周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

新宿中央公園越年越冬支援ライブ終了! 

2016/01/01
Fri. 23:00

たいていフルバンドで、時に3人編成やソロ、ギターのみの出演も入れて2015年42本目最後のライブは、今年も夜の新宿中央公園路上ライブだった。

都庁のビル群の下、新宿中央公園の水の広場の奥、真冬でも19:00まで水量激しく流し続けるナイアガラの滝(ライブ中のMCでぼくは「イヤガラセの滝」と呼んだ)前に、赤い新宿の旗が薄明りに照らされ、ビニールシートの上に昨年同様布団がたくさん敷かれ、火が使えないゆえに取れない暖をおっちゃん達に提供していた。

今年も大晦日に出現したこの光景を見ながら、ぼくはまたしても自分が来るべき場所に来て歌うべき場所で歌おうとしている感覚に包まれた。この光景がたとえ一夜であってもここに出現したことそれ自体が一つの反逆する風景であり、その「消え去らずあること」こそが、何より強くしなやかで大らかで、何かを変え得る確かな抵抗なのだという確信をやはりぼくに抱かせる。

この夜掲げられていたのは赤い「新宿」の旗のみで、何かしらの政治的スローガンが掲げられているわけでもこの風景の外に向かって強くアピールする示威行動等もない。プラカや華やかな演出もない。もちろんヘイトスピーチも、それに抵抗すると称した自称「許される」罵詈雑言の類も応酬もない。「生きさせろ!」や「やり返せ!」と叫んで拳を突き上げるわけでもない。
しかし、ここに出現し垣間見せる路上の現実とそれを生きる者達が集う静かな風景は、先述したあらゆる運動の作られた空間よりもぼくには地べたに根を下ろした現実であり、時代にも運動の流行り廃りにもまったくぶれることのない(それとはそもそも次元の違う)在り方なのだ。

「在り方」。まさにソウブラが新宿中央公園とそこでの活動を担う新宿連絡会と出会って、2003年からこの場所で歌わせてもらってさらに強く意識するようになったことだ。何を主張するか、どんな運動体に加わるか、多数派を目指し、政治的な勝ちを目指す事よりなにより自分たちがどう「在る」か、そのことをひたぶるに追究すること、何かに加わることで自分を不問に付さない事。
特に何かとこれからの抵抗の在り方について、ケンケンゴウゴウ混迷深まるかのような2015年の最後の日にあって、そんなことを昨夜一年ぶりの新宿中央公園でぼくはあらためて強く感じたのだった。

そんな新宿中央公園での昨夜のライブは、ソウブラまでの3組の出演者がそれぞれ「この場所で在ること」を十二分に意識したパフォーマンスだったと思う。ぼくらの前に出演したダンスユニットひびきさんも、光栄にも登場の呼び出しをマイクでさせていただいた梅津和時さんも、何度もここでライブされている方たち。ここが在る限りこの風景が出現する限り「自分の出来る事」としてきっと楽器を持って、自分の踊りでもって駆け付ける人たちだからだ。

それにしても楽しいステージだった。ライブ中何度も新宿連絡会主宰のKさんに一升瓶で日本酒を注がれ、それを飲み干しながら歌った。布団を被って座った状態で手拍子してくれる人、もちろん寝転がっている人、ブルーシートの外で立っている人、呑んでいる人、食っている人、それぞれの薄明りに照らされた掛け替えのない一つの生でもってこの一夜の宴を自由に楽しんでくれている。その一つ一つの生にこれからもこちらから歌いかけて行きたいと心底思った。

かつて一度だけ、反貧困フェスタという大きな今はもうないイベントで歌わせてもらったことがある。そのステージからは残念ながら毎回新宿中央公園の路上で歌う時に見えるおっちゃん達一人一人の顔が見えなかった。その後の歴史?を観れば、在り方がもたらした当然の結果のようにも思える。
ライブの最後の方、もう良い加減酔っぱらいながらぼくは「こんなライブをさせてもらえるから25年もやってこれた」とおっちゃん達に、新宿連絡会に、新宿中央公園の路上に礼を言った。我ながら嘘偽りない言葉だと思う。

そして演奏を終えてみんなでいただいた日本酒を呑みながら、間近で梅津和時さんバンドの生演奏を聴くぜいたくと幸せ。
今年もここで一年最後のライブを出来たことに感謝!今年も一年お疲れ様でした。

2016年もソウブラの在り方をライブを、歌を、音をみなさんぜひお楽しみ下さい。

2015年12月31日 新宿中央公園ライブセットリスト
①残された場所で
②この素晴らしくない世界で
③三ツ星さん 詩 竹内浩三
④知床旅情
⑤結風
~アンコール~
⑥そこからロック
⑦上を向いて歩こう
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大森カフェスペースC2015歌い納めライブ終了! 

2015/12/20
Sun. 21:53

昨夜のスペースCライブは、自分で言うのも何だけれどあったかい良いライブが出来て、おかげで楽しく幸せな時間を創って過ごせた。

開店祝いの席で歌ってから早19年、この場所がこうしてあり続けそこで歌い続けることの出来るうれしさは、続けて来なければ味わえない。スペースCが続きソウブラも続いてきた。ライブの頭からそんな喜びに包まれて、そんなソウブラライブを楽しみに来てくれたお客さん達の反応にのせられて、思わず自分でも「あれ、もう最後の曲!?」と時間を忘れてしまうほど歌と演奏に没頭してしまった。

知己の区議会議員のNさんも来てくれて、「このライブは誰もが自由に楽しめる」と絶賛してくれた。
それは、ここで19年かけて手探りと試行錯誤を繰り返して築いて来た空間。自分たちだけでなく、観に来た人の誰もが参加出来て楽しめるライブ。ステージと客席の垣根のないライブ。これからもそれを追求し続けるけれど、それが出来るようになったことに達成感も感じる。ここまでやって来たのだなぁと思う。

ソウブラにもいろいろあったように、スペースCも存続の危機も在り(今もって安泰とは言い難いが)、覚悟を決めた時もあったけれど、それでもこの店の人たちはオーナーのI井夫妻を筆頭にどこかおめでたいくらいに呑気で、それが19年全く変わっていないところだ。ぼくはここの運営にも関わるようになり、時に「もっとちゃんとしましょうよ!」とキツイことを言いたくなるのだが、この店の何ともゆるい雰囲気に触れると「まぁ、良いか」「何とかなるか」と毎度思わされてしまう。だからぼくもあんまりこの店の事で根を詰めたりしない。どこか余裕を持ってお付き合いさせてもらっている。

でも、障害福祉の世界までどんどん世知辛く競争原理に侵される中で、このスペースCのゆるさは貴重な福祉文化遺産のように思えて来て、何だか大切にもしたいのだ。もしかしたらこのゆるさこそが、最大の武器となり自分たちを変節することなく守ることになるのではないかという予感めいたものもある。

バンドでぶっつけ本番だった「安保ブルーズ」は、まさにソウブラらしい曲になって、単純なスローガンではなく聴き手を簡単にはすっきりさせないこの歌の内容に、ぼくも確信を持てた。この歌は現実を突いているという自負がある。歌はデモや集会の道具ではない。それらをも問い現実を切り開く力だ。

三線の山村君と二人でこれまたぶっつけの「ヒマラヤ杉は知っている」も、狙い通り良い出来であった。デモ音源を送った後で山村君から「良い歌です」と返事があり、そんな彼の気持ちが見事三線の音になっていた。
ぼくは今登戸研究所のことで頭が一杯なので、ライブでも語りたくてたまらなくてついMC過多になりがちなのだが、ライブでこの歌を歌い重ねて行くうちにコンパクトにして行きたい。でも、竹内浩三もそうだけれど、ぼくのライブをきっかけに登戸研究所のことに興味を持ってくれる人が居てくれたらうた歌い冥利に尽きる。

それにしても、この夜のスペースCのお客さんたちは楽しみ上手な人たちばかり。自由に音を鳴らしリズムをとり、そして一緒に歌う。全曲オリジナルのソウブラライブで、こんなに楽しんでくれる。アンコールの「暮らしという名のラブソング」はまさに、この日のお客さたちの歌になった。感謝感謝である。今年もありがとうでした。そして、来年も楽しいライブを一緒に創りましょう!

12月19日 スペースCソウブラライブセットリスト
①君と同じ※
②変わらない夜道
③この素晴らしくない世界で
④たまゆら
⑤余計な音
⑥安保ブルーズ※
⑦狭量と独善※
⑧寄り添う暮らしの幸せで

⑨マイ・フレンド(ソロ)
⑩ヒマラヤ杉は知っている(w山村)※
⑪金が来たら 詩 竹内浩三※
⑫曇り空 詩 竹内浩三
⑬君のうたう
⑭グローカル・ア・ゴー・ゴー※
⑮みんなで一緒に貧しくなろう※
⑯再会の夜に※
⑰かさ上げの街を臨みて※
⑱ONE GUITAR※
~アンコール~
⑲暮らしという名のラブソング

※ギャラリーサイトで動画観られます!

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今日(18日)は一日登戸研究所三昧で過ごした。

それは畢竟2015年を46歳の男として生きるぼくが、ぜひとも過ごしたかった一日であり、有意義かつ充実、新たな発見と学び多き一日であった。こんな一日を得たことを、まず師走の仕事たて込む3人職場で休暇を取らせてくれた同僚に感謝したい。

朝9時30分に、幼稚園が冬休みに入った息子と朗読劇団の一員である母ちゃんと3人で、団地から車で15分ほどの稲城市向陽台にある城山文化センターへ。
この日は東京都稲城市民を対象に、「戦後70年…甦る登戸研究所」と題した市民講座の中、登戸研究所資料館開設の立役者の一人であり、教え子であった法政二校の生徒と共に30年近く前から、かつて登戸研究所で働いていた人たちへの聞き取り調査を続けて来た渡辺賢二氏の講演と併せて朗読劇が上演される。

これまでぼくは登戸研究所について、資料館に通い文献を読むといういわば独学であったが、今日は第一人者の先生の話が直に聴けるということに、しかもその先生の講座に自分が参加出来ることに感激と共に興奮していた。

当初朗読劇は11時くらいからと聞いていたが、急きょ講座開始すぐの10時からとなり、みなさん会館の控室で立ち位置等の打ち合わせもままならないまますぐに本番になってしまい、ぼくもギターをケースから出してチューニングだけ済ませると台本を持って急いで会場に入った。

今日の会場は100人入るミニシアターのようななかなか立派な小ホールで、客席もすり鉢状でスライドを流すスクリーンも大きい。そして参加者でほぼ満席!平日の朝ということもあり高齢の方が多く見られたけれど、登戸研究所のことで、お隣の市である稲城市でこれだけ人が集まるのが驚きであった。
一瞬ここで生音はキツイかな?と思ったが、もうステージに上がり本番が始まる間際だからやるっきゃない。しかし、ぼくは一応場数だけは踏んでいるので想定外のステージに多少慣れているが、朗読者のみなさんは発声練習も出来ずに会場での声の通りも確認せずの本番である。我が母ちゃんも含めて大丈夫かしら?と思ったが、それはまったくの杞憂であった。

朗読者のほとんどが元教師のみなさんであり、朗読劇サークルで経験を積んできた方たちなので大勢の人を前にして実に堂々と声を出される。ぼくもギブソンJ-15の生音で会場に音を響かせるともうそこはこの朗読劇団の世界となった。
朝早くでもあり、会場が広いこともあってこれまでより何となくテンポがゆったりであるのを感じ、それに合わせてギターのテンポも微妙に変える。朗読者のリズムをなるべく自分も一緒に感じて弾く。そうするととっても心地よい一体感が味わえて自分のギターが劇の中の構成要素の一つになる。これがとても面白い。間違いなく活動写真弁士片岡一郎君と共演させてもらって来た経験のおかげだ。

今回も劇のヤマ場である、伴繁雄氏がモデルと思われる所員が登場し自身が登戸研究所でやったことをヒマラヤ杉に問われ独白するシーンでは、ギターの3、4弦だけをつまびくだけのシンプルな音だけれど、朗読者の声の強弱とその内容に寄り添うように弾いているうちに感情が波打ち力がこもった。

満席の観客である参加者の顔を見ると、劇に集中してくれているようで歌の場面では笑顔も見られてうれしかった。
終盤の劇中歌「多摩川音頭」ロックバージョンはぼくも一緒に歌って、これまでで一番賑やかにやれた。ご年配(失礼!)の朗読者のみなさんもすっかりノリを掴んだようである。

ドキドキヒヤヒヤのぶっつけ本番であったが、また一つ良い経験の出来たまさにライブだった。
渡辺先生も大変喜んでくれて何よりであった。

終演後は片付けした後、途中から念願の渡辺先生の講演を聴くことが出来、もうその話が良くてこんなに人の話を集中して一言も漏らすまいと聴いたのは初めてではないかと思うくらい、登戸研究所についてぼくが知りたかったこと聴きたかったことを、人柄溢れる柔らかい口調でユーモアを交えて話された。

特に亡くなる直前に手記を書かれた伴繁雄氏が、渡辺先生がいくら聞き取りをお願いしてもけんもほろろに断られ、マスコミ等の取材にも一切応じて来なかったのに、渡辺先生の教え子たち高校生が直接訪ねると、自ら逆に高校生たちに問いかけるように語り出したエピソードは、文献を読んで知っていたけれど具体的にその時の伴氏とのやりとりを聴くと、伴氏の思いがこちらに迫って来るようだった。大人には決して語らない。戦後もアメリカの反共戦略に元登戸研究所の科学者として1960年代まで協力した(させられた)伴氏は、敗戦後に軍国主義者からコロッと民主主義者となって別人のように身軽に生きた同世代の人間たちや、戦後民主主義で育ち大人になった者達に不信を持っていたのではないか?それとも自らの犯したことに対する罪悪感や後ろめたさか?

その他にも渡辺先生の話はたくさんぼくの心に刻まれた。10代等若くして登戸研究所に勤めていた人にとって、登戸研究所での仕事は楽しく幸福な青春時代であったという(高給で、しかも敵性語含む語学や技術が学べ、福利厚生もしっかりしていた)。
それは映画「小さいおうち」でも描かれていたように、戦時中でも市井の人々はそれこそ空襲などの直接攻撃を受けるまで割合みな普通の日常を謳歌していたことに通じる話だ。
しかし、登戸研究所で働いていた若者たちは敗戦の日の朝に、一切の証拠隠滅命令が下され他言を厳禁された。戦争に利用されあったことを否定された自分たちの青春時代。しかし、中には戦後数奇な運命を辿った人も居た…。

興奮冷めやらぬぼくは、講演終了後団地に戻ってから4時まで開館している登戸研究所資料館へ一人歩いて出かけ、まだ観ていなかった今年後期の展示「8.15以降の登戸研究所」を大学生でいっぱいの明大生田キャンパスへ観に行った。
すると、後から渡辺先生が今日の講座参加者を多数同行して資料館見学の説明に来られたのが見えた。家の親父と近い年齢だが、いやはやお元気である。

頭の中が登戸研究所のことでパンパンになったまま、ぼくは生田キャンパス内の弥心神社(登戸研究所が建てた神社で発明の神を祀る)境内にある登戸研究所跡碑を見に行った。
そこにはかつて研究所に勤めていた人たちが詠んだ句が刻まれている。

“過ぎし日は この丘に立ち めぐり逢う”

帰りは一駅先の読売ランド駅に行き、ヘルスよしので一番風呂に入った。「最高、最高」と呟きながら。

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年末のろライブ終了! 

2015/12/14
Mon. 22:03

今年も大好きな店吉祥寺のろで、4回もライブが出来た。

今年最後の12日の夜も、うれしいことに9人のお客さんがこじんまりとした生音空間の席を埋め、ぼくらの(3人ソウブラ)ライブを楽しんでくれた。我が師匠豊田勇造さんの歌“七夕の夜に”の歌詞にあるように、本当に聴く人あってのうた歌いである。しかも、ぼくらのように全然ポップでない華やかでもない売れ線(それがなんなのか知らんけど)でも全然ない歌をひたぶる歌うライブに、毎度足を運んでくれるお客さんが居てくれるのは、ホンと考えただけでジーンと感動してしまうソウブラを支えて余りあるうれしい現実である。

しかもこの夜は、先日30年ぶりの中学校の同窓会で再会した友人Eが松戸から駆けつけてくれ、さいたま市からは高校時代の友人も来店、我がギターの森田君は大学の同学年なので、中、高、大の仲間たちが一堂に会してのライブとなった。いやぁ長い事歌って来たけれどこんな夜は初めて。

ライブの方も、そんな懐かしい友人たちに見守られながら今のぼくの歌を、3人ソウブラで重ねてきたのろライブをバッチリ観せられたのではないかと思う。中学時代の同級生Eからはメールで「生のライブ、ほのぼのと、温かく、ホッコリして気持ち良く帰りました」といううれしい感想をもらった(ギタリストでもあるEは、ぼくらの歌“グローカル・ア・ゴー・ゴー”をカッコイイハードロックバージョンにアレンジして、YouTubeにUPしてくれているので、ぜひ聴いて下さい!)。自分の歌いたい歌をしっかり歌いつつ、お客さんに楽しんでもらい気持ち良く帰ってもらう。それは常にぼくの目指すライブであり、音楽でもある。

打ち上げでマスター加藤さんも交えて楽しく呑み(これもこの店ならではの楽しみなのです)、後半には大好きなナツメグのMちゃんとM本さんも合流して語り合った。加藤さんはぼくがライブで目指していることを見抜いて、それがだんだん良くなり実現して来ていると評価してくれた。重い歌でも軽やかにライブで歌う。そして何より楽しんでもらう。それはのろのようなお客さんととっても近いライブ空間だからこそ、聴き手と歌い手が明確に分けられ演出されることがほとんどない場所だからこそ、切実に真剣に歌い手はそれを目指したくなる。そしてぼくはそんな場所が空間が大好きで、そういう所こそ自分が歌うべき場所であると思ってしまう性質なのだ。

のろで歌い出して早5年が過ぎた。まだまだもっとのろで歌いたい。10年、20年とこの店で大好きな生音で歌いたい。なにせまだまだもっと良いライブがしたいのだ。そういう意味で売れる気ゼロでも(CDはもう少し売れてほしい)ぼくは大した野心家なのだ。そして、歌い終えてそのまま腰を下ろしてギターも置いて、ライブを楽しんでくれたお客さんと加藤さんと美味い酒(田苑)を呑みたい。

のろライブの翌日、店の継続が困難になったとブログで公表した加藤さん。ぼくは勝手にこんなことを思い書き連ねているけれど、四の五の言わずにまた呑みに行きます。大好きな店に呑みに行きます。ぼくが吉祥寺で唯一知っている店であり、ぼくにとって、どれだけ駅や駅前や街並が変わろうと変わることのない吉祥寺そのものである店のろに呑みに行きます。


3人ソウブラ(五十嵐、森田、梅田)のろライブセットリスト
①マイ・フレンド
②変わらない夜道
③この星に日が昇る間の話
④余計な音
⑤たまゆら
⑥狭量と独善
⑦再会の夜に

⑧ヒマラヤ杉は知っている
⑨鮪に鰯 (高田渡さんのカバー)
⑩少女とタマノカンアオイ
⑪グローカル・ア・ゴー・ゴー
⑫金が来たら 詩 竹内浩三
⑬曇り空 詩 竹内浩三
⑭君のうたう
⑮かさ上げの街を臨みて
⑯ONE GUITAR
~アンコール~
⑰抵抗の歌

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ロケンロールライフ622 

2015/12/08
Tue. 23:27

今日は午後から職場の事務室にこもってひたすら法人ニュースの原稿執筆。

幸い相談電話も来客も無く、途中銀行に出かけた以外4時間ひたすらPCに向かい、参考資料の厚労省HPから見られる社会保障審議会障害者部会の議事録と、12月4日に出たばかりの報告書「障害者総合支援法施行3年後の見直しについて」(案)と首っ引きになりながら、そこから読み取れることをぼくなりに解釈&解説し、問題提起とそれに抵抗する自分たちの態度表明をひたぶる書く。

ニュースの特集記事は毎回A4びっしり4枚分。この1週間ちょこちょこ書き出しては筆が止まっていたが、今日は何か糸口を掴みノッテ来て一気に3枚まで書いたら、夕方突然吐き気と頭痛が襲って来てもう1秒でもPCの画面を見るのが辛い状態になり、こりゃぁいかんと切り上げてさっさと帰宅し晩酌&夕食後2時間近く寝たらすっかり良くなった。

どうやら根を詰め過ぎたらしい。なにせ学者でも研究者でもない一福祉現場で働く人間が、徒手空拳国の政策を1本のペン(PCだけど)でぶった斬ろうとするわけで、読者は少ないとはいえ区の役人から保健師、生活保護のワーカー、病院のケースワーカーから地域の支援者、犬猿の仲を多く含む同業他者たちが目を通すニュースだから常に真剣勝負であり、プレッシャーは毎回かなり感じている。

「ならば書かなければ良い」という心の声は毎度囁き、その囁きは「どうせ読まれてどうなるものでもない」「今回出なくても誰も気付きもしないさ」という誘惑となり、その全くの独り作業の孤独と相まって今回も正直諦めそうになった。
しかし、夏と冬の年2回発行を2006年の冬から始めてついに19号である。多くはないけれどこのニュースの手応えは確かにあり、反響もあった。せめて20号までは書こうじゃないかと自分に言い聞かせてこの年末も執筆を開始したのだった。

そのモチベーションは、やはり障害者自立支援法に対する止まない抵抗心であり、社会福祉で飯を喰う者が捨ててはいけないと信ずるところの矜持のようなものだ。時代に取り残されるのは望むところであり、孤立無援もまた然りである。
自立支援法の名を詐欺的に変えただけの総合支援法の見直し論議は、障害福祉制度をさらに成果主義と効率優先に堕するものであり、軍事とそれにまつわる経済優先国家に突き進むために社会保障費を抑制するためだけに仕組まれた茶番だ。

このことを書き発信することはすなわち、ぼくの望む社会の在り方の為でもあり、それがそのままぼくの暮らし方でもあり、闘い方歌の在り方でもあるのだ。おかげさまで薄給にあえぎまったくもって非力であるけれど、この境遇に、置かれている環境に、自分の立ち位置に何の矛盾も感じず根を詰めることが出来る。これはやはり幸せなことだろう。

誰に依頼されたわけでもない、書く義務もない、もちろん報酬も無い、ただ手前が書きたい、書かずにおれないそんな我がNPO法人あまのはらニュース第19号を、自分で決めた発行日12月24日までに書き上げてみせよう。

今宵のBGMは、タイのスーパーバンドカラワンのメンバーであるモンコンさんのライブアルバム。独特のゆるいグルーヴ感がたまらない、歌詞の意味が全然分からなくても十分楽しめる逸品。カラワン時代の曲もセルフカバーしていて、全体的にレゲエっぽいリズムが心地よくずっと聴いていたくなる。嗚呼、アタシは昨年来日したモンコンさん本人と握手していただいたのだった。やっぱ幸せ者である。こういうことがあるから、存分に筆をふるえるのだろうなぁ。

BGドリンクはトマトジュースでした。ではまた、ロケンロール!

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2017-02