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周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

吉祥寺マンダラ2ライブ終了! 

2019/02/22
Fri. 23:04

昨夜の今年早くも7本目のライブは、1月に初めてフルメンバーでそのステージに立った吉祥寺マンダラ2での2度目の夜。

この日はギター森田君の申し出で、アコギ2本マイクどりの超シンプルサウンドでのライブ。きっと森田君の頭には、豊田勇造師匠ライブでいつもぼくらをうっとりさせるマンダラ2ならではの、師匠の超絶生ギターの音をマイクで拾い感動的なまでに聴かせるあの音があったに違いない。

実際昨夜の客席にぼくらの音がどう聴こえていたのかは分からないが、ステージ上でモニターから聴こえる音はそれはもう感動的に気持ち良かった。生音をこんなに痒いところに手が届くかの如く増幅してくれるなんて、ソロ時代から30年以上のライブ人生で味わった覚えがない。あっ、でも気持ち良さで言ったら、10年前の円山音楽堂の豊田勇造師匠60歳記念6時間60曲ライブの時のステージで「走れアルマジロ」を唄った時は最高だった。それはまるで自分の声が地球の果てまで届くかのような感覚だったんだ。

平日夜のマンダラ2、客席はソウブラの集客力相応にまばらではあったが(対バンのお客さんが多く来て下さり助かった)、それがまた場末の(失礼)クラブで歌うかのような気分にさせ、先月の初回よりさらに場に馴染んで歌うことが出来たと思う。“普通の暮らし”の一節「アキモトヤスシの歌は要らね~!♪」を絶叫した時なんざ、もう死んでも良いくらいスカーッとした(自己満足ですが)。
それに森田君にぶっつけでお願いした“ブランカとギター弾き”は、店の照明や雰囲気がまるで映画の中のブランカとピーターがクラブのステージで歌うシーンみたいで、歌いながらそのシーンを思ってジーンと来た(映画では最初まばらだった客がやがて満員になるのだけれど)。まだまだ歌詞を追っかけながらではあるけれど、歌っている自分に映画のシーンが少しずつ観えて来るようになった。それを聴く人にも観せ、ぼく自身の思いを伝えたい。

一つ昨夜本当にうれしかったのが、マン2の若い女性スタッフが終演後ビールを注文しにカウンターに行ったぼくに、“ブランカとギター弾き”がとっても良かったと声をかけてくれたこと。間違いなくソウブラを初めて聴いた(初回には居なかったと思う)彼女の心に届いたことがめちゃくちゃうれしかったし、貧困にあえぎ両親も無くいろんな苦難に逢うブランカが、それでも彼女はやがて辿り着けると歌われるところが良い(もっと彼女の言葉であったがそういう意味のことを言ってくれた)と言ってくれて、ぼくはその瞬間にその日の労働とライブの疲れ、一抹の不安等が一気に身体と魂から抜け落ちた。ぼくは彼女に礼を言った。「あなたのその言葉で、この歌をこれからも歌って行けます。おっかなびっくりだったけれど、この歌が今の自分が一番唄いたい歌だったから、本当にありがとう!」と。30年こんな一言にずっと救われ続けている。マスの歓声を一度も浴びたことが無くても、こんな一人の声がぼくの歌を、ソウブラを支えている。それを誰よりも分かっているから、ぼくは仕事でも孤立無援が全く苦にならない。少数で居ることが全く不安にならない(時に悲しく寂しくはなるけれど)。数を、その力をテッテ的に否定して今ここに在る。これからもここに在る。

反対に一つ悲しかった事は、対バンの10年以上毎月マン2のステージに立っている55歳になられたと言う丸本達也さんに、「絶対年上だと思ってた~」と言われたこと。あるあるなんだけれどなんだか最近妙に堪えるな~。今日同志Sママに最近の己の老け具合を愚痴ったら、白髪長髪の方が良いんじゃないかと言われた。確かに、短髪白髪だとホンとまんまうちの親父の白髪頭だ。また伸ばすか、白髪をいっそ肩まで。とりあえず毛はあるから。
さぁ、昨夜思いきり咆哮した勢いで、明日の土瑠茶に生声響かせまする!みなさんそこんとこヨロシク!

ソウブラ(五十嵐&森田)2月21日マン2セットリスト
①二足の草鞋
②普通の暮らし
③海への誓い
④ジョニーのある街へ
⑤ブランカとギター弾き
⑥抵抗の歌
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ロケンロールライフ973 

2019/02/19
Tue. 22:56

今日は、出張先の調布と吉祥寺の中ほどにある精神科病院からバスに揺られ直帰する。

昨日はスペースCの監査準備でスペースCから直帰。明日がスペースCの監査で例年の如くぼくは立ち会い会計について説明し、自分の職場で何事かなければそのままスペースCから直帰するだろう。要するに今週は直帰日が実に多い一週間。
現場を置いて出張するのは、正直面倒な面もあるが、嫌いではない。職場のある地域の外に出るのは気分転換になるし、何より自分の職場は自分にとって決して居心地が良いわけではないからだ。
ぼくの持論だけれど、職場、特に福祉施設においてそこが自分にとって居心地の良すぎる場になるのは良くないと常々思っている。何年働いてもどこか緊張感がある場所の方が、良い仕事が出来るような気がする。実に色んな人が通い集まる場所だから、自分の苦手なタイプの人が来たり居るのは当たり前だし、自分の居心地の良さを求めてその仕事(職場)にしがみつくのは絶対に嫌だ。

もう断続的に10年近く通っている今日の会議を終えて、調布駅まで行くバスの車窓から景色を一人眺める時間が好きだ。よそ行きの緊張感から解かれ、CDウォークマンでお気に入りの音楽を聴く。ニューアルバム編集作業からやっと放免された最近は、久しぶりにボブ・ディランばかりを聴いている。特に今週は75年発表の名盤“欲望”ばかりを聴いている。個人的にはこのひとつ前の“血の轍”が一番好きだったが、あらためて“欲望”のサウンドと歌にハマっている。まず楽器編成がシンプルなのが良い。ディランのアコギのガチャガチャ感がたまらない。そして明らかに歌も含めて“せーの”で録っている音の生々しさがたまらない。その証拠にコーラスで参加しているエミルウ・ハリスが一瞬歌い出しをとちったり、ディランのギターのリズムがずれていたり、ヴァイオリンの音がちょっと外したりしている所があったりするのだが、それを聴いていてこっちは逆にワクワクして来るから不思議だ。要するにちゃんと味になっていて全く問題ない。これがディランのマジック。我々だとただの耳障りなミスになってしまいかねない。ここまで行きたいものだと思う。それにしても聴いていると、ベースの音質が「これはひどいな」と思える曲もあったり、思わず「俺の方が編集上手いんじゃないか」なんて自画自賛したくなる。でも、これぞ人間が創り上げた音楽なのだと思う。音楽を生み出す空間と隙間がその録音された音と共に在る。現在のJ-POPや自称ロックとは、それはもはや次元も中身も在り様そのものが全く別の物なのだ。

そんなことをぼんやり思いながらバスに揺られる。すると勇造師匠の名曲“走れアルマジロ”の一節「このままバスの背中に揺られ、どこまでも行けたら~♪」が胸中に浮かぶ。今度の23日、さいたまは浦和の土瑠茶さんで、江上正プロデュースのライブイベント“7月6日豊田勇造70歳70曲ライブin円山音楽堂勝手に早すぎる前夜祭”に、ソウブラは歌友飯浜ゆきこ、よう介君らと共に出演する(飯浜ちゃんは麻香しえりさんがゲスト、よう介君はtakeさんとの碧で)。
思えば同じ江上さんプロデュースで、よう介君と“豊田勇造60歳60曲勝手に早すぎる前夜祭”をやってから10年が経ってしまったのだ。昨夜、江上さんが宣伝用にFBにUPしたぼくとよう介君と飯浜ちゃんのインタビュー動画を観たのだが、どう見てもこの10年でぼくが一番老けた(涙)。自分で確たる自覚はないままに急速にぼくの風貌の老化がこの10年で起きていたのだった(白髪の爆増と手放せなくなった老眼鏡が大きい)。確かにこの10年でいろいろ変わった。ぼくはぶれずにやって来たつもりだが、ぶれないことと変わらないことは同義ではない。ソウブラはこの10年でずいぶん変わった(不人気なのは変わらんが。キショーッ!)。ぶれずに変わった。それはきっとよう介君も飯浜ちゃんもそうだろう。同世代でそんなことを感じさせてくれるのはこの2人以外に居ない。

そんなことを考えて調布駅でバスを降りたら、何だか気分が晴れ晴れとしていた。23日のライブが楽しみでならなくなってきた。
見た目だけ老獪になったぼくの、2019年のロケンロールを、生音の響きが素晴らしい土瑠茶に響かせてやろう。

今宵のBGMは、やっぱりまた聴きたくなったソウブラニューアルバム「命でしかないビート」マスタリングCD-R。
BGドリンクはほうじ茶でした。ではまた、そうだ21日には森田と2人アコギでマンダラ2に出演します!19:30~ソウブラトップバッターです。土瑠茶ではまだ披露出来ない12分以上ある新曲“ブランカとギター弾き”やっちゃいます!ヨロシクみなの衆!ロケンロール!

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大森カフェスペースCワンマンライブ終了! 

2019/02/17
Sun. 21:07

今朝はいつもの休日よりさらに遅く、10時半ごろ目覚めた。

母ちゃんはすでにパン屋さんのパートに出かけ息子も少年野球。長女は我が家の14型のテレビで韓流ドラマを観ており、次女は期末テストの勉強をしていた。
遅い朝食を摂るべくテーブルにつくと母ちゃんからの置手紙があり、2年に一度ある団地駐車場抽選会に昼までに行ってほしいとの旨が書いてある。食後にコーヒーを飲んで一息入れてから、ついでにやはり返却期限が正午までの映画のDVD3本を持って団地を出る。映画は結局2本しか観なかった。ブランカとギター弾きばかりを1週間で4回も観てしまった。
自分の記憶の限りで、同じ映画を立て続けに4回も観たのは初めてだ。4回も観たのに返却BOXに返すのがとっても惜しい気がした。結局3本の内1本観なかった事には全く惜しい気が起きず、ブランカとギター弾きと別れることだけが何だか寂しかった。きっとまた近いうちに借りると思う。

昨夜もスペースCライブから帰って来た深夜、最後にともう一度観た。酔っぱらっていて疲れてヘロヘロだったけれど、観ながらやっぱり心が暖かくなってボロボロ泣いた。
GEOにDVDを返して、空虚になった心を星川製麺の生蕎麦を食して満たし、いつものようにラジオでインターFMのレイジーサンデーを聴くと、ちょうど1週間前この番組でかかっていたフォークロック調の曲に触発され、映画「ブランカとギター弾き」を歌にしようと思い立って、夢中になって書き出したことを思い出す。憑りつかれた様に書いた12番まであるその歌を、昨夜スペースCで弾き語りで初めて披露した。やるかやるまいか少しの躊躇があったが、断然今一番唄いたかった歌なのでその気持ちに忠実に余計なことはなるべく考えずに、コケてもかまやしないと思い切って唄った。幸い気持ちは途切れることなく歌の中に入り、唄いながら映画のシーンが目に浮かび、涙腺が決壊しそうになるのをこらえながら最後まで唄い切れた。唄って良かった。でもそれは自己満足かもしれない。なにせ昨夜もまたいつまで続くともしれない集客力不足ライブ。「それでも歌うのか?唄いたいのか?こんなこと続けて良いのか?」ライブ直前のバンドフロントマンの心中(と言ってもアタシの場合)は実に不安定で落ち着かなく葛藤に満ちている。それを破綻しない量の酒で何とか紛らす。ライブ前に飲んでしまう所以である。

夕方、いつもの森歩きからヘルスよしのへ。今日は、毎年川崎浴場組合連合会とJリーグチームの川崎フロンターレがコラボして作るお風呂んたーれタオルがもらえる日。そのせいか?今日のヘルスよしのは10人以上の湯客が居て、ぼくが通い出してから一番の混みよう。ゆず湯だってこんなに混みはしない。まだまだ小さな町の銭湯元気です。
湯上りのヘルスよしのから歩く夕暮れの鄙びた商店街の光景が大好きだ。駅の向こうに森が大きく見えるとっても都会じゃお目にかかれない景色。ここはどこから街を眺めても必ず森が視界に入る。どんなに寂しいしんどい思いをしてもここに帰ってくれば良い。ここに帰れる。3人の子どもたちにとってもそんな場所であってほしいと思う。長女は近々平日の夜お弁当屋さんでアルバイトを始めると言う。お小遣いらしいものをほとんど上げて来なかったので、彼女は自分で稼ぐと決意したらしい。もう少し父のバンドが人気があって実入りが良ければ、ローディーに雇おうと秘かに思い晩酌時に良く口説いていたのだが、まぁ夢の又夢ですな。明日からもひたぶる現実を生き、歌を書き何とか店に迷惑がかからない程度に唄い(どうにもならなくなったら路上に戻れば良い)、家に帰ろう。

ソウブラスペースCライブセットリスト
①二足の草鞋
②キャッチボール
③新殺人狂時代
④ファシスト野郎
⑤ひとりのたたかい
⑥箱舟の美術館
⑦ジョニーのある街へ

⑧ブランカとギター弾き(ソロ)
⑨西村亭の唄
⑩ホンキートンクたらまガレージ
⑪海への誓い
⑫平和の欠片
⑬ないしょのはなし~母の歌集~
⑭ヘルスよしの
⑮命でしかないビート
~アンコール~
⑯新しい日々

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新曲「ブランカとギター弾き」 

2019/02/13
Wed. 23:10

ブランカとギター弾き
詞 曲 五十嵐正史

10歳の少女ブランカはスラム街の片隅で段ボールハウスに暮らしている
生まれた時父はなく母は男と 家を出て彼女を捨てた
盲目の男ピーターは毎日路上でギターを弾き日銭を稼ぐ
古いアンプから鳴るチープなギターの音色が ブランカも居るスラムの通りに響く

ブランカはスラムの子どもたちと物乞いや盗みをしながら暮らしていた
それでも盲目のギター弾きの日銭だけは 奪おうとしたけれど奪えなかった
ブランカはある日街のテレビでキレイな女優が孤児を引き取るニュースを観た
子どもが大人に買われるのならと 母親を金で買うことを思いつく

彼女はまだ幼すぎて知らない それでもやがて辿り着けることを
彼女を待つ者がいる帰るべき場所に
生きるために歌うことを教えてくれた 人の待つ帰るべき家

仕返しに家を壊されたブランカと警察に路上を追われたピーターは
ニワトリと一緒にトラックの荷台に乗って スラムの街を出た
向かったのは自分を捨てた母との思い出残る港町
ブランカは広場でギターを弾くピーターを手伝い 夜は路上で一緒に寝た

ブランカはピーターに内緒でビラを刷り街の壁に貼る
3万ペソで母親を買います 母親を買いますブランカと
やがて路上でスカウトされて2人は街のクラブのステージに立つ
歌うことを覚えたブランカの歌声は夜毎 客の心を掴み拍手と金を得る

彼女はまだ幼すぎて知らない それでもやがて辿り着けることを
彼女を待つ者がいる帰るべき場所に
生きるために歌うことを教えてくれた 人の待つ帰るべき家

これでブランカと盲目のギター弾きピーターの話は終わらない
店に住みこむ男の恨みを買った2人は 濡れ衣を着せられ店を追い出されてしまう
路上へ戻ったピーターはブランカに孤児院へ入ることを勧める
ブランカは腹を立てて走り去り同じ境遇の 少年2人とまた盗みで暮らす日々

盗んだ金をニワトリ小屋に隠して廃船の中でのその日暮らし
ブランカを姉のように慕う 幼子セバスチャンと打ち解ける
だけどある日海を見ていたブランカは荷物をまとめて一人船を出た
盗みからは足を洗い歌を教えてくれた ピーターの元に戻ろうと

彼女はまだ幼すぎて知らない それでもやがて辿り着けることを
彼女を待つ者が居る帰るべき場所に
生きるために歌うことを教えてくれた 人の待つ帰るべき家

その頃ピーターもブランカを探して町を歩き回っていた
広場で彼を待っていたブランカは 人買いにだまされ連れ去られてしまう
連れて行かれたのは同じように買われた少女たちが働く売春小屋
ブランカは間一髪で逃げ出して隠しておいた お金を取りに港へと駆け戻る

こっそり後をつけていたセバスチャンの兄貴分ラウル
ブランカをニワトリ小屋に閉じ込めて 人買いに引き渡し金を得ようとする
ニワトリ小屋に閉じ込められたブランカ泣けど喚けど扉を開けられない
お札に「助けて」と書いてニワトリの足に 結び付け小屋のすき間から放つ

彼女はまだ幼すぎて知らない それでもやがて辿り着けることを
彼女を待つ者がいる帰るべき場所に
生きるために歌うことを教えてくれた 人の待つ帰るべき家

飛べないはずのニワトリが羽ばたき盲目のピーターの足元に降り立つ
ブランカを救うためにピーターを探していた セバスチャンと共に港へ向かう
セバスチャンに手を引かれ杖をつきピーターは階段を上がる
人買いとラウルの乗った車が迫る セバスチャンとピーターに迫りくる

セバスチャンが小屋の扉を開けるとブランカは泣きながらピーターに抱きついた
そこにラウルがやって来る でも弟分セバスチャンはブランカを渡さない
ピーターの手をしっかり握って人買いの横を通り抜け港を出る
ピーターの手を握ったままブランカは言う 「ピーター、私を孤児院に連れて行って」

彼女はもう気づいていた 自分が母親を買う必要のないことを
私を待つ人が居る帰るべき場所がある
生きるために歌うことを教えてくれた ピーターが私の家だと

穏やかな笑顔と安らぎに満ちた孤児院までの2人の道中
つないでいた手を離し別れた時に 2人にはきっと分かっていたのだろう
孤児院での夕食時女優にもらわれる術を語り合う子どもたち
ブランカは瞳に決意を宿し 一人黙ってスプーンを口に運ぶ

みんなが寝静まった孤児院の大部屋でブランカは一人起き出す
隣のベッドの子に「どこへ?」と聞かれ「家に帰る」と答えたブランカ
夜通し歩き続けピーターと歌った広場のある港町に帰って来た
聴こえて来るのは古いアンプを通したギターの音色
見えるのはブランカに気付いたピーターの笑顔

彼女はもう気づいていた 自分が母親を買う必要のないことを
私を待つ人がいる帰るべき場所がある
生きるために歌うことを教えてくれた ピーターが私の家だと

ピーターこそが私の家だと

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ロケンロールライフ972 

2019/02/11
Mon. 22:32

3連休はほとんど出かけず養生に努めた。

3日間で一番遠くに出かけたのは、団地から歩いて15分のヘルスよしのか。いやいや、母ちゃんがいよいよほぼ同時に壊れかけている電子レンジと洗濯機の買い替えの偵察に行きたいとのことで、車を出して隣町東京都稲城市の家電量販店に行ったのが一番の遠出か。

おかげで咳とたん、喉奥のゼイゼイ感はまだ残るもだいぶ体調は良くなってきた。熱は全くなし。
大好きでもある半隠居生活のお伴は、近所のGEOで借りる108円DVD映画。3本借りて来たが結局観たのは2本。と言うのも、そのうち1本を早くも今年観た映画の最高傑作と決めるほど大感動し、3回も観てしまい挙句の果てにしばらく他の映画は一切観たくないほどまでに、その映画のことをこの3日間考え続けていた。それは自分としてはとても有意義な平和で幸福な時間であった。もちろん金はかからない。インターネットで検索して監督のインタビューなんかもほとんど読んで益々その映画の虜となっている。

その映画とは、「ブランカとギター弾き」というタイトルで、2017年に公開されたもの。オールフィリピンロケで、多くはマニラのスラム街で撮られたとのこと。内容は、スラムに一人暮らす11歳の少女ブランカと路上の盲目の年老いたギター弾きピーターを中心に繰り広げられるヒューマンドラマ。と言ってしまえばいかにも単純だが、最初DVDのパッケージを見て得た印象はまさにそんな感じであった。GEOで108円映画を借りる時、事前情報を得て探す場合はまれで、たいていジャケ買いならぬジャケ借りをする。だから毎度結構時間かけて選ぶ(それがまた楽しい)。選んでいる内に大便催して近くのコンビニに駆け込むなんざしょっちゅう。
今回は一番最初に「ブランカとギター弾き」のパッケージに一目ぼれした。けれど懸念も無くはなかった。母に捨てられた少女が母親を金で買うことを思い付き、盲目のギター弾きとの旅の中で彼から生きることの本当の幸せを教えてもらう的な流れは、筋が単純すぎて陳腐なお涙ちょうだいの感動ドラマで終わる可能性もある。しかも、スラムで撮ったと言うが監督はぼくは知らない日本人(長谷井宏紀氏)監督である。本当に現地の目線で撮られているのか怪しいモノである。そんな勝手な懸念から、他に間違いなさそうな2本も借りて来たのだが、ちょっとドキドキしながら深夜の我が四畳半キネマで最初に「ブランカとギター弾き」を観たら、先の懸念は映画が始まった瞬間に消し飛び、ぼくはこの映画にすっかりハマっていた。

とにかく、まず11歳の少女が天涯孤独に生きるフィリピンのスラム街の描写が良い。盗みや物乞いをして暮らすブランカの日常は確かに悲惨だが、そのスラムの通りには盲目のミュージシャンピーターの奏でるギターの音(役者でなく本物のストリートミュージシャンが演じていて、手作り感マンチクリンのギターに付けるピックアップと、アンプから出るチープな音がまた良い。そしてなにより演奏にめちゃくちゃ味がある)が昼となく夜となく聴こえ、ブランカは通りの隅に自分でこしらえた段ボールハウス(天井から星も見える)で、ボロボロの絵本を読んでから蝋燭の火を消して眠りにつく。学校にも行かれず福祉の手当てもない危険で悲惨な暮らしぶりのはずだが、熱帯の気候も相まってかなぜか優雅ささえ感じてしまう。もちろんその暮らしが良いはずはないのだが、路上が暮らせる場所としてもちゃんと在ることに日本との彼我の差を思わずにいられない。

当然スラムの現実のすべてをこの映画は映していないだろうが、ほとんど現地の人たちをスカウトして演じてもらったという役者たちの自然体で生き生きした演技に全く嘘っぽさも大仰さも無い。映像の色彩も主人公ブランカのカラーでもある夕焼けのオレンジ色が基調となっている。
ネタバレになるので詳しくは書かないが、親に捨てられたブランカは親の愛を熱望しながらも親の無い暮らしをたくましく生きて行く。親が子を金で買う世を逆手にとって子が親を買うことを思い付き行動に出て、大人と渡り合おうとする。健気さよりとにかくたくましい。この映画のぼくがもっとも好きなところは血の繋がりに全く固執していないところだ。まるでそういう固執こそが、結局人間の飽くなき欲望へと直結し、世界を偏狭なものにしてしまっていると問題提起しているかのように。
そうしてそのすべての固執から解放された者として、盲目の老ストリートミュージシャンピーターが在る。決して多くを語らず、力も金も無い。あるのは使い古した改造ギターと台車に固定された古アンプだけ。せっかく小銭の入った缶を、あっさりストリートチルドレンに盗られてバカにされてしまう男。そんな男が、生まれた時から父はなく、母は男を作って逃げてしまった孤独な少女ブランカを救う。いやピーターもまた救われる。血の繋がりのない新しい家族として。

10歳の少女が、学校も市も児童相談所も地域も国も、たいそうな関係機関や制度だけありながら親に虐殺されるのを救えなかったこの国との彼我の差を考えさせずにおれない素晴らしい映画「ブランカとギター弾き」。返すまでにもう2回は観ようと思う。でないと気が済まない。この感動、思いを何らかの形にしたい(とぼくが言ったら一つしかないのだが)。

今宵のBGMはウディ・ガスリーのCD「リジェンダリー・パフォーマー」。このアルバムの中にウディが映画(もしかしたら原作読んでかもしれない)「怒りの葡萄」のストーリーを“トム・ジョードの歌”“続トム・ジョードの歌”の2つの歌にして弾き語っている。まさに語り歌。
BGドリンクはほうじ茶でした。今週末16日は大森カフェスペースCでワンマンライブあります。みなさんぜひお運び下さい!ロケンロール!

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2019-02