周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

ロケンロールライフ774 

2017/03/23
Thu. 23:18

今年も何とも落ち着かない春だ。

仕事の実務はもう慣れたものであるし、そもそも辞めない限り異動のない職場であるから代わり映えもしないのだが、精神障害を抱えた人たちはこの季節が苦手な人が多く心の調子を崩しやすい(不穏な感じになる人多し)。突然何かを辞めたり辞めようとしたり、何かを始めたり始めようとしたりと、それにつられてこちらも右往左往してまぁ忙しい。その多くがどうにも現実的算段を度外視しているので見ていて聞いていて当然ストレス溜まる(いつもか)。

そんなこの時期のぼくは、たいてい1992年の春、知多半島で暮らした最後の1年を思い出しては逃避するのが常であったのだが(人間関係の煩わしさは今と比べてなんとも可愛いモノで、その代わり何者でもない工場フリーター、敷地に菜の花が咲くボロアパートで歌を書き、名古屋の路上で自由に唄いすぐに挫折することになる共産党員をしていた)、今春はなぜかその翌年、1993年今の職場で働き出した春を思い出している。しかし、およそその思い出ぽろぽろで逃避など出来やしない。辛くなるばかりである。

今の職場から、一刻も早く働きに来てほしいと乞われたぼくは、早々に知多半島のボロアパートを畳んで3月半ばから右も左も分からない東京で働き出した。ぼくが乞われた理由は、当時の初代所長がうつを発症し職場に出て来れなくなったからであり、他には同い年だけれどぼくより1年早くここで働き出した女性と、助っ人の非常勤の大学生だけであった。そんな無認可共同作業所に突然飛び込んだぼくは、知的障害者の作業所で2年非常勤した経験はあったものの、精神障害については何も知らないも同然であった。もちろん大学の授業はほとんど出なかったのだから勉強などしてません。大学の通りで夜な夜な歌っていただけ。

ここまで思い出しただけでゾッとする。良くやったとか当時(23歳)の自分を労う気も起こりやしない。無謀である。バカである。世の中なめている(そういう意味では利用者氏たちのことを言えた義理ではない)。挙句の果てに1年先輩の同い年の女性はすぐ辞めるという話になり、ぼくは現場を仕切るようになって3年目には正式に所長になる。あぁ怖ろしいことよ。とんでもない話だ。とにもかくにもいろいろあってここまで来たが、はっきり言ってこれまで嫌なことばかりだ。おぞましい思い出ばかり。自分の仕事の稚拙さ失敗の連続に腹が立つし、そんな自分を誰も助けてくれなかったことに腹が立つ(自業自得かもしれん)。しかし良く生きて来たし、あんな無知な若造が多くの精神障害者である利用者氏たちとガチンコを繰り返して来て、良く犯罪を犯さずに来たものだ。不思議なことだが、許せない人間は何人も居たし(相手にしてもそうだろう)現在も居るが、植松のような思想はその萌芽も感じたことはない。自分が逃げ出したいとは何度も思ったし(実際母ちゃんに本気で夜逃げを相談したことがある)今も思うが、どうにもこの世界に共に在る現実を力づくで変えようとか一方を消し去るとかまで思ったことはない。強い暴力衝動を抑えがたくみんなが帰った後、職場のソファーを怒鳴りながらボコボコ殴ったり蹴ったりしたことも一度ではない。20代後半までは悔しさが高じるとブロック塀等を血が出るまで殴る癖があった。とにかく悔しくてならないことが多かった。

と、ここまで書いて思い至る。ぼくがたくさん歌を書くのは自分自身を鎮め治療するためでもあるのだ。明らかにぼくはぼく自身の為に歌を書いてきた。書かなければメロディーに乗せなければぼくはどうにもやりきれずやって行けなくなってしまうからだ。よく狂気を歌や作品にするという話も聞くが、ぼくはやはりその逆で狂わないために書いている。魂を鎮めるために書いている。共に在る現実を受け容れその世界を少しでも良くするために書いている。これだけ歌を書くペースが落ちないということは、逆に言えばいつも心の危機を感じているということなのかもしれない。余裕はいくつになっても持てそうにない。けれどいつだって「いつまでもやるものではない」とこの仕事のことを思っている。この仕事と心中は絶対しない。ただ無責任なことだけはしたくない(と思うから結局辞められない無間地獄)。

「こんなぼくが生きている」

仕事帰りの駅へ続く坂道を
疲れたぼくがとぼとぼ歩く
相変わらず悩み迷い続けるぼくが
今東京をとぼとぼ歩く

少し分かりかけた1日が過ぎて
分からないことだらけの明日がまた始まる

こんなぼくが生きている なんでなんだと生きている
こんなぼくが生きている だめだだめだと生きている

これは忘れもしない93年4月、知多半島からやって来て初めて書いた歌の1番の歌詞。今でも歌詞を覚えていてこうやってすぐ書けるしもちろん歌える。その年の7月にはこの歌のタイトルで東京初ライブをやったのだが、あんな過酷な惨憺たる職場の状況でよくもまぁライブをやったものだと思うし、今ならとうてい出来ない。やっぱり治療だったのだろう。ライブをしなければぼくは危なかったのだろう。

何だかぐちぐちと嫌なことを思い出し書いてしまった。書き捨て御免!
さぁ、明日の夜は月一度のご褒美のろ呑みですよ~。やっぱ20代の時より断然今の方が幸せ感じて生きてるわ。

今宵のBGMは、豊田勇造ファンクラブ会長から贈られしチャック・ベリーのベスト盤CD。
BGドリンクはトマトジュースでした。ではまた、ロケンロール!

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新曲「借り暮らし」 

2017/03/22
Wed. 22:24

借り暮らし
詞 曲 五十嵐正史

いつか誰かが書いていた この地球の上に
誰の持ち物の 土地も家もないと
今借り住まいの窓辺に 差し込む朝の光
遠くの森を光らせて ここまで届く光

そうさ誰もがこの 地球の上で借り暮らし
やがて消え行き森に 流れる時間へと還る
何をつなぎとめようとして 人は幻を追う
遠くの森を光らせて 光はここまで届くのに

分からぬことだらけのまま 借り暮らしのまま過ぎて
その分からぬことが いつしか希望にもなって
奪い合いの外で 支え合う隙間
遠くの森を光らせて それでも届く光よ

どこかで誰かが書いていた この地球の上に
誰の持ち物の 土地も家もないと
今夜借り住まいの窓辺を 照らす月明かり
遠くの森の空の月 すべての借り暮らしの夜に


3月10日に一度完成してUPしようと思ったけれど、もう少し歌詞が化けそうな気がしてしばらく置いたら案の定、先週末の両国のライブと宇宙さんぽさんの開店パーティーを経てやはり歌詞が少し変わり(最初のバージョンはもうちょっと俗っぽい、所有する事への批判、恨み節みたいなところがあった)、自分としては断然良くなった。そう、結局誰もがこの世で借り暮らしであり、その自然の隣にある借り暮らしを感じ、出来るだけ不自然を排しながら出会い繋がり自らの生を豊かにして行くことが出来るはずなのだ。

それにしても、団地から見える景色でいったいこれまで何曲作ったろう?森が歌詞に出て来る歌は、だいたい優しい曲調になるのだけれど、この曲もやはりどこかで聴いたことのあるような(笑)優しいフォークロック調の曲になりました。
早くて4月15日のスペースCで披露出来るかな?

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我が家から車だと約15分、電車だとJR稲田堤駅から一駅立川方面に行った矢野口駅を下車して徒歩約10分の所、多摩川沿いのホームセンター「くろがねや」の真裏の住宅街にステキなカフェがオープンした。

11:00~16:00までのカフェ&ランチタイムを担当する“宇宙さんぽ”のメグさんと、“U UM U(うむう)”のなおみさん、それに17:30~22:00までの夜のバー・ドリンク・おつまみタイム担当の“らくだBAR”らくださんの3人が共同で始めたそのカフェの、今日はオープニングパーティーであった。
以前から、近所に住むなおみさんの主宰するヨガ教室に参加してそこに手作りパンを持って行っていた家の母ちゃんが、このカフェにパンを出すことになって「景気づけに歌いに来ない?」とアタシに声がかかったのであった。

午前中の部活を終えた長女を待って、家族5人でカフェーに向かう。わりと近所に、しかも母ちゃんが関わることになった新たな手作りの場所が出来ると言うのは何ともうれしいもの。それにカフェのチラシにあるように、“私たちは、地球と心とからだを大切に思い、「本当に豊かなLIFEを循環すること」をテーマにしたカフェです”というコンセプトがとっても良いじゃありませんか!?

のどかな春の多摩川を横目に、その沿道を左に入ったすぐの所にカフェがある。もちろんどんな交通手段で来ても良いけれど、自転車で多摩川べりを走ってこのカフェに来るのが最高じゃないかと思う。玄関の外にはちょっとしたオープンスペースもあって、住宅街だけれどとっても開放的。これは気持ち良いぞと着いた早々に気分が上がる。
店内は入り口そばにテーブル席が両側にあって細長い店内奥は、なんと座敷になっていて絵本やおもちゃが置いてあり子連れのファミリーでものんびり楽しめる空間になっている。
我が家の一同は奥の座敷の一角に腰を下ろして、パーティーでバイキング形式となったお店の料理や持ち込みのデザート、お菓子類を子どもたちといただく。どれも美味しいのは言うまでもないが、生ビールもあれば大きめのデキャンタにフルーツがそのまま浮かんでいるワイン!もあって、これがまた美味くて親父はクイクイ呑んでしまう(早くも2日前の散々な目に逢った二日酔いのこと等は遠くに忘れ去っている)。

パーティーには入れ替わり立ち代わりたくさんの人が来店して、母ちゃんがパン作りの技術を教えてもらっている方や初めて見た楽器「真琴(まこと)」という、オートハープのような琴を弾き、鉄製の澄んだ音色を奏でる楽器を演奏するヒーリングミュージシャンの方等、実に豊かな人の交わりがすでにこの場で生まれていた。
そんな中でアタシは、もうこの歌しかないでしょうと「結風」を歌わせてもらい、グッドヴァイヴレーションのみなさんと一緒に“か~ぜに~ふ~か~れ~♪”と、住み慣れ親しんでいる多摩川を渡る風を思って気持ち良く歌わせてもらった。すると、宇宙さんぽのメグさんもシンガーとのことで、帰り際にもう1曲「スタンド・バイ・ミー」をぼくのギターで歌ってもらったのだが、これがまたメグさんの声が実にソウルフルで温かく、惚れ惚れしながらジョン・レノンバージョンの「スタンド・バイ・ミー」を楽しく弾かせてもらった。

このお店も生音の響きが実に気持ち良い空間。ぜひソウブラでライブしたいと思った(真空管アンプもあって、レコードも聴けマス!)。
でも、それよりなにより、あんまり自分からはグイグイ行かない母ちゃん(そこが彼女の良いところでもあります)が、自然な縁や人との繋がりを通じて彼女の持っている良いものを発揮出来る場所と、声をかけてくれる人と出会えたことがアタシとしてはうれしい。それに歌うことで花を添えられたらと今日は思っていた。母ちゃんは相変わらず「私なんかで良いのかしら」って感じだったけれど、そこはたくましい母となった今も本当に出会った頃と変わらないどこまでも謙虚な人なのであった。
これからこの小さな場所から、生きるためのたくさんのメッセージや音、地に足付けた情報がたくさん発信されるだろうと思うとワクワクして来る。それを美味しい食べ物(カレーがまた美味い!)と酒を味わいながら受け取れると思うと、何だかそれだけで豊かな気持ちになる。この世界にはまだまだ本当に豊かになれる、それを目指す隙間がある。

みなさん、ぜひぜひ稲城のステキなカフェ&BAR「宇宙さんぽ&U MU U(うむう)&らくだBAR」へお出かけください!
まずはとりあえず、ソウブラで飲み会したいなぁ。

宇宙さんぽ&U MU U&らくだBAR
稲城市押立1777-35 TEL(問合せ)090-8029-5491(永浜まで)
南武線矢野口駅北口徒歩10分 多摩川沿いホームセンター“くろがねや”さん真裏。

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ごくごくまれに、酒当たりとしか言いようのないひどい二日酔いに見舞われることがある。

18日の朝がまさにそれとなり、前夜遅くまで久しぶりに同業者(元無認可共同作業所職員)の、しかも今では本当にわずかとなったぼくより年長の先輩たち(ぼくを含めた四人の内二人は還暦を過ぎ、一人はアラ還)と中目黒で二軒ハシゴ酒をして無事帰宅したものの、寝床についてからにわかに具合が悪くなり、翌朝まで40分おきぐらいにトイレで吐き続けた。

18日は両国でのライブがあるからと、ぼくは理性をしっかり作動させてそんなに量は呑まなかったはずだが、この夜の酒宴は久々のこの面子ならではの話に花が咲いたものの、何だか酒が五臓六腑にズシリと来ていつものようにスルスルとは呑み進まなかった。たぶんこの週もいろいろあって疲れていたのだと思う。その疲れはもちろん肉体的な疲れだけではなく、それ(ストレス)はぼくの場合たいてい宿痾でもある胃腸へ出て来る。
「なぜ?」「しまったぁ」と思いながら、成すすべもなく胃液だけになっても収まらぬ吐き気に促されて布団から便所への往復を繰り返し、外が白々と明けて来ると気分はどんどん絶望的になって行った。ライブが出来る身体とはとても思えない。指を突っ込み吐き過ぎて喉は痛いし、弦を張り替えて出かける準備をすることなどとうてい無理であった。それでもともかくこの辛さが時間の経過と共に過ぎ去るのを信じて待った。

吐き気の周期がだんだん長くなり、どうにかギターの弦を張り替え軽く歌ってみるもしんどくてたまらない。胃はすでにからっぽだが食欲は全くない。これから両国まで出かけて2時間ライブをやるのにこのまま何も食わないのではさすがにもつまいと思い、出発時間ギリギリまで回復を待って、ようやく母ちゃんの作った具だくさんの味噌汁を一杯だけ飲むことが出来た。毎日食しているけれど、米と大豆と塩だけで作られた生きた味噌と、人参やキャベツとしめじ等の具が前夜の酒とは全然違う意味で五臓六腑に沁みた。まさにエネルギーが注入された感じがしてようやくにして「ライブやれるかも」という気にさせてくれた。当たり前な話だけれど、こんな時にカップめんや菓子パン等の類は食う気にならないし、たぶんぼくの身体を生き返らせてはくれないだろう。生きた食材を身体にいただくことの大切さをあらためて感じた次第(と言う前に酒を控えなさい!)。

おかげで身体は重いもののギターを背負って、荷物を持って電車に乗り無事に両国フォークロアセンター1階一つ目ギャラリーに行く事が出来た(本当は早めに出かけてフォークロアセンターからそれほど遠くない松尾芭蕉記念館を見学するつもりだった)。
フォークロアセンター主宰の国崎さんに声をかけてもらって、ここ3年ほど続けて江島杉山神社で7月最初の日曜日に開かれる隅田川フォークフェスに出演させてもらっているのだが、神社のほぼ真向かいにある1970年開館の両国フォークロアセンター(かつては2階のセンターでライブをしていたが、現在は階下の元蕎麦屋さんを一つ目ギャラリーとしてそこでやっている)で、ソウブラが初めて単独ライブをさせてもらうことになったのだ。そんなせっかくの初ライブを重い二日酔いでキャンセルなんて、ソウブラバンド史上最大の汚点&恥になるところであった。

この拙ブログで、50年近い両国フォークロアセンターの歴史をまだまだ新参者のぼくなどが書けるはずもないが、初めてここでソロでゲストとして数曲歌わせてもらった7年前から、すぐそばを流れる隅田川の流れのような何か脈々と刻まれて来た(来ている)ものをここで感じる。その刻まれて来た流れにぼくも乗りギターを弾き歌うことがとても心地良い。高田渡さんや友部正人さん、そして我が師豊田勇造さんに中川五郎さん、アメリカンフォークの重鎮デイヴ・ヴァン・ロンク氏にランブリング・ジャック・エリオット氏等々どれだけの人がここに足を運び生ギターを鳴らし肉声を響かせたことだろう。その一音一音がこの建物の壁や梁に沁み込んでいて、それがずっとここで通奏低音となって鳴り続けここで今歌う者と響き合っている気がする。しかし、それだけではない。この場所が両国にあるからこその、ぼくの全く知らない東京東部の古い街の歴史とも響き合っていることも絶対に欠かせない。ここはあくまで両国フォークロアセンターなのだ。

ありがたいことに、この場での初のソウブラライブに10人近くのお客さんが来てくれた。さいたまの江上さんはぼくも最初思ったように、センターと言う名前にどことなく広い場所を想定していたようだがここは生音が良く響く、とてもこじんまりとしたまさにソウブラ向き?の親密空間なのだった。
不思議なもので、ここの場力をいただいたのか家では全然出なかった声が本番では嘘みたいに出た。さすがにハーモニカを吹いている時に空腹からか頭がクラクラしたが、それでも途中から日本酒をもらいながら全く準備出来なかったMCもその場のノリでアドリヴでポンポン出た。数時間前の自分が信じられないくらいある意味絶好調なアタシとなっていた。分からないものである。けれど、ライブとは歌うということはやはり身体に心に良いことなんだと思う。少なくともぼくは歌うことで元気になっている人間であることは間違いない(もちろん無理は出来ませんが)。

良い感じで盛り上がってアンコール含めて16曲歌い切った後は、フォークロアセンター恒例の懇親会(打ち上げ)をお客さん全員参加してその場で開く。
ほとんどが初めてフォークロアセンターに来た人たちで、国崎さんやご近所から観に来てくれたお客さんにフォークロアセンターや、両国の街の話をたくさん聞いた。東京の下町の庶民の歴史は、きっとその街ごとに今はもうない風景と共にありいつの間にか消えてしまった(消された)歴史も多いのだろう(この夜の話を聞いて、ぼくは去年隅田川フォークフェスの古本市で購入した「東京の下層社会」という本のことを思い出し今日から読み出した。この本にもまさに首都近代化の流れに置き去られた人々の姿が描かれている)。これがまた初めて聞く話ばかりで「へぇ~っ!」という感嘆詞が出っ放し。ご用意していただいた美味しい食事と、いつしかぼくはしっかり迎え酒をしながら和やかに談論風発な時間を楽しんだ。しかし、体内電池はとうに切れていたらしく、せっかく国崎さんから渡された出演者メッセージを書く色紙の内容がボロボロ。森田と梅ちゃんに任せれば良かった。国崎さんすいませんでした。そして、ソウブラにこんなステキな場所でライブさせていただき本当にありがとうございました!また夏の隅田川フォークフェスよろしくお願いします。

最後に、ご来場いただいた最高のお客さん達、どうもありがとうでした!!

ソウブラ両国フォークロアセンターライブセットリスト
①2011年3月20日の満月
②この素晴らしくない世界で
③変わらない夜道
④人の世の熱のある場所で
⑤この時代を往く
⑥普通の暮らし
⑦激しい雨が降る (ボブ・ディランのカバー)

⑧ぼくもいくさに征くのだけれど 詩 竹内浩三
⑨日本が見えない 詩 竹内浩三
⑩ヒマラヤ杉は知っている
⑪ないしょの話(母の歌集)
⑫命でしかないビート
⑬ヘルスよしの
⑭ファシスト野郎
⑮ONE GUITAR
~アンコール~
⑯結風

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ロケンロールライフ773 

2017/03/14
Tue. 23:44

今日は午後から会議で某庁舎に出張し、終了後は最近またCMでよく歌が流れている“さくら坂”を下って帰る。
流れよく終えた会議は、医療観察法対象の方の地域生活支援の件であったが(このことについては、どこかでちゃんと私見を書きたいと思っている)、地域移行支援だの地域定着支援だのを請け負い銭をもらっている区内最大規模の精神保健福祉関係社福法人はこの会議をすっぽかした。前からそうではあるが、彼らの仕事のええかげんさは最近度を越している。法人を立ち上げた大田区からの天下り氏のええかげんさを、わざわざみんなで継承しているのだろうか?それとも飼い犬はやはり飼い主に似てしまうのか?誰も言わないのなら俺が言ってやる。

さくら坂をゆっくり下りながら、俺にはあんな歌は逆立ちしても書けんなぁと思う。
だいたいああいう歌をどんな顔して唄ったら良いのか見当もつかない。照れとかそんな話でなく、とても真面目にはああいう歌を唄えそうにない。

時間がいつもより早かったので、久しぶりに登戸駅の本屋に寄ってみたら、驚いたことに“小田急線沿線で最近よく売れてます”とポップが付いて「日本の謀略機関 陸軍登戸研究所」木下健蔵著(文芸社)が店頭に平積みされているではないか!しかももう数冊しか残っていない(元々入荷が少ないのかもしれないが)。
文芸社と言う聞き慣れない出版社の、450ページ近くもある文庫本は、緊急出版されたらしい金正男暗殺本の隣で堂々とその存在感を放っていた。それにしても、「最近よく売れてます」っていかにも女子が書いたと思われるカワユイ文字がどうにも不釣り合いなのだが、先日の登戸研究所で働いていた方の証言会の盛況ぶりを体感した者としては(資料館見学説明会もけっこう人気でよく予約でいっぱいになっている)、この国では珍しい日本の加害責任を問う登戸研究所資料館の存在と事実から、今の時代を生きて行く方途を探ろうと考える人が増えているのもさもありなんという気もする。もはや加害の歴史を問いそこから学ぶことなしには、他者とほんとうのさいはいを求めて生きて行くことなど出来はしないと、この時代は、現在起きている問題たちは白状しているように思えてならない。

「日本の謀略機関 登戸研究所」は実際読み応えマンチクリンの名著です。これだけ中身充実で900円はお得だと思う。某文学賞候補者の何とかの騎士団だとかという本を徹夜までして歓喜しながら発売日に買うよりは、こちらを読むべきでしょう。小田急沿線の本屋にはけっこう置いてあるのかしら?アタシは明治大学内の書籍(丸善)で買いました。

団地に帰ると、母ちゃんから朗読劇の仲間の間でぼくの書いた歌「ヒマラヤ杉は知っている」の評判が良いことを聞いて晩酌が美味い。元々この歌はアルバムに入れる予定はなく、CD-Rに焼いて仲間内に配っていつか資料館の人にも聴いてもらえたらうれしいなくらいに思っていたのだが、我らがGMあるぽらんマスターの鶴の一声「とっても五十嵐君らしい良い曲だ。CDに入れないの?」により、めでたくニューアルバムに収録された経緯がある。GMに足向けて寝られません。CDに入れて良かった~。最近のライブではもはや欠かせない歌である。今年はこの歌をいろんな場でステージで歌うことになりそうで楽しみ。さくら坂みたいな歌書けなくても全然良いや(笑)。

今宵のBGMはボブ・ディランの2枚組「ザ・ウィットマーク・デモ」。ブートレッグシリーズ第9集の著作権登録用のデモ音源ばかりを収めた弾き語り集。これが素朴で実に聴き応えあり。これに収録されているやはりあの曲を参考のために何度も聴くのでありました。なんの曲かは、ぜひ18日の両国一つ目ギャラリーさんでのソウブラライブで確かめて下さい!

BGドリンクはトマトジュースでした。ではまた、ロケンロール!

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2017-03