
会の進行、段取り、ステージ前の準備等は全て当日会場で確認。ぼくの持ち時間はわずかに5分、「ヒマラヤ杉は知っている」を歌ったらちょうど終わってしまう。これでは朗読劇のことを紹介出来ない。今日は仕事中もどうやって5分で登戸研究所のことと朗読劇のことを説明し唄ったら良いか考えていたが、どうやっても5分では収まらないのであった。

大ホール客席に400人近く(後から聞いたら参加者650名!だったそうな)入ったのではと思われる舞台に他の発表者たちと立てば、一番前に時間を知らせる係の人が居て1分前とか30秒前とか大書された紙が発表者に向けられている。あれを出されると何か気が散るなぁと舞台で思いつつ、ぼくは自分の出番となってマイクが歌とギターの前に置かれると、ごくごく簡単に登戸研究所で戦時中に行われたことを朗読劇にして公演していることを語り、その朗読劇のテーマ曲を書いたのでこれから唄うがあらかじめ持ち時間をオーバーすることを宣言してから歌に入った。これでぼくは多少楽になった。客席はちょっとタイムオーバーするくらいかまわないという雰囲気になってくれたので、存分にフルコーラス「ヒマラヤ杉は知っている」を大ホール中に響かせた。1曲必中だったから声も良く出ていたと思う。音の響きが良いから気持ちもずいぶん入った。

と言うのも、地元の大きなイベントということもあって実に顔見知り、ご近所さんと多く遭遇し朗読劇団の仲間も大勢来てくれた。何と団地のお隣さんとも会って、「これは下手は打てんぞ~」と良い意味気合いが入りました。こんなに熱くこの歌を唄ったのは初めてじゃないかしら?やはり、登戸研究所が実際にあった町のリアルな場力がそうさせたと思うし、ぼく自身が登戸研究所のことを伝えて行く朗読劇にやりがいを感じているからだと思う。社会情勢がどうなろうと政治が底なしに腐り続けようと、やるべきことを、人間として在るために大切なことを、自分に出来ることでやり続けるだけだ。それが、こんな大好きな地元のイベントで出来ることもまた楽し。

今年のゴールデンウィークは、5月3日に登戸駅近くの通称三角公園のピースパレードに先立つイベントで唄い、14日は毎年参加している多摩川近くの市営住宅中野島住宅前の公園で開催される、地元の脱原発イベント「お日さま春祭り」で唄う。小さな地元のイベントでそれぞれ3~4曲だけれど、ぼくはそうやってソロで唄うことにもけっこうやりがいを感じている。早速「ヒマラヤ杉は知っている」のリクエストも来ているのだ。

今夜は久しぶりに母ちゃんに手伝ってもらって2人でやったライブ(母ちゃんは出演しませんが)。帰りの車中「どうだった?」と聞くと「音良かったよ」とのこと。考えてみればもう子どもたちだけでちゃんと留守番出来る。週に数回稲城のカフェ「宇宙さんぽ」のお手伝いにも行っている母ちゃん。この春の我が家の動きの中で何気に母ちゃんが一番大きく動き出したのかもしれない。ホンと頼りがいある我が家の大黒柱である。お疲れさんでした。

明日はアタシの誕生日、ソウブラの仲間とよろづ湯入ってのろ呑み行くぞ~。

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2017-05