周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

新曲「ボール&チェイン」 

2017/08/17
Thu. 22:24

ボール&チェイン
詞 曲 五十嵐正史

まるで心に錐を突き立てられるような日々
いつまでそうして試され続ける?
試しているのは自分? それとも君?
時代が世間が 住みにくい人の世が

越えたはずの壁 抜け出したはずの轍
でも今俺はまた 捕まってしまった
またあの鎖が絡みつく
またあの鎖が絡みつく

救いを求めるように言葉の海をさまよう
この世に片付くものなどなく起こった事はいつまでも続く
それを受け容れる? それを拒む?
それでも日が昇り沈む 自然の端っこで

越えたはずの壁 抜け出したはずの轍
でも今俺はまた 捕まってしまった
またあの鎖が絡みつく
またあの鎖が絡みつく

周りがあまりに激しく変わって行く中で
つつましい場所でさりげなく居ることは難しい
解放の言葉が 実現を迫る
一日も早く一つでも多く 掴み取れと

それは越えたはずの壁 それは抜け出したはずの轍
でも今俺はまた 捕まってしまった
またあの鎖が絡みつく
またあの鎖が絡みつく

またあの鎖が絡みつく
またあの鎖が絡みつく


夏休み前に1番だけ出来ていた歌詞を、敗戦の日に一気に2番3番を書いて完成させた。
タイトルはジャニスの代表曲と同じだけれど、曲調は割と明るくヴァン・モリソンのアルバム「トゥー・ロング・イン・イグザイル」に収録されている方の“ボール&チェイン”が下敷きになっている。でも、ジャニスの映画を観たことにも影響されているかも…。それと夏目漱石。
内容は日々の実感そのもの。ぼくはそれしか書けない。物語も書けないなぁ。ホンと実感しか書けないなぁ。だから書けなくなることもないのかもしれない…生きている限り実感し続けているのだから。
スポンサーサイト

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ロケンロールライフ821 

2017/08/16
Wed. 22:02

今年の夏休みは、我が家で初めて受験生の居る夏休みである。

夏休み中にも何校か高校説明会に行き、長女は毎夜高校案内を見ては母ちゃんと志望校について相談している。親父は基本的に2人に任せ首を突っ込まない。長女から聞いて来た時だけ自分の経験に即して質問に応えるのみ。特に高校受験に失敗し、心身症に罹りながらどうにかこうにか高校生活を送った父の体験談は、身近な悪い例として参考になるらしい。

ぼくも母ちゃんも3人の子どもに「勉強しろ」とは言わない。少なくともぼくはこれまで一度も言ったことが無いしおそらくこれからも言わないだろう。塾に行かせる経済的余裕はないので、長女は自分で工夫しながら、母ちゃんが時に深夜まで家庭教師してあげて独学で(父から見ると)毎日毎日頑張って受験勉強している。
それでもなかなか思うように成績が上がらないと悩む長女を見ると、ちょっと不憫に思う。最終的には、秋にどれだけ成績が上がるかで自分の学力に合わせた志望校を決めるつもりらしい。

成績には割とうるさかったぼくのお袋だったが、志望校はほとんど自分だけで決めた覚えがある。少しでも住んでいる町から人から離れたくて、第一志望もすべり止めもぼくは県外である埼玉の高校を選んだ。その自分の選択にぼくは過大な希望を持ち、過剰な期待を寄せて結果見事打ち砕かれた。「歌」という表現方法を見つけるまでの高校最初の1年間は、自分のこれまでの人生の中で最も暗く、毎日毎日後悔と、もし受験に失敗していなかったらという妄想だけで過ごした。
長女にはとにかくそんな父のような思いはしてほしくない。だから父はあえて「たかが高校受験だ。人生そんなことではなんも決まらない。あんまり根詰め過ぎずに息抜きながら気楽にやれよ」とばかり声をかける。母ちゃんには呆れられるが、そんなぼくの物言いの真意は分かっていると思う。

そういう意味では、勉強道具を持って行きながらだったけれど、金沢八景にも千葉の実家にも行けてちょっと長女の息抜きに付き合えた今年の夏休みであった。息子も連れて3人で行った、昨夜の神宮球場ヤクルトvs巨人戦が雨で中止になったのは残念だったけれど。

おかげで72回目の敗戦の日を、新聞を読みラジオを聴き本を読んで考え、そして歌を書いて静かに過ごせた。

今宵のBGMは、ヴァン・モリソンの71年発表の名盤「テュペロ・ハニー」。
BG酒はコープ仕様の金麦でした。ではまた、ロケンロール!

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ロケンロールライフ820 

2017/08/14
Mon. 23:57

早朝6時半過ぎの利根川の土手は静かであった。

周辺に広がる広大な公園を散歩する人や、こんな早朝からゴルフの練習をしている人が居るけれど、時がこの古く広大な川の流れと同じくゆっくり流れているようだ。
帰省ラッシュの渋滞を避けるべく早起きして団地を5時に出たら、1時間半で実家のある千葉県野田市に着いた(軽ワゴン車なので高速でもほとんど制限速度で走りマス)。あんまり早く着いたので家族を説き伏せて、今回の帰省で訪れたかった、1923年の関東大震災直後に香川県から来ていた被差別部落出身の行商人一行が朝鮮人と疑われ、地元の住民たちに胎児含む10人が虐殺された「福田村事件」の現場を探しに、近くと思われる川沿いの大きな公園の駐車場に車を停めて公園で休憩する家族と離れ、ぼくは一人崙書房出版の「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」を片手に周辺を歩き回って土手の上に立ったのだった。

どうやらぼくは事件の現場となった「三ツ堀」より少し上流の「木野崎」に居るようで、虐殺現場はここからもうちょっと土手を歩いたところのようだった。しかし、その方向には広大なゴルフ場が広がるばかり。それは、10数年前に現地を訪ねたドキュメンタリー映画監督森達也氏が書いていた通りで、惨劇が起こされた現場にまったく似つかわしくないのどかさではあるけれど、決して「平和」とは呼べない光景に感じた。それは踏みにじり隠ぺいし「あったものをなかったことにして」創り上げた人為の光景であった。もちろんこの事件を知らなければぼくもそうは思わなかっただろう。しかし、完全になかったことにすることなどそもそも出来やしないのではないか?現在では近くのお寺に慰霊碑も建ち、事件を粘り強く検証する人たちが居て本も出版され、ぼくがこの事件を知ったきっかけともなった中川五郎さんの唄う「1923年福田村の虐殺」という歌もある。何十年も村をあげて隠ぺいしてきた事件の真相は今からでも積極的に明らかにして行くべきだと思う。加害の歴史と向き合う意味は、過ちを繰り返さない未来を創る為に本当に大きいからだ。

結局、この時点ですでに家族をずいぶん放置してしまっていたので、ぼくは現場までさらに歩いて行く事をあきらめ、車でもうちょっと近くまで行ってから朝食を済ませて子どもたちが楽しみにしている実家を目指した。
ぼくの実家は現在野田市であるが、ぼくが住んでいた時は関宿町であり、隣接しているけれども鉄道の敷かれていない関宿と敷かれている野田市とは全く交流も無く断絶していると感じていた。真相は明らかでないが、鉄道が敷かれる時も関宿町側は「よそ者が入って来たら困る」と言って断ったので鉄道が関宿には通らなかったという話があったほど、ぼくが住んでいた頃は超閉鎖的な町であった。
けれど、現在は同じ野田市となった福田村事件の現場付近から実家までは、昔からの古道である通称「裏県道」7号線1本で繋がっていることを今回初めて知った。道が通っていたということは、当然行き来もあったのではないか?そんな妄想が湧いて来る。94年前の事件のことも、人づてにかつての関宿町(関東大震災当時は3つの村に別れていた)にも伝わっていたかもしれない。

そんな朝で始まった1泊2日の帰省だったが、1年ぶりに親父と恒例の酒を酌み交わしての長話(家族にいつも驚かれるが、おしゃべりのアタシがほとんど聞き役で親父がとにかくしゃべる。そんな元気な親父を見るのが息子としてはなんともうれしい)を楽しみ、子どもたちはいつも可愛がってくれる義妹とゲームや花火でたっぷり遊んでご満悦であった。
夕方は歩いて1分の母校である中学校の野球グラウンドで息子と野球をしたが、息子は実際のグラウンドのスケールに驚き、打ってもなかなか内野を超えないことにショックを受け、いつもは加減している父がグラウンドなので久しぶりに息子の投げるボールを思いきりかっ飛ばしたら、見事ホームランとなってしまい息子はイジけて一人でトボトボ帰ってしまった。

愛着と言えば現在住んでいる川崎市多摩区が断然勝るけれど(元々ぼくには限定した土地への愛郷心的なものや、故郷へのこだわりもない)、5歳から18歳まで暮らしたこの町にはやはり自分の思い出が詰まっており、そんな自分の思い出にも連なるこの町への興味がまだまだ自分にはあることを実感した、短いけれど実に充実した帰省であった。

今宵のBGMは、タイのスーパーバンドカラワンの94年発表の20周年ライブの3本組カセットテープ。
カラワンの歌から見えて来る行ったことも無いタイの風景。それもまたぼくにとって故郷ではないけれど、愛おしくなるような風景です。BGドリンクはトマトジュースでした。ではまた、ロケンロール!

[edit]

CM: 2
TB: 0

page top

かけこみ亭「共謀」コンサート終了! 

2017/08/12
Sat. 22:08

今日の夕方の森は凄かった。

左から、右から、前方後方斜めからヒグラシの鳴き声だけが森の中を響かせ満たし、これぞ蝉時雨であった。蝉時雨とはヒグラシの声こそ相応しい。ぼくは愛国心の欠片も無く胸を張って非国民を自認している者だが、愛蝉時雨心はそんじょそこらの狭量な愛国者より数倍持っているだろうと自負している。
時折何度も立ち止まりながらヒグラシシャワーを全身に浴びて、「すげぇすげぇ」と呟く。夏休みの真っ只中、観光地行楽地行く必要なし。ここで十分。しかもこの森の道は地上の楽園銭湯ヘルスよしのへと続いているのだ。

今日も午前中は息子と長女と90分団地の公園で野球をやって良い汗かいた。心臓手術後の息子は明らかに変わり、息切れがなくなった。どれだけ動いても呼吸が荒れることなく涼しい顔して投げたり打ったり走ったり出来るようになった。その分こっちがヘトヘトになって終わりにしたくても、「俺まだ全然平気」と言って止めさせてくれない。これは冗談抜きで親父も体力つけないととてももちそうにない。

10日から16日までのぼくの夏休みは、例年のようにまずは金沢八景の義父宅に1泊しに行った。義母と離婚し一人義父が移り住んだ金沢八景は、我が家の最高の避暑地であり、おそらく家族全員の共通の夏の思い出の場所として生涯忘れることはないだろう。なにせ家族全員では金沢八景海の公園以外の海に行ったことはないのだから。
しかし、この無料で一日中楽しめ(巨大テント有り)無料のシャワーまであって無料でアサリが採り放題(シーズン過ぎなので大分小粒ではあるが)の海を知ってしまうと、特に我が家のような貧乏家族は他に行くアテは考えられず、ここよりリーズナブルな海水浴場など思い付かない。それよりなにより無料宿泊所である義父宅もそばにあるのだから。

海で散々遊んで採れたてのアサリの酒蒸しをたっぷり食って金沢八景を満喫した翌日は、国立は谷保のかけこみ亭でのイベント“共謀コンサート”にソウブラで出演。5時間近い長丁場ライブだったが、1週前に出演した憲法フォークジャンボリーに比べたらなに短いもんです。ソウブラは2部のトップで元気いっぱいライブしました。出演者も大勢であったがお客さんもけっこう来てくれて大盛況であった。トリのいぢょんみさんの、観る者の魂に優しくけれど直につかまれ響いてくる貫録マンチクリンのステージまで地下の洞窟の様なかけこみ亭はたくさんの歌と音で包まれた。MCでも言ったけれど、ライブこそはまさに共謀無くしては成り立たない表現だ。機械的なライブハウスのブッキングは別だが、ソウブラの出演するライブはすべて今回みたいにテーマがあったり、呼んでくれたお店や施設、団体の思いがあってそれに共謀しつつソウブラならではのライブパフォーマンスをする。その緊張感や達成感、予想もつかない一期一会の共謀の結果こそが面白いのだ。このまんまライブを続けること、共謀し唄い続けること、それをそれぞれがやり続けて行けば、権力側がそのすべてを潰すことなど出来やしない。だから大きくやる必要はない。小さくて良い。ゲリラ的に単発を繰り返すのだ。それに参加し出会った者の心に確かな跡を残しながら…。

昨夜の出演者のみなさん、首謀者のMさんお疲れ様でした!また何度でも共謀しましょう!
夏休みの後半、明日からは子どもたちが「千葉じぃちゃん家」と呼ぶアタシの実家旧関宿町に1泊帰省。1年ぶりに親父とゆっくり呑みます。

今宵のBGMは、久しぶりに聴いてます。かつて共演したことがあり(家にも泊まってもらった)、2000年に亡くなったシンガーソングライターハギーさんの97年発表の「フロム・ヒロシマ」。当たり前だけれど歳とらないハギーさんのあの熱い魂の歌声が聴こえる。初めて彼の声を聴いた時「自分と同じ路上で鍛えた声だ」と思った。出来るだけ遠くまで、隔てる壁の向こうまで届かそうと張り上げる声、彼の声は今も届いている。確かに届いている。そのメッセージと共に。ぼくは勝手に余計なお世話だけれど、彼の分まで今生で唄っている。

BG酒はコープ仕様の金麦でした。ではまた、ロケンロール!

ソウブラ共謀コンサートセットリスト
①ヒマラヤ杉は知っている
②ファシスト野郎
③ひとりのたたかい
④ないしょの話(母の歌集)
⑤命でしかないビート

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ロケンロールライフ819 

2017/08/08
Tue. 23:33

昨日は息子の手術後初の経過観察通院であった。

仕事から帰宅すると我が家の雰囲気はいつも通りの明るさだったので、経過が良好だったのだなと思いつつ母ちゃんに「どうだった?」と聞けば、やはりとても順調とのことで、何と胸に強い衝撃さえ与えなければ走ることも野球をすることも許しが出たそうな。しかも、足の付け根の傷も塞がったので海にもプールにも入れるという!入院&手術からまだ2週間しか経っていない。去年の夏休みから心のどこかにずっと置かれた状態であった重石が、こんなにあっという間に無くなるとは何だかにわかに信じ難い気もして来て、しつこく母ちゃんにエコーでちゃんと心房間のあなが塞がっているのを確認したのかと聞けば、確かに手術前までドバドバと右心房に流れ込んでいた血液の流入は止まり、手術で入れた傘状の蓋がバッチリ機能しているのをその目で見たという。

息子と言えば、執刀医からずっと言われて来た「手術したら足が速くなるぞ」を早く試したくて、通院から帰るとすぐに団地内の道を全力疾走し、飽き足らず無理やり母ちゃん相手にキャッチボールをしたと言う。ぼくに向って得意げに「俺は改造人間となってパワーアップしたのだ」と仮面ライダーの観過ぎなセリフを言えば、父は「ふん、ショッカーに改造されたかもしれんぞ」とやり返す。子どもの回復は早いと聞いてはいたが、あんな大きな手術からこんなに早く元気になるとは思いもしなかった。

今夜我が家は野球中継に盛り上がり、しかもヤクルトが勝ったので特に長女と息子は大はしゃぎでクーラーのない灼熱の我が家で東京音頭を踊ってさらに熱くなる。風呂上りの息子がいまだ熱気さめやらぬ様子で、部屋で一人パンツ一丁でやはり汗だくになりながらギターと歌の練習をしている親父の所に来て「俺中学入ったら絶対野球部入るから。それと来年3年生になったら少年野球にも入るから!」と宣言した。ついに来るべき時が来たかと思った親父は、汗だくのパンツ一丁のままギターを置き、「よし、分かった。だがこれだけは言っておく。父ちゃんは売れっ子ミュージシャンだから、お前の少年野球の手伝いは一切出来ない。良いな?」と息子に告げる。息子は「ジジィが来なくたって平気だよ。友だちがもう3人も入ってるんだから」と親父に応えた。あぁまさにアタシの幼少時と同じパターン。野球熱が高じて町で最初に出来た少年野球チームに入ったのはやはり小学3年か4年の時だったか?元々それほど社交的でなく自分の好きな事を一人で良いからやっていたい親父は、ぼくに野球を教えてくれたけれど全く少年野球には顔を出さなかった。面倒くさいのは痛いほど分かる。そこまで野球が、チームプレーが好きでないこともよ~く分かる。親子3代にわたる我が家の野球伝承物語。まぁ息子はどうなるか、いつ何か他のもの(父はロック)に転向するか、ともかくやらせてあげよう。あぁでもまた金かかるな~(涙)。

今宵のBGMは、ブラウニー・マギー&サニー・テリーのLP「ウォーク・オン」。このアルバムに収録されている“ダウン・バイ・ザ・リバー・サイド”は、11日の国立は谷保かけこみ亭での共謀コンサートのセッション曲でもあるので(やるのは日本語バージョン)予習兼ねて聴いていますが良いですね。アコギとブルーズハープだけのシンプルなサウンド。この手のブルーズのレコードをけっこう持っているのがアタシのちょっとした自慢でもあります。
BGドリンクはトマトジュースでした。では11日はかけこみ亭共謀コンサートでロケンロール!

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2017-08