周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

我が家から車だと約15分、電車だとJR稲田堤駅から一駅立川方面に行った矢野口駅を下車して徒歩約10分の所、多摩川沿いのホームセンター「くろがねや」の真裏の住宅街にステキなカフェがオープンした。

11:00~16:00までのカフェ&ランチタイムを担当する“宇宙さんぽ”のメグさんと、“U UM U(うむう)”のなおみさん、それに17:30~22:00までの夜のバー・ドリンク・おつまみタイム担当の“らくだBAR”らくださんの3人が共同で始めたそのカフェの、今日はオープニングパーティーであった。
以前から、近所に住むなおみさんの主宰するヨガ教室に参加してそこに手作りパンを持って行っていた家の母ちゃんが、このカフェにパンを出すことになって「景気づけに歌いに来ない?」とアタシに声がかかったのであった。

午前中の部活を終えた長女を待って、家族5人でカフェーに向かう。わりと近所に、しかも母ちゃんが関わることになった新たな手作りの場所が出来ると言うのは何ともうれしいもの。それにカフェのチラシにあるように、“私たちは、地球と心とからだを大切に思い、「本当に豊かなLIFEを循環すること」をテーマにしたカフェです”というコンセプトがとっても良いじゃありませんか!?

のどかな春の多摩川を横目に、その沿道を左に入ったすぐの所にカフェがある。もちろんどんな交通手段で来ても良いけれど、自転車で多摩川べりを走ってこのカフェに来るのが最高じゃないかと思う。玄関の外にはちょっとしたオープンスペースもあって、住宅街だけれどとっても開放的。これは気持ち良いぞと着いた早々に気分が上がる。
店内は入り口そばにテーブル席が両側にあって細長い店内奥は、なんと座敷になっていて絵本やおもちゃが置いてあり子連れのファミリーでものんびり楽しめる空間になっている。
我が家の一同は奥の座敷の一角に腰を下ろして、パーティーでバイキング形式となったお店の料理や持ち込みのデザート、お菓子類を子どもたちといただく。どれも美味しいのは言うまでもないが、生ビールもあれば大きめのデキャンタにフルーツがそのまま浮かんでいるワイン!もあって、これがまた美味くて親父はクイクイ呑んでしまう(早くも2日前の散々な目に逢った二日酔いのこと等は遠くに忘れ去っている)。

パーティーには入れ替わり立ち代わりたくさんの人が来店して、母ちゃんがパン作りの技術を教えてもらっている方や初めて見た楽器「真琴(まこと)」という、オートハープのような琴を弾き、鉄製の澄んだ音色を奏でる楽器を演奏するヒーリングミュージシャンの方等、実に豊かな人の交わりがすでにこの場で生まれていた。
そんな中でアタシは、もうこの歌しかないでしょうと「結風」を歌わせてもらい、グッドヴァイヴレーションのみなさんと一緒に“か~ぜに~ふ~か~れ~♪”と、住み慣れ親しんでいる多摩川を渡る風を思って気持ち良く歌わせてもらった。すると、宇宙さんぽのメグさんもシンガーとのことで、帰り際にもう1曲「スタンド・バイ・ミー」をぼくのギターで歌ってもらったのだが、これがまたメグさんの声が実にソウルフルで温かく、惚れ惚れしながらジョン・レノンバージョンの「スタンド・バイ・ミー」を楽しく弾かせてもらった。

このお店も生音の響きが実に気持ち良い空間。ぜひソウブラでライブしたいと思った(真空管アンプもあって、レコードも聴けマス!)。
でも、それよりなにより、あんまり自分からはグイグイ行かない母ちゃん(そこが彼女の良いところでもあります)が、自然な縁や人との繋がりを通じて彼女の持っている良いものを発揮出来る場所と、声をかけてくれる人と出会えたことがアタシとしてはうれしい。それに歌うことで花を添えられたらと今日は思っていた。母ちゃんは相変わらず「私なんかで良いのかしら」って感じだったけれど、そこはたくましい母となった今も本当に出会った頃と変わらないどこまでも謙虚な人なのであった。
これからこの小さな場所から、生きるためのたくさんのメッセージや音、地に足付けた情報がたくさん発信されるだろうと思うとワクワクして来る。それを美味しい食べ物(カレーがまた美味い!)と酒を味わいながら受け取れると思うと、何だかそれだけで豊かな気持ちになる。この世界にはまだまだ本当に豊かになれる、それを目指す隙間がある。

みなさん、ぜひぜひ稲城のステキなカフェ&BAR「宇宙さんぽ&U MU U(うむう)&らくだBAR」へお出かけください!
まずはとりあえず、ソウブラで飲み会したいなぁ。

宇宙さんぽ&U MU U&らくだBAR
稲城市押立1777-35 TEL(問合せ)090-8029-5491(永浜まで)
南武線矢野口駅北口徒歩10分 多摩川沿いホームセンター“くろがねや”さん真裏。

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ごくごくまれに、酒当たりとしか言いようのないひどい二日酔いに見舞われることがある。

18日の朝がまさにそれとなり、前夜遅くまで久しぶりに同業者(元無認可共同作業所職員)の、しかも今では本当にわずかとなったぼくより年長の先輩たち(ぼくを含めた四人の内二人は還暦を過ぎ、一人はアラ還)と中目黒で二軒ハシゴ酒をして無事帰宅したものの、寝床についてからにわかに具合が悪くなり、翌朝まで40分おきぐらいにトイレで吐き続けた。

18日は両国でのライブがあるからと、ぼくは理性をしっかり作動させてそんなに量は呑まなかったはずだが、この夜の酒宴は久々のこの面子ならではの話に花が咲いたものの、何だか酒が五臓六腑にズシリと来ていつものようにスルスルとは呑み進まなかった。たぶんこの週もいろいろあって疲れていたのだと思う。その疲れはもちろん肉体的な疲れだけではなく、それ(ストレス)はぼくの場合たいてい宿痾でもある胃腸へ出て来る。
「なぜ?」「しまったぁ」と思いながら、成すすべもなく胃液だけになっても収まらぬ吐き気に促されて布団から便所への往復を繰り返し、外が白々と明けて来ると気分はどんどん絶望的になって行った。ライブが出来る身体とはとても思えない。指を突っ込み吐き過ぎて喉は痛いし、弦を張り替えて出かける準備をすることなどとうてい無理であった。それでもともかくこの辛さが時間の経過と共に過ぎ去るのを信じて待った。

吐き気の周期がだんだん長くなり、どうにかギターの弦を張り替え軽く歌ってみるもしんどくてたまらない。胃はすでにからっぽだが食欲は全くない。これから両国まで出かけて2時間ライブをやるのにこのまま何も食わないのではさすがにもつまいと思い、出発時間ギリギリまで回復を待って、ようやく母ちゃんの作った具だくさんの味噌汁を一杯だけ飲むことが出来た。毎日食しているけれど、米と大豆と塩だけで作られた生きた味噌と、人参やキャベツとしめじ等の具が前夜の酒とは全然違う意味で五臓六腑に沁みた。まさにエネルギーが注入された感じがしてようやくにして「ライブやれるかも」という気にさせてくれた。当たり前な話だけれど、こんな時にカップめんや菓子パン等の類は食う気にならないし、たぶんぼくの身体を生き返らせてはくれないだろう。生きた食材を身体にいただくことの大切さをあらためて感じた次第(と言う前に酒を控えなさい!)。

おかげで身体は重いもののギターを背負って、荷物を持って電車に乗り無事に両国フォークロアセンター1階一つ目ギャラリーに行く事が出来た(本当は早めに出かけてフォークロアセンターからそれほど遠くない松尾芭蕉記念館を見学するつもりだった)。
フォークロアセンター主宰の国崎さんに声をかけてもらって、ここ3年ほど続けて江島杉山神社で7月最初の日曜日に開かれる隅田川フォークフェスに出演させてもらっているのだが、神社のほぼ真向かいにある1970年開館の両国フォークロアセンター(かつては2階のセンターでライブをしていたが、現在は階下の元蕎麦屋さんを一つ目ギャラリーとしてそこでやっている)で、ソウブラが初めて単独ライブをさせてもらうことになったのだ。そんなせっかくの初ライブを重い二日酔いでキャンセルなんて、ソウブラバンド史上最大の汚点&恥になるところであった。

この拙ブログで、50年近い両国フォークロアセンターの歴史をまだまだ新参者のぼくなどが書けるはずもないが、初めてここでソロでゲストとして数曲歌わせてもらった7年前から、すぐそばを流れる隅田川の流れのような何か脈々と刻まれて来た(来ている)ものをここで感じる。その刻まれて来た流れにぼくも乗りギターを弾き歌うことがとても心地良い。高田渡さんや友部正人さん、そして我が師豊田勇造さんに中川五郎さん、アメリカンフォークの重鎮デイヴ・ヴァン・ロンク氏にランブリング・ジャック・エリオット氏等々どれだけの人がここに足を運び生ギターを鳴らし肉声を響かせたことだろう。その一音一音がこの建物の壁や梁に沁み込んでいて、それがずっとここで通奏低音となって鳴り続けここで今歌う者と響き合っている気がする。しかし、それだけではない。この場所が両国にあるからこその、ぼくの全く知らない東京東部の古い街の歴史とも響き合っていることも絶対に欠かせない。ここはあくまで両国フォークロアセンターなのだ。

ありがたいことに、この場での初のソウブラライブに10人近くのお客さんが来てくれた。さいたまの江上さんはぼくも最初思ったように、センターと言う名前にどことなく広い場所を想定していたようだがここは生音が良く響く、とてもこじんまりとしたまさにソウブラ向き?の親密空間なのだった。
不思議なもので、ここの場力をいただいたのか家では全然出なかった声が本番では嘘みたいに出た。さすがにハーモニカを吹いている時に空腹からか頭がクラクラしたが、それでも途中から日本酒をもらいながら全く準備出来なかったMCもその場のノリでアドリヴでポンポン出た。数時間前の自分が信じられないくらいある意味絶好調なアタシとなっていた。分からないものである。けれど、ライブとは歌うということはやはり身体に心に良いことなんだと思う。少なくともぼくは歌うことで元気になっている人間であることは間違いない(もちろん無理は出来ませんが)。

良い感じで盛り上がってアンコール含めて16曲歌い切った後は、フォークロアセンター恒例の懇親会(打ち上げ)をお客さん全員参加してその場で開く。
ほとんどが初めてフォークロアセンターに来た人たちで、国崎さんやご近所から観に来てくれたお客さんにフォークロアセンターや、両国の街の話をたくさん聞いた。東京の下町の庶民の歴史は、きっとその街ごとに今はもうない風景と共にありいつの間にか消えてしまった(消された)歴史も多いのだろう(この夜の話を聞いて、ぼくは去年隅田川フォークフェスの古本市で購入した「東京の下層社会」という本のことを思い出し今日から読み出した。この本にもまさに首都近代化の流れに置き去られた人々の姿が描かれている)。これがまた初めて聞く話ばかりで「へぇ~っ!」という感嘆詞が出っ放し。ご用意していただいた美味しい食事と、いつしかぼくはしっかり迎え酒をしながら和やかに談論風発な時間を楽しんだ。しかし、体内電池はとうに切れていたらしく、せっかく国崎さんから渡された出演者メッセージを書く色紙の内容がボロボロ。森田と梅ちゃんに任せれば良かった。国崎さんすいませんでした。そして、ソウブラにこんなステキな場所でライブさせていただき本当にありがとうございました!また夏の隅田川フォークフェスよろしくお願いします。

最後に、ご来場いただいた最高のお客さん達、どうもありがとうでした!!

ソウブラ両国フォークロアセンターライブセットリスト
①2011年3月20日の満月
②この素晴らしくない世界で
③変わらない夜道
④人の世の熱のある場所で
⑤この時代を往く
⑥普通の暮らし
⑦激しい雨が降る (ボブ・ディランのカバー)

⑧ぼくもいくさに征くのだけれど 詩 竹内浩三
⑨日本が見えない 詩 竹内浩三
⑩ヒマラヤ杉は知っている
⑪ないしょの話(母の歌集)
⑫命でしかないビート
⑬ヘルスよしの
⑭ファシスト野郎
⑮ONE GUITAR
~アンコール~
⑯結風

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第14回すばるまつりライブ終了! 

2017/03/05
Sun. 21:34

今朝は心地良い二日酔いで目が覚めた。

心地良い二日酔いなどあるものか!?と言われそうだが、それがまれにあるのだ。頭は重いが気持ち悪くはなく、前夜の深酒に後悔の念も無い。けれど確かにダメージは残っている。そんな二日酔いがごくまれにあって、今朝がまさにそんな日であった。

昨日は、野方の商店街の中にあるふれあい広場で開催された、主に精神障害者の利用する事業所(要するに同業であります)すばるカンパニーさん主催のすばるまつりでライブした後、野方の昼からやっている餃子が売りの居酒屋で日のあるうちからバンドメンバー4名(タケサンシン山村君は子連れだったので帰宅)と呑んだ。小売店の多い雰囲気ある商店街で昼間の野外ライブ、音響もぼくらには滅多にないPA完備のまさにロックバンドっぽく増幅された音。広場には子どもからすばるカンパニーの人たちや、通りすがりの人、まさに老若男女が良い感じで集ってぼくらのステージを観てくれる。そんなライブが楽しくないわけがない。その直後の、ご苦労さんも兼ねて初めて訪れた街での呑みがこれまた楽しくないわけがない。

この日のぼくは一つ呑み方を決めていた。それは最近寝床で再読した酒とつまみ社刊の大竹聡著の「中央線で行く東京横断ホッピーマラソン」(アタシは文庫化前の初版を持っている)に大いに感化され、ぜひ腰を据えて一度とことんホッピーを呑んでみようという決意であった。もちろんホッピーはこれまで何度も呑んだことがあるけれど、たいてい先に他の酒を何種か呑んでからホッピーセットを頼むことがほとんどなので、ホッピー呑みなら当然分かっている中(焼酎)と外(ホッピー)の割合やお代わりのタイミングがすでに酔っぱらっているからてテキトーになってしまい、最後にどちらかが変な残り方をして終わることが多いのだ。

しかし、大竹氏の名著を読むと実にホッピーの中と外のコンビネーションが良いことに感動しそれに憧憬して、いつかそのコンビネーションを真似て存分にホッピーを味わいたいという気持ちを抱いていた。ありがたいことに、ホッピーは庶民の酒(工場は調布にある)であり安上がりなので存分に呑んでも懐のダメージも少ない実に挑みやすい酒なのであった。
たまたま入ったその餃子居酒屋は、まさにホッピーの当たり店であった。まずホッピーセットを頼み、大竹さんが書いたように外1本で中を3杯呑もうと思い、早速呑み干して中のお代わりをお姉さんに頼むと、お姉さんはマジックでナカとカタカナで書かれた大きなヤカンを持ってこちらにやって来て、「好きな所でストップと言って下さい」と言うではないか。驚いたぼくは「えーっ!?どこまで入れてもらっても良いの?」と聞けばコクリとお姉さんは頷く。ぼくは、なみなみ注いでもらいたいのを外で割ることを考えこらえて6分目くらいでストップをかけた。これだって通常の中の2倍ほどの量だ。そんなアトラクション的なお店のお姉さんとのやりとりを楽しみながら、結局セットを3回と中のお代わりを3回ずつして、シメには4人で大好きな山崎のハイボールを呑んで大いに盛り上がり4時間ほどで店を出た。

ホッピーセット3回といううことは中3杯で、2杯分は優にある中のお代わりを3回しているので、3杯+2杯×3回=9杯!焼酎の中を呑んだ事になり、さらに山崎を1杯呑んだ。餃子やチャーシューにキャベツの浅漬け等もつまみで頼んで、一人ほぼ3000円ずつで済んだから安いものである(同席のギター森田君はアタシと同じホッピーで攻め、ちきんベース君とうめちゃんはもっぱらソーダ割り系であったような)。しかし、野方駅でみなと別れてから団地に戻るまでの記憶がほとんどない。慣れない西武新宿線を乗り継ぎ、キャリーでアンプを転がしながらの大荷物だったが忘れ物もなく、どうやらちゃんと風呂にも入って布団に寝たようだ。子どもらの話によると、大荷物抱えてドカドカとえらい上機嫌で帰って来たぼくは(たぶん、9時過ぎには帰ったはず)、お姉さんがホッピーの中を好きなだけ注いでくれたことを誰も聞いていないのに何べんも語り、子どもたちが無視するや否や、突如北の国からの田中邦衛氏演ずる黒板五郎に変身して「子どもがまだ食べてるでしょうが!」と何べんもモノマネをしてさらに無視されると、しつこく「なぁ、家族みんなで「北の国から」を最初から全部観ようよ」と言い寄り、それでも無視されると急に倒れるように寝てしまったという(それでもどうやら夜中起きて風呂にだけは執念で入った模様)。覚えてないな~。

と言うわけで、今日はその時息子に約束したという永山のブックオフバザールへ車で連れて行った。
夕方はもちろん我が極楽銭湯ヘルスよしの。この時期花粉症がツラいので森歩きはちょっと自粛するのだが、やっぱり春の気配を感じに歩きたくなって多摩美の森を通って行った。森は匂いも風も木々も地面から萌ゆる草もすべてが春を告げていた。命はまたも春を迎えたのだ。それがどんな春になろうとどんな春であろうと。そして春の酒もまた美味い。

すばるカンパニーの皆さま、音響をやっていただいた笑進笑明音楽隊の皆さま、すばるまつりお世話になりました!

第14回すばるまつりソウブラセットリスト
①ほんとうのさいはひを求めて
②新しい日々
③君と同じ
④結風

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ロケンロールライフ767 

2017/03/02
Thu. 23:03

昨日の東京新聞朝刊で、相模原殺傷事件を起こした植松被告と東京新聞記者が接見した記事を読んだ。

15分と決められていた時間の中、会話できたのは10分にも満たなかったというその短いやり取りは、何回読んでも不可解さと共にどこまで目を凝らしても見通すことの出来ない人間の心の底暗さを思わせた。
どうやら朝日新聞も同じように接見したようだが、ネットでちょっと読んだそれと、東京新聞記者とのやり取りは微妙に違う感じがした。

植松被告は、接見した東京新聞記者に対してまず丁重な口調で遺族に対するおわび(「私の考えと判断で殺傷し、遺族の皆さまを悲しみと怒りで傷つけてしまったことを心から深くおわび申し上げます」)をし、その言葉にうそ偽りはないということをわざわざ付け加えたと言う。しかし、その丁重なおわびに続けて語った謝罪理由として「重複障害者を育てることが、想像を超えた苦労の連続であることを知っているからです」と淡々と語って机に付きそうなほど頭を下げてしばらく動かなかったとのことだが、ぼくには何度読んでも、重複障害者を育てる苦労を自分が知っているということが、その家族である重複障害者を殺された遺族への謝罪の理由に何一つなっていないとしか思えない。けれど、植松被告がこの完全に矛盾したとうてい通りっこない謝罪理由を微塵も自分で疑っていないことだけは強烈に伝わって来る。

この彼の態度に面食らったであろう記者氏の動揺が伝わるかのような、「遺族の方は許さないと思う」という記者の問い(?)に、植松容疑者は首を傾け1、2分考えて「以上となります」と一方的な打ち切り宣言で応え、さらに食い下がった記者が「亡くなった人にはどう思うのか」と聞くと(朝日新聞記者とはこういうやりとりはなかったような)、髪をかきあげまた少し考えた後で、やはり一方的に「終わらせていただきます」と席を立って頭を下げ、面会室を出て行ったという。読む度にその短いやり取りの様子が目に浮かび、いつしかぼく自身が植松被告に接見している場面を想定してしまうのだ。

とにかく、彼が犯行時から考えを変えていないことだけは良く分かる。あれだけ直接行為としての殺人を犯しながら、命を奪ったそのことよりも、遺族である重複障害者を持つ家族の大変さは良く分かるとよどみなく堂々と新聞記者に語る心性とは何なのだろう?
考えた所で理解出来っこないと、あんな狂人は放っておいてつつがなくなにも無かったかのように戻した日常を過ごせば良いのだろうか?ぼくはすでに、彼は現代社会が生んだ人間であり福祉の現場が彼の歪んだ思想を醸成させ、その実行に至らしめたと書いた。そしてそのことに、この短いけれどどうにも腑に落ちず考え込ませる記事を読んでやはり確信を深めた(ぼくがそんな確信を深めたところで、植松被告の闇の何一つ分かるわけでもないのだが)。

彼が拘留されている間、自分の犯した事件を含めた社会の出来事をどれだけ見聞きしていたのかは分からないが、もし彼が例えば自分が殺した19人の障害者の名前が公表されていないことや、それが全員ではないが家族(取りまとめる施設の家族会)の意向であること。見直しの声が上がって再検討を言われているが、同じ場所に同じような大規模施設を再建し事件前と同じ環境が整備されようとしていることを知っていたとしたら、ぼくは彼が東京新聞記者に対して淡々と語った論理の破たんした謝罪の理由が少し分かるような気がしてくるのだった。彼はおそらく分かっている(つもりでいる)。結局社会は瀕死のハリボテをまたも再建し、自分こそはそれを現実に打ち破ってしまった選ばれた人間なのだと。この社会は、事件の解決を言いながら彼に手を貸し続けている。彼は実はそんなニッポンを心底信頼しているのではなかろうか?ならば、ぼくらはそんなニッポンを潰さなければならない。彼とは真逆の思想とやり方でハリボテを壊さなければならない、と思う。

今宵のBGMは、ボブ・ディランのブートレグシリーズvol.6「ボブ・ディランライブ1964」。毎日トランプのニュースを聴かされたり、世の中の混沌を感じるほどボブ・ディランを聴きたくなる。20代の時からずっとそう。ディランの歌は混沌の中で決して揺るがず利用されない。他人も利用しない。だから信頼出来る。

BGドリンクはトマトジュースでした。ではまた、ロケンロール!

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「今日の~仕事は辛かった~♪」そんな一節が口から出るのも当然。

土日と2日間濃くて熱いライブ(ライブはいつも熱いのですが)をやりきって翌日の仕事、楽なわけありません。職場に行くだけで大変。それでも午前中は前日の勢いが残っていて何とか行けます。けれど、午後からは弁当食ってもどんどんエネルギーが自分の身体から抜けて行くのを感じ、電話相談でも頭が朦朧として来て言葉が出にくくなったり呂律が怪しくなったりするのを誤魔化しながら懸命に今日一日を駆け抜けました。帰り道頭に浮かぶのは、そう、晩酌&夕飯後のあの大好きな布団に潜り込む仮眠の一時ばかりなり。

それでも、昨夜の吉祥寺のろは、いつもよりちょっと早めに切り上げてAM1:00過ぎには床に就いたのですが、やはり歳なのかもともとある方じゃない回復力は確実に落ちているのを隠せない今日この頃。それでも25日のスペースCライブに来てくれた施設利用者氏や同世代の同僚からは、「タフですね~」と言われる。確かに俗に言う二足の草鞋を履くには、単純に一足だけの人の倍動かなきゃいけない(そして休みはなくなる)わけだからスタミナも倍ないといけない。まぁ、どちらかと言うとタフなのかもしれない。でも二足以上は絶対履けない。絶対履きたくない。文章を書くのはアタシの場合道楽であり、ガス抜きであり毒吐き(?)。

25日の今年初のスペースCワンマンは、ライブが連続している中だったので集客が心配だったが、スペースCライブを楽しみにしてくれているお客さんが10人以上(!)来てくださり盛り上がった(歌詞を覚えて一緒に唄ってくれる人が居るのもここならでは)。しかも、10年以上ぶりにスペースCに来てくれた中学校の同級生Eも来てくれて(このブログにリンク貼ってあるソウブラの“グローカル・ア・ゴー・ゴー”“狭量と独善”をカバーしてくれた友人)、燃えた。ぼくにギターを教えてくれ、高校時代のパンクバンドでも一緒にやったことのある彼に、現在のソウブラを観てもらえるのはうれしい限り。音のバランスが良かったことと、アタシのMCも誉めてもらいました。なにせ、高校時代はMCなんかほとんどなかったので。

21年目を迎えたスペースCも、この日はI夫妻の夫の方が体調悪い中2人で切り盛りしてくれたが、ぼくがくたびれて来ているくらいなのだから、ぼくより20歳上のI夫妻はもっとくたびれているはず。それでも、こうしていつものように店であり地域活動支援センターⅢ型であるこの店を開け、ぼくはぼくでやはりいつものようにライブをやる。期待をされたりそれに応えられなかったりがありながら、なおもそこでいつか終わる時まであり続ける。そんな確かで熱い刹那を、歌と音楽としゃべりとメンバーとお客さんと店とで創り上げた実にステキな夜(ライブ)だった。

スペースCライブのことをこう書いたら、翌日の吉祥寺のろ支援「まめにのろくるまみむめもマラソンライブ」もまさにそんなライブ&夜であったことに気付く。吉祥寺のろに思いを寄せ、この店でまだまだ呑み喰い語り歌いたい人たちがそれぞれの思い(愛と言って良いだろう)を持ち寄って、誰はばかることなく遠慮も気兼ねもなく、それを出場者全員で思いきり解放したマラソンライブであった(初日は観ていないがそうであったと確信している)。
何だろうなぁ、両日共欲得なしにその空間を愛を持ってひたぶる創り出す喜びばかりそこにあったことがとびきりうれしかった。そんな空間と時間に自分が身を置き関わりパフォーマンス出来ることを幸せと呼ぶしかない一時だった。そこに核となる小さな場所が在る。しつこく言うが、すべての人の要求や希望には応えられない。開き直りに聞こえるかもしれないが、それが一人の出来る事であり、その自覚の下になお小さな発信を続け扉を開けておくこと。うん、それだ。

両日ともライブの最後は「結風」を唄った。テレビで流してもらったからっていうわけばかりでもないが、この歌の意味が今また自分の中に沁みて来る。この歌を書いてちょうど10年、多作で次々に古い歌を唄わなくなるぼくには珍しく全く唄い飽きない数少ない歌の一つ。これからもこの「結風」を唄い風に乗せ続けて行きたい(たまに電波に乗るのも悪くない)。

充実の2daysライブ、ご来場のみな様、共演したミュージシャンのみな様、そして大好きなスペースCと吉祥寺のろ、ありがとうございました!

2月25日スペースCセットリスト
①ほんとうのさいはひを求めて
②ぼくらが創った夜に
③この素晴らしくない世界で
④君と同じ
⑤再会の夜に
⑥この星に日が昇る間の話
⑦グローカル・ア・ゴー・ゴー
⑧ヒマラヤ杉は知っている

⑨寄り添う暮らしの幸せで
⑩ファシスト野郎
⑪終わり始まる日のあの場所まで
⑫ないしょの話(母の歌集)
⑬命でしかないビート
⑭余計な音
⑮ヘルスよしの
⑯ONE GUITAR
~アンコール~
⑰結風

2月26日吉祥寺のろ
①この時代を往く
②新しい日々
③再会の夜に
④この星に日が昇る間の話
⑤鮪に鰯 高田渡さんのカバー
⑥ヘルスよしの
⑦結風

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2017-03