周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

新曲「その変化と共に」 

2017/12/27
Wed. 22:54

その変化と共に
詞 曲 五十嵐正史

敷き詰められた この落ち葉は
次の夏には 土となる
ここは現実世界の 神秘の森
ぼくらもまたその変化と 共にある

どんなに急いでも 追いつけはしない
どんなに壁を高くしても 守りきれない
いつから制御出来ない モノばかり
その変化に背いた あり方ばかり

それは川の流れにも 似ている
立ち尽くしては 抱かれる
共に暮らすとは手を さしのべ合うこと
ぼくらはその変化と共に あるはず

その変化と共に ぼくらは生き
その変化と共に ぼくらは死ぬ
共に暮らすとは手を さしのべ合うこと
世界はその変化と共に あるはずなのに

制御できないものは あなただけ
制御できない力も あなただけ
落ち葉に敷き詰められた この森で
立ち尽くし 抱かれている

その変化と共に ぼくらは生き
その変化と共に ぼくらは死ぬ
共に暮らすとは手を さしのべ合うこと
世界はその変化と共に あるはずなのに
世界はその変化と共に あるはずなのに


年明けまであたためておこうと思ったけれど、完成したからには出来たてホカホカの内に公表する次第。間違いなく今年最後の18曲目。
ようやく手に入れたヴァン・モリソンの9月発売の新譜「ロール・ウィズ・パンチズ」が素晴らし過ぎて、その中の1曲“トランスフォーメーション”に触発され、24日の東京新聞の内山節氏が「時代を読む」に書いた“「制御できること」の大切さ”に感銘を受けてこの歌を書いた。
すべての歴史をとおして、人間たちは、自然という制御できないものとともに暮らしてきたように思うという書き出しで、人間はさまざまな努力を重ねて共生すべき自然以外に、自らどんどん制御できないモノをつくってしまい、ついには全く制御できない世界をつくるに至ってしまった。それをぼくらは原発事故で嫌と言うほど知らされたはず(「制御できる」と愚かにも吉本隆明までが妄信していた)。そして今や、経済や政治権力の暴走はもとより、米軍ヘリの一部が宜野湾市の小学校校庭に落ちるという、全く制御できていない日米安保による危険極まる重大事故を、あろうことか本土人(沖縄の人を「土人」と呼び捨てた大和人が居た(る)が、自らこそがホンドジンであることを知らぬとは嘆かわしい)が小学校に対して誹謗中傷を繰り返す制御不能な人心までむき出されている。

もはや手遅れなのではという気持ちと共に、それでも内山節氏が書いたように「来年からは、普通の庶民感覚で制御できる社会をつくっていきたいものである」とぼくもまた思っている。そう考えると、やはり年末にこの1年を振り返る意味でも書いておきたかった歌であった。
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新曲「勝手にしやがれ」 

2017/12/08
Fri. 23:06

勝手にしやがれ
詞 曲 五十嵐正史

俺たちの選ぶ言葉は負けてばかり
だけどその言葉は歌になる
だから非力も無力もなんのその
歌えば楽し 黙る法は無し

俺たちの目指す方とは逆ばかり
だけどこっちにゃまだ隙間がある
だから何にも変えられなくてもなんのその
隙間で楽し 黙る法は無し

俺たちの言葉は壁に跳ね返されては草に落ち
追い求めることのない世界とは
どんどん離れて行く 離されて行く
あ~勝手にしやがれ

不戦の誓いを壊してどこへ行く
いつまで足し算の世界を突き進む
だから引き算でその豊かさひっくり返して
分け合えば楽し 黙る法は無し

俺たちの言葉は壁に跳ね返されては草に落ち
追い求めることのない世界とは
どんどん離れて行く 離されて行く
あ~勝手にしやがれ

俺たちの選ぶ言葉は負けてばかり
だけどその言葉は歌になる
だから非力も無力もなんのその
歌えば楽し 黙る法は無し
隙間で楽し 黙る法は無し
分け合えば楽し 黙る法は無し

ジョンレノンの命日の今日、クリップルド・インサイドの陽気なメロディーに、こんなちょっとやけっぱちな感じの、だけど唄って(自分は)スカッとする言葉を乗せてみた。
今日の日が落ちた出張帰りのバスの中で、3番の歌詞が浮かび慌てて手帳に書きつけた。足し算引き算の話は、確か詩人のアーサー・ビナード氏が語っていたと思う。現実問題を解決して行くために、日本のような国はもはや垂れ流される情報やなくても済むものを拒否して「足し算でなく引き算で考えるべき」というのは、ぼくにとって合点が行くし希望を感じる言葉だが、どうも大勢はそれと逆の方へ向かっているようだ。けれども気にしない。長いモノに巻かれず反対方向に行くだけ。これまでもこれからも。

それにしても今年もよう書いたなぁ。17曲目!

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新曲「箱舟の美術館」 

2017/10/31
Tue. 22:31

箱舟の美術館
詞 曲 五十嵐正史

そこは宮城県気仙沼市 箱舟のある美術館
ライブの翌日友だちが ぼくらを案内してくれた
地下一階の常設展 そこにはたくさんの写真と
言葉と壊れたものたち それは大震災の記録

泥だらけのぬいぐるみ 開いたままの携帯電話
ヘドロが詰まっていた炊飯器 声なき声が物語る
深く胸底に沈んだままの あの日見たもの嗅いだ匂い
真っ白な頭に浮かんだ言葉たち

それは明日を生きるための記憶 未来を作るための記憶
思いを繋ぐための記憶 壊されることのない記憶

くしゃくしゃのトタン屋根 錆び付いた車の部品たち
タイルの欠片にドアのチャイム それは決して瓦礫ではない
深く胸底に沈んだままの あの日見たもの嗅いだ匂い
真っ白な頭に浮かんだ言葉たち

それは明日を生きるための記憶 未来を作るための記憶
思いを繋ぐための記憶 壊されることのない記憶

明日を生きるための記憶 未来を守るための記憶
思いを繋ぐための記憶 壊されることのない記憶

そこは宮城県気仙沼市 箱舟のある美術館
ライブの翌日友だちが ぼくらを案内してくれた
地下一階の常設展 そこにはたくさんの写真と
言葉と壊れたものたち それは大震災の記録

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新曲「LEARNING TO FLY」 

2017/10/11
Wed. 22:54

LEARNING TO FLY
原曲 トム・ペティ 意訳 五十嵐正史

ぼくは歩き出す うす汚れた道を
ぼくは歩き出す そう自分で決めた
日が落ちた 丘を横切り
見える街の灯り 止まったままの世界
飛び方を覚えた でも翼はない
降りて来るのは 飛ぶことより難しい

旧き良き日々は もう戻らない
岩は溶けず 海は燃えはしない
飛び方を覚えた でも翼はない
降りて来るのは 飛ぶことより難しい

誰かが言ってた 人生が人を打ちのめす
心を砕き 王冠は奪われる
だから歩き出す きっと神様は知ってる
ぼくがいつどこへ たどり着くのかを
飛び方を覚えた でも翼はない
降りて来るのは 飛ぶことより難しい
飛び方を覚えた 雲のまわりで
登り詰めたら 降りるしかない
飛び方を覚えた でも翼はない
降りて来るのは 飛ぶことより難しい…


先週からトム・ペティを聴き続けている。そしてあらためて彼が素晴らしいソングライターであり、普段着のロックンローラーであったかを再認識して益々好きになっている(若い頃はそのブチ切れないシンプルさ、クールさに物足りなさを感じたこともあった)。
頭の中では大好きな「ラーニング・トゥ・フライ」が流れ続け、気付けば英和辞典を片手に訳し出していた。
ぼくが持っている発売当時に手に入れたCDの訳詞では、サビは“俺は飛び方を習っているが 翼が無いんだ 落ちぶれるのは 一番辛い”となっているのだけれど、どうもしっくり来なくて(特に「落ちぶれるのは一番辛い」)英詞と辞書を何度も見比べたがなかなか良い訳が思い付かない。元の詞の“coming down”を文字通りに「降りる」と訳すか、“hardest”を「辛い」と訳すか「難しい」と訳すか等々自分がどんな気持ちをこの歌に込めたいかもはっきり出来ずに行き詰った。

それが今日の仕事の帰りにCDウォークマンで何度もリピートしてぶつぶつ唄いながら聴き続けていたら(かなり怪しいおっさんである)、ふっと「降りて来るのは 飛ぶことより難しい」という言葉が浮かんだ。それはあまりに今日職場でぼくが強く感じたことそのものであった。一人で机に向かって悶々としているだけではぼくは歌は書けない。そういう意味ではとても職業作詞家にはなれない。時に歌にしてしまうことへの後ろめたさも感じるし、身体的精神的にもキツいけれど、ぼくはこの仕事をしているおかげで歌が書ける面もかなりあるのではと思わざるを得ない。ゆえに色っぽい艶っぽい歌はとうてい書けないのである。
それにしても、22歳で初めて聴いた時から「飛び方を覚えた でも翼はない」(これも自分流にしているが)の歌詞は本当に最高だと思う。いろんなやりきれなさが叫ぶのではなく込められる。そうそう、歌詞だけではなくてメロディーがまた素晴らしい。たった4つのコード“F-C-Am-G”を繰り返すだけで情景が浮かびあらゆる感情が込められる。複雑なコードを一切使わずトム・ペティは名曲をたくさん書き生涯を全うした。こんな心強いことはない。ありがとう!トム・ペティ。この歌を大事に唄い続けます。

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新曲「平和の欠片」 

2017/10/05
Thu. 23:02

先日の吉祥寺のろライブに、今年8月の憲法フォークジャンボリーで同じ日に出演して知り合った同い年のシンガーソングライター青木ケンさんが観に来てくれ、自身が企画したライブへの出演依頼を直接いただいた。

その前にFBのメッセンジャーで依頼文を送ってくれたとのことだったが、ぼくは未読であったのでその場で日程を確認し出演を決めたのだが、青木さんは「ぜひメッセージを読んでほしい」とのことだったので、ライブを終えて帰宅後、早速青木さんから送られたメッセージを読んだ。
メッセージには11月22日に東中野じみへんで「PIECE OF PEACE」というタイトルのライブを4組のミュージシャンでやることと、“誰もがみんな平和のひとかけら。不安と憎しみと対立を煽るペテンのシナリオに“怒り”ではなく、穏やかにラブリーなハートでメッセージを発して行きたい”という言葉とぼくらへの出演依頼が書かれていた。
ぼくは一読して「平和のひとかけら」という言葉が気に入り、9月の終わりに安倍晋三がぶち上げた「あったものをなかったことに解散(決して国難突破解散などではない)」以来の選挙モードの世情に、元来政治の大嫌いなぼくはアレルギー反応をこらえつつ暮らしているのだが、ちょうどそんな「選挙でこそ世の中を変えよう」的な流れに乗らない(選挙は確かに大事ではあるが)心の在り方を求めていた時に、この「誰もが平和のひとかけら」という言葉はむくむくと柔らかくぼくの心を奮い立たせてくれた気がした。

となるともう「平和の欠片」という言葉を唄いたくて歌にしたくてたまらなくなり、出来かけていたかなり辛辣な歌(「くそったれ」という歌詞を含んでいた)を書き直して、軽快な3拍子のリズムと最近よく聴いていたスティッフ・リトル・フィンガーズのリーダー、ジェイク・バーンズのソロアルバムに影響受けてちょっとアイリッシュ風のメロディーを付けて完成させた。
青木さんにそのことを告げると、青木さん自身は9.11の同時多発テロ後に「PIECE OF PEACE」という歌を書き上げて、現在youtubeでおがわてつしさんの撮ったステキな子どもたちの写真とのコラボ動画で聴けると教えてくれた。
青木さんの「PIECE OF PEACE」は優しいピアノの音と、青木さんの真っ直ぐ唄う声、自然体の表情豊かな子どもたちの顔や、暮らし街の風景(それは本当にどこにでもあるような小さく愛しい光景)がマッチした素晴らしい曲であり動画であった。

ぼくは歌で時に怒りもむき出しに表すが、それだけを唄わないしその向こうを目指して唄いたいと常々思っている。喜怒哀楽全部唄いたいと思っている。何べんも書いているけれどスローガンは唄いたくない。
「平和の欠片」を書いていたら、久しぶりに19歳~20歳の頃愛読していたシルヴァスタインの絵本「ぼくを探しに」「ビッグオーとの出会い」を読みたくなって本棚から引っ張り出して再読した。あらためてたんなる「自分探し」ではない「その必要はない」という意味まで読み取れる大きな内容の本であったことに気付く。48歳になったぼくは、心から欠片で良いと思い、一つの欠片で平和を体現出来ると信じ、一つ一つの欠片で平和を体現する事こそが本当の平和に通じると考える。クラウドやかたまりなんぞになる必要はない。欠片と欠片で出会い欠片同士で繋がれば良い。

平和の欠片
詞 曲 五十嵐正史

二度と見たくない政治家の顔が
三度(みたび)自分の為の世界を語る
何一つおろそかに出来そうにないまま
続く暮らしの中で

それでも同じ世界に生きて
どうにも違う縛りの下に
どうにかして共に生きる その現実から
誰も降りることは出来ない

怒り嘆き続け 唄い嗤い飛ばし続け
ぼくたちは丸腰の平和の欠片
一つずつの欠片

自分の明日さえ知れないのに
子どもたちに未来を見せたい
それは人の欲ではない自然と同じ
命を繋いで行くこと

怒り嘆き続け 唄い嗤い飛ばし続け
ぼくたちは丸腰の平和の欠片
一つずつの欠片

転がる欠片!
ぼくたちは丸腰の平和の欠片
一つずつの欠片

怒り嘆き続け 唄い嗤い続け
ぼくたちは丸腰の平和の欠片
一つずつの欠片

ライブ「PIECE OF PEACE」は、11月22日(水)東中野じみへんにて、19:00開場19:30開演 投げ銭で開催。
出演は、ソウブラ(3人バージョン)、たかよし、クロスステッチ、青木ケンの予定です。

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2018-06