周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

新曲「森に入る」 

2017/05/15
Mon. 23:05

森に入る
詞 曲 五十嵐正史

朝の通勤電車は 毎日どこかの駅で
人身事故が起きる おかしなことに慣らされてしまう
そんな明日を迎え撃つために
ぼくは部屋を出て森に入る

キレイだな緑色 清々するな森の中

心狭き首相は 突かれるとやたら気色ばみ
みんなでとりなしている間にも 踏みつけられる島がある
そんな明日を迎え撃つために
ぼくは部屋を出て森に入る

キレイだな緑色 清々するな森の中
キレイだな緑色 清々するな森の中

何にも終わりはしないけど 片づくものなどないけど
あるべき姿はあるのさ 森はそれを教えてくれる
あの草いきれを浴びに行こう
あの小さな花に会いに行こう

キレイだな緑色 清々するな森の中
キレイだな緑色 清々するな森の中

ランララ ララ ララララン
ランララ ララ ララララン…


果たして森に関する歌を何曲書いた事だろう。そのうち森関連の歌だけでCD作ろうかしら?
昨日の夕暮れヘルスよしのへ向かう森歩きの途中、日の光を透かした木々の葉を見上げていたらサビの歌詞が浮かんだ。サビは童謡みたいにシンプルで分かり易く、それ以外は対照的に人間社会の現実を直截に唄うという構想をヘルスよしのの湯船に浸かりながら練った。
曲はビートを効かしたミディアムテンポにして唄いやすいメロディーを付けたので、名付けて童謡ロック(?)。
沖縄の本土復帰の日に、ぼくはやはり日本人ということがどこか腹立たしい。そして恥ずかしい。ゆえに森に入る。日本人ではなく人間本来の在り方を見つめるために。沖縄の森にも思いを馳せながら。
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新曲「キャッチボール」 

2017/04/18
Tue. 22:51

キャッチボール
詞 曲 五十嵐正史

くすぐったいような 笑いが込み上げる
君と初めてする キャッチボール
一つだけのグローブを 君がして
君が投げるボールを ぼくが素手で受ける
君が生まれるずっと前の 同じ光景をぼくは知っている
ここから遠く離れた田舎町の 少し寂しい夕暮れ時

工場帰りの 作業着のまま
その人は少年に 投げ方を教え
思い切り投げてみろと 少年の投げるボールを
その大きな素手で 受け止める
君が生まれるずっと前の 今日ととても良く似た光景
ここから遠く離れた田舎町の 少しくすぐったいような夕暮れ時

とても不思議な 気持ちだよ
でも何だか うれしいよ
一つだけのグローブを 君がして
君が投げるボールを ぼくが素手で受け止める
いつかの思い出のキャッチボール 今日もどこかでキャッチボール
君もいつか思い出すだろうか 夕暮れ時のキャッチボール

夕暮れ時のキャッチボール

何かあるとすぐ歌にしてしまう癖が今回も爆裂。
母ちゃんには「ちょっとくさいけれど父ちゃんが良いなら良いんじゃない」と言われ、キャッチボール現場に居た長女には笑われましたが何するものぞ。昨夜ギターをポロポロ弾いていたら、歌詞と軽やかなメロディーが同時に浮かび今日完成させた。
ぼくにとって野球はノスタルジーそのもの。特に大竹聡さんが書く親父さんとの野球にまつわる思い出話にはいつもキュンキュン来てしまう。野球と共にその時の空気の匂いや体感まで思い出す。夏のナイター中継の茶の間の様子や、テレビ中継が終わった後は2階の寝る部屋にあった家具調ステレオで、布団に寝転びながらAMラジオを親父と一緒に聴いたこと等々。
親父はぼくに野球を教えたくせに、中学でぼくが野球部に入ることを「お前はチームプレーが出来ない」と反対した(結局入って自分から立候補してイガラシキャプテンとなり、ぼくの代で野球部はすっかり弱くなった)。

今夜の我が家の茶の間では巨人VSヤクルト戦がテレビから流れ、長女が熱狂しながらヤクルトを応援していた。

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ハーダー・ゼイ・カム 

2017/04/10
Mon. 22:26

ハーダー・ゼイ・カム
原曲 ジミー・クリフ
意訳 五十嵐正史

奴らはいつだって
俺たちのことを知っちゃいない
声の限り叫ぼうが
聞く耳など持ちゃしない

だから太陽が昇る限り
俺たちで始める
激しく奴らにつぶされても
終わりはしない
激しく奴らに倒されても
消え去りはしない

奴らはいつだって
俺たちを押さえつける
正しく導いた気で
ふんぞり返り続ける

だから太陽が昇る限り
俺たちで続ける
激しく奴らにつぶされても
終わりはしない
激しくやつらに倒されても
消え去りはしない

望む限り闘う
死んだらきっと終わりだろうけど
奴らに操られて生きるより
自由な奴で墓場に行くさ

だから太陽が昇る限り
俺たちで歌おう
激しく奴らにつぶされても
終わりはしない
激しく奴らに倒されても
消え去りはしない

激しく奴らにつぶされても
終わりはしない
激しく奴らに倒されても
消え去りはしない


10年前に訳した時はサビの歌詞が全然違っていた。演奏もあえてレゲエを無視したリズムをとってソウブラ流にアレンジしたのだが、数回ライブでやったきり歌わなくなってしまった。
あらためてこの歌が、権力に対して終わらぬ闘いを挑む普遍的な持たざる者の歌であることを再認識して約し直し、10年ぶりにソウブラで合わせてみるとまた全然新鮮なアレンジに生まれ変わった。10年前より面白いサウンドになっている気がするが、歌に込める思いはさらに強く激しく切実に。きっとこの10年の世の中が、現在が、ここから予見させるこれからがハーダー・ゼイ・カムだからだろう。でもこの歌は人間社会いつの時代も普遍的なテーマであり続けると思う。映画の中のワンシーン、あのスタジオで歌うジミー・クリフの不敵でしなやかで決して屈しないオーラみなぎる佇まいとパフォーマンスはいつ見ても、何度見ても美しい。

4月15日(土)のスペースCワンマンライブで披露する予定!
みなさん、ぜひお運び下さい。
18:00開場 18:40開演 1500円(1ドリンク付)
大森北1-12-10 03-3762-2213 JR大森駅東口下車徒歩5分

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新曲「借り暮らし」 

2017/03/22
Wed. 22:24

借り暮らし
詞 曲 五十嵐正史

いつか誰かが書いていた この地球の上に
誰の持ち物の 土地も家もないと
今借り住まいの窓辺に 差し込む朝の光
遠くの森を光らせて ここまで届く光

そうさ誰もがこの 地球の上で借り暮らし
やがて消え行き森に 流れる時間へと還る
何をつなぎとめようとして 人は幻を追う
遠くの森を光らせて 光はここまで届くのに

分からぬことだらけのまま 借り暮らしのまま過ぎて
その分からぬことが いつしか希望にもなって
奪い合いの外で 支え合う隙間
遠くの森を光らせて それでも届く光よ

どこかで誰かが書いていた この地球の上に
誰の持ち物の 土地も家もないと
今夜借り住まいの窓辺を 照らす月明かり
遠くの森の空の月 すべての借り暮らしの夜に


3月10日に一度完成してUPしようと思ったけれど、もう少し歌詞が化けそうな気がしてしばらく置いたら案の定、先週末の両国のライブと宇宙さんぽさんの開店パーティーを経てやはり歌詞が少し変わり(最初のバージョンはもうちょっと俗っぽい、所有する事への批判、恨み節みたいなところがあった)、自分としては断然良くなった。そう、結局誰もがこの世で借り暮らしであり、その自然の隣にある借り暮らしを感じ、出来るだけ不自然を排しながら出会い繋がり自らの生を豊かにして行くことが出来るはずなのだ。

それにしても、団地から見える景色でいったいこれまで何曲作ったろう?森が歌詞に出て来る歌は、だいたい優しい曲調になるのだけれど、この曲もやはりどこかで聴いたことのあるような(笑)優しいフォークロック調の曲になりました。
早くて4月15日のスペースCで披露出来るかな?

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新曲「ファシスト野郎」 

2017/02/16
Thu. 22:38

ファシスト野郎
詞 曲 五十嵐正史

ファシスト野郎がルールを変える
ファシスト野郎がルールを破り変えちまう
世界はファシストファーストだ
負けじと小さなファシストルールを変える
負けじと小さなファシストルールを破り変えちまう
世界はファシストだらけ

奴らのルールに従うな 奴らの土俵に上がるなよ
奴らのルールに従うな 奴らの土俵に上がるなよ

ファシスト野郎が景色を変える
ファシスト野郎が景色を塗り替え変えちまう
世界はファシストファーストだ
ファシスト野郎が愛を変える
ファシスト野郎が愛を歪め変えちまい
ヘイトの泥沼で愛を叫んでる

奴らの愛に溺れるな 奴らの土俵に上がるなよ
奴らの愛に溺れるな 奴らの土俵に上がるなよ

ファシスト野郎が金を握る
ファシスト野郎が金を握ったら回さない
世界はファシストファーストだ

奴らに金を回すなよ 奴らの土俵に上がるなよ
奴らに金を回すなよ 奴らの土俵に上がるなよ

奴らのルールに従うな 奴らの土俵に上がるなよ
奴らのルールに従うな 奴らの土俵に上がるなよ

ファシスト野郎・・・
ファシストやろう・・・


「最近優しい歌が多いね」と何人かから言われ、ちょっとガツンと来るビートの歌を書きたいと思っていたところ、しばらく前から頭の片隅にあったビリー・ブラッグ&ウィルコの「マーメイド・アベニューvol.2」収録の“オール・ユー・ファシスツ”を、「ファシスト野郎」と日本語で歌ってみたかったことを思い出し、いつものように行き帰りの電車の中で頭の中で鳴らしてみたら、バババッと歌詞が出て来た。きっと天邪鬼のぼくは、世間が話題にしているのと軌を一にして正面から論評したくなかったトランプのことを、いつか自分なりに表に吐き出してやりたいと秘かに思っていたのだろう。もちろん、これは一人トランプのことを歌ったわけではない。世界で先んじて子分となった安倍のことだろうし、身近にどこにでも居るファシストであり(当然野郎に限らない)、自分自身の中にも潜むファシスト野郎のことでもある。そして「奴らの土俵に上がるなよ」がぼくの一番言いたい肝。こいつを早くギターを掻き鳴らして思い切り痛快に歌ってやりたい。

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2017-05