周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

ロケンロールライフ821 

2017/08/16
Wed. 22:02

今年の夏休みは、我が家で初めて受験生の居る夏休みである。

夏休み中にも何校か高校説明会に行き、長女は毎夜高校案内を見ては母ちゃんと志望校について相談している。親父は基本的に2人に任せ首を突っ込まない。長女から聞いて来た時だけ自分の経験に即して質問に応えるのみ。特に高校受験に失敗し、心身症に罹りながらどうにかこうにか高校生活を送った父の体験談は、身近な悪い例として参考になるらしい。

ぼくも母ちゃんも3人の子どもに「勉強しろ」とは言わない。少なくともぼくはこれまで一度も言ったことが無いしおそらくこれからも言わないだろう。塾に行かせる経済的余裕はないので、長女は自分で工夫しながら、母ちゃんが時に深夜まで家庭教師してあげて独学で(父から見ると)毎日毎日頑張って受験勉強している。
それでもなかなか思うように成績が上がらないと悩む長女を見ると、ちょっと不憫に思う。最終的には、秋にどれだけ成績が上がるかで自分の学力に合わせた志望校を決めるつもりらしい。

成績には割とうるさかったぼくのお袋だったが、志望校はほとんど自分だけで決めた覚えがある。少しでも住んでいる町から人から離れたくて、第一志望もすべり止めもぼくは県外である埼玉の高校を選んだ。その自分の選択にぼくは過大な希望を持ち、過剰な期待を寄せて結果見事打ち砕かれた。「歌」という表現方法を見つけるまでの高校最初の1年間は、自分のこれまでの人生の中で最も暗く、毎日毎日後悔と、もし受験に失敗していなかったらという妄想だけで過ごした。
長女にはとにかくそんな父のような思いはしてほしくない。だから父はあえて「たかが高校受験だ。人生そんなことではなんも決まらない。あんまり根詰め過ぎずに息抜きながら気楽にやれよ」とばかり声をかける。母ちゃんには呆れられるが、そんなぼくの物言いの真意は分かっていると思う。

そういう意味では、勉強道具を持って行きながらだったけれど、金沢八景にも千葉の実家にも行けてちょっと長女の息抜きに付き合えた今年の夏休みであった。息子も連れて3人で行った、昨夜の神宮球場ヤクルトvs巨人戦が雨で中止になったのは残念だったけれど。

おかげで72回目の敗戦の日を、新聞を読みラジオを聴き本を読んで考え、そして歌を書いて静かに過ごせた。

今宵のBGMは、ヴァン・モリソンの71年発表の名盤「テュペロ・ハニー」。
BG酒はコープ仕様の金麦でした。ではまた、ロケンロール!
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ロケンロールライフ820 

2017/08/14
Mon. 23:57

早朝6時半過ぎの利根川の土手は静かであった。

周辺に広がる広大な公園を散歩する人や、こんな早朝からゴルフの練習をしている人が居るけれど、時がこの古く広大な川の流れと同じくゆっくり流れているようだ。
帰省ラッシュの渋滞を避けるべく早起きして団地を5時に出たら、1時間半で実家のある千葉県野田市に着いた(軽ワゴン車なので高速でもほとんど制限速度で走りマス)。あんまり早く着いたので家族を説き伏せて、今回の帰省で訪れたかった、1923年の関東大震災直後に香川県から来ていた被差別部落出身の行商人一行が朝鮮人と疑われ、地元の住民たちに胎児含む10人が虐殺された「福田村事件」の現場を探しに、近くと思われる川沿いの大きな公園の駐車場に車を停めて公園で休憩する家族と離れ、ぼくは一人崙書房出版の「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」を片手に周辺を歩き回って土手の上に立ったのだった。

どうやらぼくは事件の現場となった「三ツ堀」より少し上流の「木野崎」に居るようで、虐殺現場はここからもうちょっと土手を歩いたところのようだった。しかし、その方向には広大なゴルフ場が広がるばかり。それは、10数年前に現地を訪ねたドキュメンタリー映画監督森達也氏が書いていた通りで、惨劇が起こされた現場にまったく似つかわしくないのどかさではあるけれど、決して「平和」とは呼べない光景に感じた。それは踏みにじり隠ぺいし「あったものをなかったことにして」創り上げた人為の光景であった。もちろんこの事件を知らなければぼくもそうは思わなかっただろう。しかし、完全になかったことにすることなどそもそも出来やしないのではないか?現在では近くのお寺に慰霊碑も建ち、事件を粘り強く検証する人たちが居て本も出版され、ぼくがこの事件を知ったきっかけともなった中川五郎さんの唄う「1923年福田村の虐殺」という歌もある。何十年も村をあげて隠ぺいしてきた事件の真相は今からでも積極的に明らかにして行くべきだと思う。加害の歴史と向き合う意味は、過ちを繰り返さない未来を創る為に本当に大きいからだ。

結局、この時点ですでに家族をずいぶん放置してしまっていたので、ぼくは現場までさらに歩いて行く事をあきらめ、車でもうちょっと近くまで行ってから朝食を済ませて子どもたちが楽しみにしている実家を目指した。
ぼくの実家は現在野田市であるが、ぼくが住んでいた時は関宿町であり、隣接しているけれども鉄道の敷かれていない関宿と敷かれている野田市とは全く交流も無く断絶していると感じていた。真相は明らかでないが、鉄道が敷かれる時も関宿町側は「よそ者が入って来たら困る」と言って断ったので鉄道が関宿には通らなかったという話があったほど、ぼくが住んでいた頃は超閉鎖的な町であった。
けれど、現在は同じ野田市となった福田村事件の現場付近から実家までは、昔からの古道である通称「裏県道」7号線1本で繋がっていることを今回初めて知った。道が通っていたということは、当然行き来もあったのではないか?そんな妄想が湧いて来る。94年前の事件のことも、人づてにかつての関宿町(関東大震災当時は3つの村に別れていた)にも伝わっていたかもしれない。

そんな朝で始まった1泊2日の帰省だったが、1年ぶりに親父と恒例の酒を酌み交わしての長話(家族にいつも驚かれるが、おしゃべりのアタシがほとんど聞き役で親父がとにかくしゃべる。そんな元気な親父を見るのが息子としてはなんともうれしい)を楽しみ、子どもたちはいつも可愛がってくれる義妹とゲームや花火でたっぷり遊んでご満悦であった。
夕方は歩いて1分の母校である中学校の野球グラウンドで息子と野球をしたが、息子は実際のグラウンドのスケールに驚き、打ってもなかなか内野を超えないことにショックを受け、いつもは加減している父がグラウンドなので久しぶりに息子の投げるボールを思いきりかっ飛ばしたら、見事ホームランとなってしまい息子はイジけて一人でトボトボ帰ってしまった。

愛着と言えば現在住んでいる川崎市多摩区が断然勝るけれど(元々ぼくには限定した土地への愛郷心的なものや、故郷へのこだわりもない)、5歳から18歳まで暮らしたこの町にはやはり自分の思い出が詰まっており、そんな自分の思い出にも連なるこの町への興味がまだまだ自分にはあることを実感した、短いけれど実に充実した帰省であった。

今宵のBGMは、タイのスーパーバンドカラワンの94年発表の20周年ライブの3本組カセットテープ。
カラワンの歌から見えて来る行ったことも無いタイの風景。それもまたぼくにとって故郷ではないけれど、愛おしくなるような風景です。BGドリンクはトマトジュースでした。ではまた、ロケンロール!

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ロケンロールライフ819 

2017/08/08
Tue. 23:33

昨日は息子の手術後初の経過観察通院であった。

仕事から帰宅すると我が家の雰囲気はいつも通りの明るさだったので、経過が良好だったのだなと思いつつ母ちゃんに「どうだった?」と聞けば、やはりとても順調とのことで、何と胸に強い衝撃さえ与えなければ走ることも野球をすることも許しが出たそうな。しかも、足の付け根の傷も塞がったので海にもプールにも入れるという!入院&手術からまだ2週間しか経っていない。去年の夏休みから心のどこかにずっと置かれた状態であった重石が、こんなにあっという間に無くなるとは何だかにわかに信じ難い気もして来て、しつこく母ちゃんにエコーでちゃんと心房間のあなが塞がっているのを確認したのかと聞けば、確かに手術前までドバドバと右心房に流れ込んでいた血液の流入は止まり、手術で入れた傘状の蓋がバッチリ機能しているのをその目で見たという。

息子と言えば、執刀医からずっと言われて来た「手術したら足が速くなるぞ」を早く試したくて、通院から帰るとすぐに団地内の道を全力疾走し、飽き足らず無理やり母ちゃん相手にキャッチボールをしたと言う。ぼくに向って得意げに「俺は改造人間となってパワーアップしたのだ」と仮面ライダーの観過ぎなセリフを言えば、父は「ふん、ショッカーに改造されたかもしれんぞ」とやり返す。子どもの回復は早いと聞いてはいたが、あんな大きな手術からこんなに早く元気になるとは思いもしなかった。

今夜我が家は野球中継に盛り上がり、しかもヤクルトが勝ったので特に長女と息子は大はしゃぎでクーラーのない灼熱の我が家で東京音頭を踊ってさらに熱くなる。風呂上りの息子がいまだ熱気さめやらぬ様子で、部屋で一人パンツ一丁でやはり汗だくになりながらギターと歌の練習をしている親父の所に来て「俺中学入ったら絶対野球部入るから。それと来年3年生になったら少年野球にも入るから!」と宣言した。ついに来るべき時が来たかと思った親父は、汗だくのパンツ一丁のままギターを置き、「よし、分かった。だがこれだけは言っておく。父ちゃんは売れっ子ミュージシャンだから、お前の少年野球の手伝いは一切出来ない。良いな?」と息子に告げる。息子は「ジジィが来なくたって平気だよ。友だちがもう3人も入ってるんだから」と親父に応えた。あぁまさにアタシの幼少時と同じパターン。野球熱が高じて町で最初に出来た少年野球チームに入ったのはやはり小学3年か4年の時だったか?元々それほど社交的でなく自分の好きな事を一人で良いからやっていたい親父は、ぼくに野球を教えてくれたけれど全く少年野球には顔を出さなかった。面倒くさいのは痛いほど分かる。そこまで野球が、チームプレーが好きでないこともよ~く分かる。親子3代にわたる我が家の野球伝承物語。まぁ息子はどうなるか、いつ何か他のもの(父はロック)に転向するか、ともかくやらせてあげよう。あぁでもまた金かかるな~(涙)。

今宵のBGMは、ブラウニー・マギー&サニー・テリーのLP「ウォーク・オン」。このアルバムに収録されている“ダウン・バイ・ザ・リバー・サイド”は、11日の国立は谷保かけこみ亭での共謀コンサートのセッション曲でもあるので(やるのは日本語バージョン)予習兼ねて聴いていますが良いですね。アコギとブルーズハープだけのシンプルなサウンド。この手のブルーズのレコードをけっこう持っているのがアタシのちょっとした自慢でもあります。
BGドリンクはトマトジュースでした。では11日はかけこみ亭共謀コンサートでロケンロール!

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ロケンロールライフ818 

2017/08/04
Fri. 23:08

自分自身の寛容さを試され、寛容さを要求され、ギリギリと錐で心を突き立てられるような1週間であった。

成果主義も効率優先も拒否した場所を維持するには、寛容さを基礎に置かなければならないが、相手の不寛容をどこまでも受け容れるわけには行かない。出来れば不寛容を寛容の方へシフトさせたいが、残念ながら人はそう簡単には変わらない。と言うか変えられない。何でも話を聞きそのすべてを肯定することなど出来ない中で、伝えるべきことを出来るだけ誠心誠意伝えるが、その言葉は尽くせど曲解され排除宣告とされてしまう。確かに、自分の中に排除の感情や意思が全くないとは言えないかもしれない。こちらは共に在るための提言のつもりでも相手にはそうは伝わらない。ただ、それでもこの世界は寛容であるべきと思い続けている。

状況を知ったある専門家は「相手はあなたからのこの言葉を待っている」と具体的に言って来るが、それを簡単に言ってしまえないこちらの現状へ思いを馳せることはない。あくまでやりとりの形式的な分析から導き出されたスーパーバイズであり、それはこちらがもっと寛容でありさえすれば良いのだと言う軽々で無責任な善意の強要でもある。それを言われた時に、ぼくは思わず疲労もあって電話口で「こちらも生身の人間なので」と言ってしまい、赤面するほど恥ずかしくなり後悔した。この仕事を25年もやって来てこんなまるで素人の泣き言の様な台詞を吐くとは、何とも自分が情けないのであった。

しかし、別の機関の専門家が「第3者がキレイごとを言うのは簡単だが、そういう(寛容な)場所を作り維持して行く事のご苦労は大変なものだと思います」と言ってくれた時には、ちょっと救われた気持ちになった。他人に意見をする時は最低限これくらいの矜持は持ちたいものだ。
ぼくは責任者として時に決断をしなければならない。しかし、その決断に常に自信があるわけではない。間違っているかもしれない。けれど、そこに至る過程で相当の自分自身との葛藤と闘いを経ているつもりだ。無責任にならぬよう、責任の所在を誤魔化さぬよう、小さな場所で組織であり続け自分が逃げも隠れも出来ない所に居続けようとしている。

それはまぁ、やりがいあるっちゃぁあるけれど、正直しんどい(金も儲からん)。他の人にはとても勧められない。以前知己の区議会議員さんに「五十嵐さんもそろそろ後継者育てなきゃ」と言われたが、後など申し訳なくて誰にも継がせられない。一代限りで良いじゃないかと正直思う。でも、それでもやっぱり世界はもっと寛容であるべきだとする自分と向き合いまだ働きに出る。この生業で飯を喰うために。

毎夜、枕元で読んだ竹内浩三に救われた1週間であった。明日のその感謝の気持ちも込めてR'sアートコートで唄います!

今宵のBGMは、久しぶりに聴いたベン&エレン・ハーパーの母子デュオアルバム「チャイルドフッド・ホーム」。優しいアコースティックサウンドと優しい親子のハーモニーが素晴らしい逸品。お袋さんとこんなアルバムが作れるなんてベン・ハーパーは幸せ者だ。
BG酒は麦とホップゴールドでした。では、明日はR'sアートコートでロケンロール!



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ロケンロールライフ817 

2017/08/01
Tue. 23:12

日曜の夜から毎晩小一時間、枕元で久しぶりに定本竹内浩三全集「戦死やあはれ」を読んでいる。

資料も満載のこの豪華本には、彼の直筆の丸っこい文字で書かれた原本写真や、特に中学時代(現代の中学~高校生)に多く書かれたイラストマンガを観ることが出来て、仕事でささくれ立った心を癒す。何べん学校側から禁止されても、果ては柔道教師宅に預けられてしまっても彼はこっそり、でも結局大っぴらに自由な表現を止めなかった。
けれど、それでも彼の文字は尖ることなく、ヘタウマな絵はどこまでもほんわかと茶目っ気たっぷりで読む者を和ませる。彼は自分をどうにも浮いてしまう不適応者と自覚していたが、そこに歪んだ自己愛や絶望的なまでに他罰的な自尊心は欠片もない。そのことにぼくはあらためて感動すると共に、辺見庸氏が今年の講演会で語ったという言葉を想起した。それは“最も低い視線から世界を眺める”“無用、役立たずの視点”“生活のリアルな現場から世界を見上げる。それが最も正確な世界の見方”といった言葉だ。

ぼくが3年前に、竹内浩三詩に曲をつけた歌ばかりを収録したアルバム「ひたぶるにただ」を作った一番の動機は、竹内のそんな“無用、役立たずの視点”こそが、秘密保護法が強行採決され第二次安倍内閣の暴走が牙をむき出したその時に、ぼくにとってもっとも有効かつ決してつぶされない抵抗の姿勢であり、暴走し続ける世界を本当にひっくり返す手段と確信したからだった。
それから3年過ぎたが今もってその確信は変わらない。
けれども、久しぶりにゆっくり読む竹内浩三の絵や言葉たちは何だか救いのようである。尖った神経とわずかの余裕もない(と自分で思い込んでいる)病んだ心に対して、毎日ギリギリと寛容ばかりを迫られる日々に(それでも世界は寛容であるべきと思いつつ)、72年前わずか23歳で国家の愚かな蛮行である戦争で殺された男の世界を見、描く姿勢が救いなのだ。それでも人間をきらいになってはいけないと、彼の丸っこい字と風景が匂って来そうな絵たちがもう彼よりずいぶん歳取ったぼくに優しく語りかけるのだ。

つい先日、そんな竹内浩三の絵とは真逆の、精密に描かれてはいるが観る者の神経を波立たせ美しいというより、どこか「壊れている」と思わせる絵を観た。それは、相模原事件の植松被告が神奈川新聞社に送って来た手紙に同封されていた鯉の滝登りの精密画であった。

今夜も竹内浩三全集の頁を繰りながら、明日を迎えよう。
8月5日(土)新大久保アールズアートコートでの憲法フォークジャンボリーで竹内浩三詩を3曲歌います。
出番は13:15~前売り券1000円当日1200円です。ぜひぜひお運び下さい!

今宵のBGMはスティーヴ・アールの2009年発表の「タウンズ」。
BGドリンクはレモンアロマオイルを垂らした水でした。ではまた、ロケンロール!

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2017-08