周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

新曲「LEARNING TO FLY」 

2017/10/11
Wed. 22:54

LEARNING TO FLY
原曲 トム・ペティ 意訳 五十嵐正史

ぼくは歩き出す うす汚れた道を
ぼくは歩き出す そう自分で決めた
日が落ちた 丘を横切り
見える街の灯り 止まったままの世界
飛び方を覚えた でも翼はない
降りて来るのは 飛ぶことより難しい

旧き良き日々は もう戻らない
岩は溶けず 海は燃えはしない
飛び方を覚えた でも翼はない
降りて来るのは 飛ぶことより難しい

誰かが言ってた 人生が人を打ちのめす
心を砕き 王冠は奪われる
だから歩き出す きっと神様は知ってる
ぼくがいつどこへ たどり着くのかを
飛び方を覚えた でも翼はない
降りて来るのは 飛ぶことより難しい
飛び方を覚えた 雲のまわりで
登り詰めたら 降りるしかない
飛び方を覚えた でも翼はない
降りて来るのは 飛ぶことより難しい…


先週からトム・ペティを聴き続けている。そしてあらためて彼が素晴らしいソングライターであり、普段着のロックンローラーであったかを再認識して益々好きになっている(若い頃はそのブチ切れないシンプルさ、クールさに物足りなさを感じたこともあった)。
頭の中では大好きな「ラーニング・トゥ・フライ」が流れ続け、気付けば英和辞典を片手に訳し出していた。
ぼくが持っている発売当時に手に入れたCDの訳詞では、サビは“俺は飛び方を習っているが 翼が無いんだ 落ちぶれるのは 一番辛い”となっているのだけれど、どうもしっくり来なくて(特に「落ちぶれるのは一番辛い」)英詞と辞書を何度も見比べたがなかなか良い訳が思い付かない。元の詞の“coming down”を文字通りに「降りる」と訳すか、“hardest”を「辛い」と訳すか「難しい」と訳すか等々自分がどんな気持ちをこの歌に込めたいかもはっきり出来ずに行き詰った。

それが今日の仕事の帰りにCDウォークマンで何度もリピートしてぶつぶつ唄いながら聴き続けていたら(かなり怪しいおっさんである)、ふっと「降りて来るのは 飛ぶことより難しい」という言葉が浮かんだ。それはあまりに今日職場でぼくが強く感じたことそのものであった。一人で机に向かって悶々としているだけではぼくは歌は書けない。そういう意味ではとても職業作詞家にはなれない。時に歌にしてしまうことへの後ろめたさも感じるし、身体的精神的にもキツいけれど、ぼくはこの仕事をしているおかげで歌が書ける面もかなりあるのではと思わざるを得ない。ゆえに色っぽい艶っぽい歌はとうてい書けないのである。
それにしても、22歳で初めて聴いた時から「飛び方を覚えた でも翼はない」(これも自分流にしているが)の歌詞は本当に最高だと思う。いろんなやりきれなさが叫ぶのではなく込められる。そうそう、歌詞だけではなくてメロディーがまた素晴らしい。たった4つのコード“F-C-Am-G”を繰り返すだけで情景が浮かびあらゆる感情が込められる。複雑なコードを一切使わずトム・ペティは名曲をたくさん書き生涯を全うした。こんな心強いことはない。ありがとう!トム・ペティ。この歌を大事に唄い続けます。
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新曲「平和の欠片」 

2017/10/05
Thu. 23:02

先日の吉祥寺のろライブに、今年8月の憲法フォークジャンボリーで同じ日に出演して知り合った同い年のシンガーソングライター青木ケンさんが観に来てくれ、自身が企画したライブへの出演依頼を直接いただいた。

その前にFBのメッセンジャーで依頼文を送ってくれたとのことだったが、ぼくは未読であったのでその場で日程を確認し出演を決めたのだが、青木さんは「ぜひメッセージを読んでほしい」とのことだったので、ライブを終えて帰宅後、早速青木さんから送られたメッセージを読んだ。
メッセージには11月22日に東中野じみへんで「PIECE OF PEACE」というタイトルのライブを4組のミュージシャンでやることと、“誰もがみんな平和のひとかけら。不安と憎しみと対立を煽るペテンのシナリオに“怒り”ではなく、穏やかにラブリーなハートでメッセージを発して行きたい”という言葉とぼくらへの出演依頼が書かれていた。
ぼくは一読して「平和のひとかけら」という言葉が気に入り、9月の終わりに安倍晋三がぶち上げた「あったものをなかったことに解散(決して国難突破解散などではない)」以来の選挙モードの世情に、元来政治の大嫌いなぼくはアレルギー反応をこらえつつ暮らしているのだが、ちょうどそんな「選挙でこそ世の中を変えよう」的な流れに乗らない(選挙は確かに大事ではあるが)心の在り方を求めていた時に、この「誰もが平和のひとかけら」という言葉はむくむくと柔らかくぼくの心を奮い立たせてくれた気がした。

となるともう「平和の欠片」という言葉を唄いたくて歌にしたくてたまらなくなり、出来かけていたかなり辛辣な歌(「くそったれ」という歌詞を含んでいた)を書き直して、軽快な3拍子のリズムと最近よく聴いていたスティッフ・リトル・フィンガーズのリーダー、ジェイク・バーンズのソロアルバムに影響受けてちょっとアイリッシュ風のメロディーを付けて完成させた。
青木さんにそのことを告げると、青木さん自身は9.11の同時多発テロ後に「PIECE OF PEACE」という歌を書き上げて、現在youtubeでおがわてつしさんの撮ったステキな子どもたちの写真とのコラボ動画で聴けると教えてくれた。
青木さんの「PIECE OF PEACE」は優しいピアノの音と、青木さんの真っ直ぐ唄う声、自然体の表情豊かな子どもたちの顔や、暮らし街の風景(それは本当にどこにでもあるような小さく愛しい光景)がマッチした素晴らしい曲であり動画であった。

ぼくは歌で時に怒りもむき出しに表すが、それだけを唄わないしその向こうを目指して唄いたいと常々思っている。喜怒哀楽全部唄いたいと思っている。何べんも書いているけれどスローガンは唄いたくない。
「平和の欠片」を書いていたら、久しぶりに19歳~20歳の頃愛読していたシルヴァスタインの絵本「ぼくを探しに」「ビッグオーとの出会い」を読みたくなって本棚から引っ張り出して再読した。あらためてたんなる「自分探し」ではない「その必要はない」という意味まで読み取れる大きな内容の本であったことに気付く。48歳になったぼくは、心から欠片で良いと思い、一つの欠片で平和を体現出来ると信じ、一つ一つの欠片で平和を体現する事こそが本当の平和に通じると考える。クラウドやかたまりなんぞになる必要はない。欠片と欠片で出会い欠片同士で繋がれば良い。

平和の欠片
詞 曲 五十嵐正史

二度と見たくない政治家の顔が
三度(みたび)自分の為の世界を語る
何一つおろそかに出来そうにないまま
続く暮らしの中で

それでも同じ世界に生きて
どうにも違う縛りの下に
どうにかして共に生きる その現実から
誰も降りることは出来ない

怒り嘆き続け 唄い嗤い飛ばし続け
ぼくたちは丸腰の平和の欠片
一つずつの欠片

自分の明日さえ知れないのに
子どもたちに未来を見せたい
それは人の欲ではない自然と同じ
命を繋いで行くこと

怒り嘆き続け 唄い嗤い飛ばし続け
ぼくたちは丸腰の平和の欠片
一つずつの欠片

転がる欠片!
ぼくたちは丸腰の平和の欠片
一つずつの欠片

怒り嘆き続け 唄い嗤い続け
ぼくたちは丸腰の平和の欠片
一つずつの欠片

ライブ「PIECE OF PEACE」は、11月22日(水)東中野じみへんにて、19:00開場19:30開演 投げ銭で開催。
出演は、ソウブラ(3人バージョン)、たかよし、クロスステッチ、青木ケンの予定です。

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新曲「普段着のうた唄い」 

2017/09/14
Thu. 22:24

普段着のうた唄い
詞 曲 五十嵐正史

生き様に恋する 出会いを重ねる度に
自分の中で何かが 剥がれ落ちて行くのを感じて来た
歌を飾らないこと 大きく見せようとしないこと格好つけないこと
生きて行くのはくたびれて行くことだけれど
その中で磨かれて行くものがある

生き様が見える 生き様が歌う
俺たちは普段着のうた唄い
社会派ではない ましてや過激派でもない
俺たちは普段着のうた唄い

確かにこの内に刻まれた 恋した生き様たちが
明日を夢見させる どんな時代の流れの中でも
そして今また出会い 辿り着いたこの場所で
美しい佇まいの 人に見守られながら歌う

生き様が見える 生き様が歌う
俺たちは普段着のうた唄い
カウンターではない 目指した舞台はここ
俺たちは普段着のうた唄い

生き様が見える 生き様が歌う
俺たちは普段着のうた唄い
社会派ではない ましてや過激派でもない
俺たちは普段着のうた唄い

生き様が見える 生き様が歌う
俺たちは普段着のうた唄い
カウンターではない 目指した舞台はここ
俺たちは普段着のうた唄い


ここ最近自然と自分の中から出て来て書いていた「普段着の歌」という言葉と、先日のたらまガレージのお父(とう)の佇まいと生き様が何ともステキで惚れてしまい、自分はそんな人との出会いを重ねて、そんな人からの影響が何よりも自分の生き方の指針になって来たのだなぁとあらためてうれしく思い知ったことが自分の中で繋がった。
そして、宮城のTさんからFB上でソウブラを評して「生き様」を感じるというようなコメントをいただいて「生き様」もぜひ歌詞に入れたいと思った。思想や拠って立つ立場、所属集団、その他自己規定する一切ではなく、人が人に見せ伝えられるのは唯一「生き様」しかないのではないか。それこそが本当に個と個を繋ぐのではないか。48歳の今、そんな気持ちで時代や社会、暮らしと対峙していることに何ら心細さは無い。ただただ生きてて良かったである。

メロディーはヴァン・モリソンの「キープ・ミー・シンギング」からいただきました。

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新曲!「君の世界は広がる」 

2017/09/01
Fri. 23:15

君の世界は広がる
詞 曲 五十嵐正史

いつの間にか夜更かしをするようになった君
教科書を枕に居眠りしながら
先の見えない不安をやり過ごしているのか
誰の後をついて行くわけでもないその進路
身体が悲鳴を上げるまで走ることを覚え
しなければと思わされる圧力も覚え
はみ出す必要も必然もなく
この街を逃れる理由もないけれど

それでももうすぐ君の世界はもっと広がる
絶対というもののない世界へと広がる

君でいることをやっと覚え始めたところ
なりたい何者かなど分かるはずもない
自由はいまだ重くそれを渇望する
切実さもない君だけれど
初めて選び選ばれる世界へ
君がそこにずっと囚われてしまわないよう
そうではない場所で君は生まれ
そうではない暮らしで君は育まれた

それでももうすぐ君の世界はもっと広がる
絶対というもののない世界へと広がる

ここは君にとって今も安らげる場所
君が生まれて初めて木漏れ日を浴びた場所
ここは君にとってこれからも安らげる場所
君を育んだ部屋、君を育んだぬくもり
ここは君にとってこれからも安らげる場所
君を育んだ森、そしてどこからでも帰れる道

そしてもうすぐ君の世界はもっと広がる
絶対というもののない世界へと広がる

もうすぐ君の世界はもっと広がる
絶対というもののない世界へと広がる


受験生の長女を見ていたり、高校説明会に同行したり、父の高校受験の話が全然理解出来ない様子で、彼女の思いを聞いたりしている中で出来た歌。なんだか勝手に応援したくなりました。親心か何なのか…素直に15歳の少女に手紙を書くような気分で。

最近は自分で書いた「ひとりのたたかい」を唄っては自分が励まされている。歌とは本当に面白い。「あったものをなかったことにはできない」この言葉がさらに混沌を深める世界、政治、日常、ぼくの場合で行けば福祉業界で流されず見抜き生きる上での指針に思えてならない。
この夏読んでもっとも感銘を受けた本、辻野弥生著「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」の中でも「起こったことをなかったことにはできない」という言葉があった。そして辻野氏は、千葉県東葛飾郡旧福田村で起きた村民たちによる、香川県から行商に来た胎児を含む10人もの被差別部落出身者を、違うとうすうす分かっていながら朝鮮人と決めつけ(二重の差別)虐殺した事件の原因である「差別」について、「この忌まわしい差別を根絶することは可能なのか。残念ながら否である。人間が本来持っている他人より少しでも優位に立ちたいという心理、その最も歪んだ醜い形となって現れるのが差別だと思うから」と書いた上で、それをなくすためには学習しかないと説く。そのためにも「起こったことをなかったことにはできない」のだと。
ぼくはこの人間の心性を深く見つめるジャーナリストの視点に強く共感する。だからぼくは、身近な小さなことを丁寧に歌にしたいと最近特に思う。ちょうど沖縄の親友Aからの便りにも「身近な小さなことみんなが見てくれたら…」と書いてあって、また酒酌み交わし語り合いたいうれしい衝動にかられた。同じ時代を同じ思いで生きているうれしさよ。

働いて飯を食い、人を思い、世を嗤って、自然の端っこで歌を書き唄う。

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新曲「ボール&チェイン」 

2017/08/17
Thu. 22:24

ボール&チェイン
詞 曲 五十嵐正史

まるで心に錐を突き立てられるような日々
いつまでそうして試され続ける?
試しているのは自分? それとも君?
時代が世間が 住みにくい人の世が

越えたはずの壁 抜け出したはずの轍
でも今俺はまた 捕まってしまった
またあの鎖が絡みつく
またあの鎖が絡みつく

救いを求めるように言葉の海をさまよう
この世に片付くものなどなく起こった事はいつまでも続く
それを受け容れる? それを拒む?
それでも日が昇り沈む 自然の端っこで

越えたはずの壁 抜け出したはずの轍
でも今俺はまた 捕まってしまった
またあの鎖が絡みつく
またあの鎖が絡みつく

周りがあまりに激しく変わって行く中で
つつましい場所でさりげなく居ることは難しい
解放の言葉が 実現を迫る
一日も早く一つでも多く 掴み取れと

それは越えたはずの壁 それは抜け出したはずの轍
でも今俺はまた 捕まってしまった
またあの鎖が絡みつく
またあの鎖が絡みつく

またあの鎖が絡みつく
またあの鎖が絡みつく


夏休み前に1番だけ出来ていた歌詞を、敗戦の日に一気に2番3番を書いて完成させた。
タイトルはジャニスの代表曲と同じだけれど、曲調は割と明るくヴァン・モリソンのアルバム「トゥー・ロング・イン・イグザイル」に収録されている方の“ボール&チェイン”が下敷きになっている。でも、ジャニスの映画を観たことにも影響されているかも…。それと夏目漱石。
内容は日々の実感そのもの。ぼくはそれしか書けない。物語も書けないなぁ。ホンと実感しか書けないなぁ。だから書けなくなることもないのかもしれない…生きている限り実感し続けているのだから。

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2017-10