周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

激しい雨が降る 

2016/12/23
Fri. 16:29

激しい雨が降る
原曲 ボブ・ディラン 意訳 五十嵐正史

どこへ行ってたの 青い目の子よ
どこへ行ってたの かわいい子よ
霧の山道でつまずいていた
曲がりくねった道を歩いたり這いつくばったりして
7つの悲しい森を突き抜けて来た
12の死んだ海の前に佇んでいた
墓場の入口から1万マイルの所に居た

激しい 激しい 激しい 激しい
激しい 雨が降る

何を見たの 青い目の子よ
何を見たの かわいい子よ
赤ん坊がオオカミに囲まれてるのを見た
誰も居ない高速道路を見た
黒い枝から血が滴り続けるのを見た
血の付いたハンマーを持った男たちを見た
白いはしごが水に浸かっているのを見た
おしゃべり達の舌がダメになっているのを見た
小さな子どもが手に武器を持っているのを見た

激しい 激しい 激しい 激しい
激しい 雨が降る

何が聴こえたの 青い目の子よ
何が聴こえたの かわいい子よ
警告の様な雷の音を聴いた
世界を沈ませる波のうなりを聴いた
焼けた手で叩く100人のドラムを聴いた
1000人のささやきは誰にも聞かれなかった
飢え死にしそうな一人を多くが笑うのを聞いた
ドブで死んだ詩人の歌を聴いた
路地裏で泣き叫ぶ道化師の音を聴いた

激しい 激しい 激しい 激しい
激しい 雨が降る

誰に会ったの 青い目の子よ
誰に会ったの かわいい子よ
死んだポニーのそばに居る母のない子に会った
黒い犬を連れた白い人に会った
身体が燃えている若い女に会った
一人の少女はぼくに虹をくれた
愛に傷ついた一人の男に会った
憎しみに傷ついたもう一人の男に会った

激しい 激しい 激しい 激しい
激しい 雨が降る

何をしようというの 青い目の子よ
何をしようというの かわいい子よ
雨が降り出す前にもう一度出かけたい
深い黒い森の奥まで歩きたい
そこに居る多くの人たちの手は空っぽで
そこでは毒だんごが水に溢れている
そこでは谷間に家と牢屋が向き合っていて
そこでは手を下した奴の顔は隠されている
飢えがひどく魂は忘れ去られていて
そこでは色は黒だけで数は0だけだ
そのことを告げ、考え、話し息をする
光を反射させすべての魂が見えるように
そして沈み出すまで海辺に立っていたい
歌い出して初めてこの歌の意味は知れる

激しい 激しい 激しい 激しい
激しい 雨が降る
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新曲「今年も模索で」 

2016/11/15
Tue. 22:44

今年も模索で
詞 曲 五十嵐正史

どうせ知れない明日へと 目指すも向かうわけでもなく
己であることを生きて行く それさえ揺らぎながら
威張れる者など 誰もないのさ
だから隙間からさえも 追い出される者も誰もいない

今年も模索で 暮れる年の瀬に
あなたが追われぬ ことを祈る

ケンケンゴウゴウ角突合せ 結局やるものはやるだけという
情けないやら恥ずかしいやら 沈む日の本で
そこに誇れるものは 微塵もない
だから隙間に 根を張る者たちの声よ響け

今年も模索で 暮れる年の瀬に
あなたが追われぬ ことを祈る

それでもまだまだ追い詰められ 一大修羅場と心得ても
右も左も悪魔の仕組み 憂鬱は果てしなく
それでもぼくらは そこに立つだろう
見つけたからは そこで在り続けようとするだろう

今年も模索で 暮れる年の瀬に
あなたが追われぬ ことを祈る

今年も模索で 暮れる年の瀬に
あなたが追われぬ ことを祈る


先週末位から、急に気分は年末モードになり、ぼくの心は毎年大晦日に歌いに行く新宿中央公園を思う。
今年はまだライブイベントがあるか分からないけれど、中央公園を思いつつ自分の現在の心情をつらつら書いてみた。
曲調は久々に聴いた岡林氏の影響か、どことなく和のリズムで自分としてはとてもノリやすい揉み手拍子のズンドコロック。「周辺」とか「隙間」とか「小さな場所」は、ぼくのこの国で暮らすための処世術なのかもしれないし、そこに生きる意味や価値を見出しているから良く歌うのかもしれない。でも何よりそういう空間、場所をぼくは大好きで愛しているのだと思う。それと真逆のものは言うまでも無く苦手で嫌いで時に憎悪さえする。
相変わらずな自分による、2016年を送る歌。母ちゃんからは「しばらくはCDの歌を聴いてもらうんだから、歌っちゃだめよ」と念を押された。ハイ、そういたします。今年14曲目。

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新曲「ホーム」 

2016/10/25
Tue. 22:39

ホーム
詞 曲 五十嵐正史

なつかしい空気だけれど 繰り返しではない
季節を君と歩く 季節を君と往く
らせんの様に巡り
決して同じ軌道ではない円を描くように

生きやすい時 生きにくい時
生きている幸せ 生きている辛さ
どちらも張付いていて
切り離すことの出来ない裏表のよう

分けられないものを無理やり分けて
善意が煮詰まって行けば
とんでもない正義が顔を出す
とんでもない正義が心を奪う

君とぼくはもはや 分け隔てることは出来ない
だからいつも問いかけては 対話を続ける
はかれないものたちと共に
決して同じ軌道ではない円を描きながら

そうして君たちの育つ朝 ぼくたちの老いる朝
思うは子どもたちのこと 子どもたちの帰れる場所


昨日の朝ヘロヘロ状態で出勤している途中、最後の2行が出来て完成した。珍しく曲から先に出来たテンポの良いバラード曲。
ぼくの中では、「命でしかないビート」と「円環を生きる」と共に同じテーマの3部作。そう言えばずっとずっと前、ソウブラ結成の頃にも湾岸戦争3部作を作ったっけ。90年から91年の初めにかけて「友よ戦場へ行くな」「こんな朝に」「平和」の3曲。一つのテーマが自分の中にどっかり腰を下ろし、それとがっぷり四つに組んで思索し書くのも生きることの一面と感じる。そして、そんな経験はまず忘れることはない。歌を書けばなおさらだ。
最初は自分と母ちゃんのことを思いながら書き進んで行ったが、最後に子どもたちの事に行き着き、内容とちぐはぐかもしれないが、「ホーム」というタイトルが浮かんだ。それは、母ちゃんが子どもたちのことを考えて下した決断に繋がるので、ぼくとしてはとってもピッタリなタイトルが付いたと思っている。
詞を母ちゃんに見せてOKもらった後に「CD発売を控えているんだから、新曲作るのは良いけど歌うのはちょっと控えなよ。CDの曲第一!」と忠告されてしまった。さぁ、どうしよう。とりあえずゆっくりアレンジを考えよう。

ここまで書いていたら、隣の部屋から長女の絶叫が聞こえて来たので様子を見に行くと、日本ハムの大谷選手がサヨナラヒットを打って広島に逆転勝ちし、歓喜の涙を流していたのだった。良かったね。

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新曲「円環を生きる」 

2016/09/22
Thu. 13:47

円環を生きる
詞 曲 五十嵐正史

ここからは上も下も見えるだろう
けれどはみ出した者は見えない
優越感と劣等感ギリギリのバランス
それでも落ちて行く悲しさ 円錐体の世界

ただ進み続けて欲しがるまま年を取り
何よりも失うこと減ることばかりを恐れて
でも今夜お山の上の君を見上げた
君の自然で歌う姿を 円い世界で

誰もがそこに居る はみ出す者など居ない
堂々巡りを重ね合わせて 人の間を生きる

捻じれていても良い小さく在れば良い
井の中の蛙は海では生きられない
井戸のふたを開けておきいつでも迎え入れよう
世界は大海に非ず 人は島ではない

誰もがそこに居る はみ出す者など居ない
堂々巡りを重ね合わせて 人の間を生きる

富を生む進歩のため要らぬ者が選ばれる
水面下から泡が浮かび弾けるように
受け容れられぬ正義をゆずれない正義で
命の円環の中へ 沈めたい

誰もがそこに居る はみ出す者など居ない
堂々巡りを重ね合わせて 人の間を生きる

受け容れられぬ正義をゆずれない正義で
命の円環の中へ 沈めたい


~最首塾150回“世界は大海ではない”に参加して~

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新曲!「命でしかないビート」 

2016/08/26
Fri. 22:44

命でしかないビート
詞 曲 五十嵐正史

君の心臓は動いてる
少しの乱れをものともせずに
君の心臓も動いてる
それは命でしかない命の自然

森で息吹を感じ受け取る
途切れることのない命の息吹を
君でしかない君を変えられないように
命でしかない命を誰も断ち切ることは出来ない
誰も断ち切ることは出来ない

君の心臓は動いてる
少しの乱れをものともせずに
君の心臓も動いてる
それは命でしかない命の自然

人でなしが世界の平和を願っても
人の世が成果ばかりを求めても
悪魔が世界の終わりを目論んでも
命でしかない命を誰も断ち切ることは出来ない
誰も断ち切ることは出来ない

矛盾と理不尽命を食べて生きる命
とてもぼくらの手には負えない
君でしかない君を変えられないように
命でしかない命を誰も断ち切ることは出来ない

君の心臓は動いてる
君の心臓も動いてる
それは命でしかない命
命でしかない命を誰も断ち切ることは出来ない
誰も断ち切ることは出来ない
誰も断ち切ることは出来ない…


7歳の息子の心臓には、心房中隔欠損の為22mm~23mmの穴が開いている。
あの小さな体で、直径2cm以上の穴の開いた心臓を持ち7歳まで成長して来た息子に驚嘆した気持ちがこの歌を書かせた。
けれど、頭の中には19人の重度障害者の命を奪った相模原事件のことがこびりついていて、そのことをどうしても歌の中に盛り込みたかった。
最初はもっと植松容疑者のことを書いた歌詞があったのだけれど、結局最低限に削った。彼の事を推測して書いても結局何も分かっていないことに気付いたから。結局考え続けるしかないことだけが分かった。
その替わり、この事件を考える上でぼくが指針にしている和光大の最首名誉教授が示した“命に対する態度”を歌の核にした。『「命は地球より重い」からではない。命には他の命を食べる残酷さもある。結局、命は分からないし、手に負えないもの。「いのちはいのち」でしかない』(7月30日付東京新聞)
人為の後付けで「命は大切」等と倫理で説いても、それは奪った者への懲罰主義へと向かう可能性も含み、果ては死刑制度の根拠にもなる。しかし、「命は分からない。人の手に負えるものではない」という人為の及ばぬ根源的事実に立てば、それは死刑制度廃止であり謙虚さを人間にもたらすとぼくは思っている。

それは、日々きれいごとで済まされない感情にまみれながら施設の利用者と向き合い、喘ぎながら家族5人の糊口をしのいでいる自分自身の真実であり、矜持でもあるから。

曲調は、「レゲエのリズムは人間の心音のリズム」と言ったボブ・マーリー大先生の教え通り、初めからレゲエで行こうと決めていた。9月3日の久々の(て言うか今年初!)バンド練習で合わせてみたい。

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2017-02