FC2ブログ

周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

ロケンロールライフ1001 

2019/05/21
Tue. 23:00

先週末にニューアルバムの紙ジャケットと歌詞カードが届いた。

ぼくのテンションは一気に上がり、せっせと紙ジャケットを折って糊しろに両面テープを貼って組み立てる作業を開始したのだが、直にまだCD盤が届いていないことに急激にテンションが下がり出し、それはやがて「盤が来なかったらどうしよう?」「22日の農家はやむを得ないとして関西に持って行けなかったらどうしよう?」という不安と心配に取って代わり、それをどうにか紛らせながら週末を過ごした。

CD盤のプレスは、ジャケットの印刷より早く4月の終わりに発注したのだが、少しでも安く上げるために時間のかかる海外プレスにしたので納品は5月20日以降になるとのこと。20日以降ということは、20日に来る可能性もあるけれどそれより遅れる可能性もあるわけで。
昨日(20日)は仕事中もそのことばかり気になって、それでも家に電話するのはこらえて帰宅途中で電話すれば、母ちゃんからの返事は「まだ来てないよ~」
そんなわけで昨夜はもうがっかりで、「これはきっと遅くなるってことだ。関西ライブにも間に合わないに違いない」と悪い方悪い方へと考えてしまい過ごしたが、それでも農家ライブの準備をして一縷の望みを今日に繋いだ。が、今日は朝から今年一番の悪天候。豪雨と強風に電車が遅れる中、長靴で朝早めに家を出て「これは絶対今日もだめだ~」と心で泣いた。

心の片隅でCDを気にしながら、それでも仕事に集中せざるを得ない状況のおかげで夕方までいつも通りに過ごせた。
さぁ家に帰ろうと思った時、試しに職場から家に電話をしてみた。すると電話に出た母ちゃんが、開口一番「来たよ~!」との明るい声!思わず「おぉ!来たか!分かったすぐ帰る!」と言って電話を切り、そばでやりとりを聞いていた同僚のK田さんと喜びを分かち合って急いで帰宅。果たして100枚ずつ梱包されたCD盤が4本(つまり400枚プレス)段ボールに入って我が4畳半に置かれていた。ハッキリ言ってこの瞬間がCD制作で一番うれしい時。

今回も息子に100円の駄賃をあげて(お姉ちゃん2人は試験勉強)両面テープ切りを手伝ってもらい、早速50枚ほど作る。
もちろん、明日の立川農家ワンマンライブで先行販売するために。25日、関西へ持って行くために。

7月には、この春すごいギター弾き語りのファーストアルバムを発表した鈴木柊平君と、店主サミットでお馴染みの3店を巡礼しての同時レコ発ライブもやります。詳しくは順次ライブスケジュールにUPして行きますので。もちろんスペースCでも、そして阿佐ヶ谷あるぽらんでもレコ発ライブやる予定。とにもかくにもニューアルバムが出るっていうのは、バンドにとっていつだって一番めでたいことなんです。売るのにホンと泣くほど苦労しますが、そんな苦労を一瞬忘れさせるほどに完成の喜びはデカいのです。冗談抜きで良いのが出来ましたよ~。もちろん最高傑作です!

今宵のBGMはもちろん、ソウブラニューアルバム「命でしかないビート」。収録曲“キャッチボール”を聴きながら息子と封入作業。息子はノーコメントでしたが聴き入ってましたよ。
BGドリンクはほうじ茶でした。では明日の夜は農家でニューアルバムと一緒にロケンロール!
スポンサーサイト

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

第7回お日さま春まつりライブ終了! 

2019/05/19
Sun. 22:06

時折夏のような陽射しが差したかと思うと、にわかに曇天となる。この天気は野外イベントには最適だった。

今日はソロでの弾き語りだけれど、マイクもスタンドも、もう15年愛用している30Wの黄色い充電式アンプも持ち込んでの野外ライブなので荷物はたくさん。母ちゃんに助っ人をお願いしていたけれど、先日谷保かけこみ亭のイベントでぼくの初ローディーをやってくれた2人の娘の次女の方が、今日も買って出てくれた。親父としては、母ちゃんがやってくれるのならバイト代払わなくて済むので楽なのだが、次女が来てくれるのは単純にうれしい。長女もやりたがったが、同じ時間帯にBSで大リーグ中継があり、ごひいきの大谷翔平を観るために家に残る。息子は少年野球。

まつりが始まる11時を目指して、多摩川沿いの中野島中央公園に行き(団地から車で10分ほど)、主催のTさんに挨拶しぼくの出番を確認。毎回当日現地に行って初めて自分の出演時間を知るという、何ともゆるくテキトーな感じで全くOKなのは、ソロだし家の近所ならでは。
ぼくの出番は12:50からの15分間であることを確認し、ゆっくりお日さま春まつりと久しぶりのこの周辺を散策して楽しむ。
屋台での買い物は母ちゃんに任せて、飲みたかった生ビールが500円なのにひるんで、思わず近くのコンビニで金麦を143円で買ってしまう。こんな時貧乏は嫌だなぁとつくづく思う。関西ライブが近いのだ。ニューアルバム制作費の支払いもあるのだ(これはもちろんこれまでのCD売り上げから払われる)。次女はトランペットを習いたいのだ。

主催のTさんが地元の和太鼓グループの主宰ということもあって、お日さま春まつりは和太鼓演奏がたっぷり楽しめる。地元も含めた川崎市内3団体の太鼓グループがそれぞれ演奏したり、合奏したりと聴き応えがマンチクリン。ぼくは金麦を飲みながら、周囲を市営中野島住宅に囲まれた窪地のような公園で太鼓パフォーマンスを楽しむ。そして、このイベント常連の地元の幼稚園児から中学生までの女の子たちのダンスパフォーマンスも。若いお母さん達がステージ(といってももちろんただの地面ですが)前に陣取り一斉に我が娘を写そうとスマホを向ける。そんな様子もまた面白く、少女たちが去年あたり流行った“USA”という歌をキレッキレッのダンスで踊っているのを観ていると、自然と相好が崩れてしまう。
若い頃はこういうイベントに呼ばれても、そこでいかに自分たちのライブを突出させるかということばかり考えて、自分たちの出番がないがしろにされないかなどと気をもんでいたと思う(表面に出さなくても)。もちろん、かつて自分の唄う場所は限られていて、殊にライブハウスに出ない代わりに福祉関係、市民運動関係のイベントがぼくらの主戦場(別に闘いじゃないのだけれど、そのぐらいこっちに余裕はなかったし、実際そういう所での扱いも良くはなかった)だったことにも依るだろう。

50歳の今、こんな地元のイベント(テーマは「エコ・自然エネルギーにふれよう」)で、和太鼓演奏や女の子たちのダンスの中におっさんが独りギターを掻き鳴らして「廃炉!」なんて当たり前のように歌って参加出来ることが何ともうれしくてならない。俺はこういう在り方を目指していたのだとさえ思えてくる。

出番にはまだ少しあるので、公園を出て多摩川の流れを見に行く。そこは先週息子が少年野球の練習に使っていたグラウンドのある河川敷だが、獣道のような人の足で踏み固めた川に通じる道があり、その奥にはひっそりとそこでビニールシートハウスに暮らしている人の住居もあるはずだった。そして、その人が育てているのかは知らないが、藪の中に忽然と小さな畑もあるはずだった。
ぼくは久しぶりの再訪にワクワクしながら獣道を川べりに向かった。果たしてビニールシートハウスは在り(人の気配は無かったが)、小さな畑も健在で茄子やジャガイモが植えられていた。一時川崎市による立ち退きのステッカーがベタベタ貼ってあったが、それは一部色あせて残っているのみで、強制収用はされていないようでもあり何となくホッとする。

独り川辺に佇んでいると、この道は釣人の穴場ルートでもあるらしくどう見ても釣果を誇るようではない、気ままな孤独感をたたえた竿持つ人数名とすれ違う。と、ぼくが佇んでいた川べりの脇に周辺の木や流木を組み合わせた一見オブジェのような、ただの生えている木のようなものがあるのに気付く。上部に短冊状の紙があり近づいて読んでみると、そこにはつたない平仮名で“こわさないでください”と書かれていた。それを読んだ途端にぼくは急に嗚咽を漏らして泣き出しそうになった。“こわさないでください”それはあまりにささやかで、何ら他者の害にも迷惑にもなりようもないものに掲げられていた。そのことが痛烈にぼくの胸を打った。こんなささやかなものが、ささやかな在り方を壊すだけでなく殲滅して無かったことにしようとしてしまう世の中に、世界に今こうして在る。“こわさないでください”という言葉はあまりに無力で無防備で自由でやさしくぼくを包み込んだ。
この国の一角で、気付く者のほとんど居ない、いつ駆逐されるともしれないが誰に迷惑をかけるのでもない一角で、古来から生き続ける河原者が今も確かに居て、そういう人たちがささやかに営む河川敷がある。飛躍でもなんでもなしにぼくは自分の仕事(福祉)もそれに通じる無縁所、アジールを堅持することだと思っている。それは決して多数になることでもいわゆる世間並みにとか、日本財団辺りが鼓舞するような障害者も納税義務を果たすために稼ぐ!のではない在り方だ。「いつまであいつらを区の補助金で支え続けるのか!?」と区議会議員に嫌われ排除されようとしても、涼しい顔して在り続ける現代の河原者として、ぼくは仲間を募ることなく在り続けたい。

多摩川から公園に戻ると、母ちゃんと次女から「どこ行ってたの?」と訊かれ、「川」と応えるや否や「やっぱり」と言われた。
我が頼れるローディー次女は、さすが吹奏楽部員だけのことあって、譜面台のセットからマイクスタンドの設置、ぼくが「マイクは1番、ギターは2番」と言うとその通りさっさとアンプにシールドを挿し込んでくれる。
例年紹介されてから歌い出すまでのそんなバタバタで最初なかなか集中出来ないのだが、今年は次女のおかげで歌い始める前に軽い音出しと音量調整も出来てスムーズにライブに入れた。
目の前のパイプ椅子には20人くらいの地元の人たち、周囲の出店の周りにも歌い出したぼくに視線を向ける人たちが居る。ライブ前にぼくに「今日も歌ってくれるんでしょ?何時から?」なんて聞いてくれるご婦人も居て、年に一度でも7年続けて出演していると覚えてもらえるのだ。

ノリの良い3曲「新しい日々」「小さな暮らしと小さな歌と」「廃炉!」共、手拍子をいただき最後は「廃炉!」と一緒に声を上げてもらえて、とっても楽しくライブが出来た。特に「廃炉!」は、弾き語りのライブでは一番の出来ではなかったかと思う。性急にならず安定したビートで最後まで16ビートのギターを掻き鳴らしながら唄えた。
福島第一の原発事故後に始まったこのイベント、当初は脱原発の盛り上がりもあってか出演者も多くそういう主旨のパフォーマンスも多かった。そういう表現者たちが現在もどう続けているのか知らない。ぼく自身自分の中での流行り廃りは正直感じる。原発事故後しばらくライブで毎回唄っていた「廃炉!」の唄う回数は確かに減った。けれど、この歌をこれからも唄って行く気持ちに変わりはなく、今もって自分の中で廃れることなく唄っている。そもそもこの歌を書いた時に、“そういう”歌を書いたつもりだ。25日、今年も高槻南風楽天で鼻炎トリオとこの歌をやるのがめちゃくちゃ楽しみだ。

ライブ後の片づけも手際の良い次女が居て大助かり。彼女がキャスターに乗せた親父の黄色いアンプをゴロゴロ転がしながら、「じぃじのアンプ結構ボロイね。学校のギターアンプなんかこれよりかなり立派だよ」と言う。親父は「もう15年たいてい野外でこいつを使ってるからね。でもこいつ充電で動くし30Wでまぁまぁパワーあるし、使いやすいんだ」と応えると、「ふ~ん」と言ってもはや傷だらけでスピーカー部のスポンジは劣化してボロボロのアンプを、親父が運ぶよりも数倍丁寧に大事そうに運んでくれた。
これからもローディーやってくれないかしら?

今宵のBGMはバラカンビート録音音源。
BGドリンクはほうじ茶でした。
さぁ、今週22日(水)の夜は立川農家でワンマンライブ。コーラスのうめちゃんのバースデーライブでもあります。CD盤が明後日までに届けば(ジャケットは無事届きました!)先行発売も出来ます!週の真ん中の平日ではありますが、ぜひぜひお運び下さい!
ではまた、ロケンロール!

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ロケンロールライフ1000 

2019/05/17
Fri. 23:14

今週は比較的平穏な1週間であった。

珍しく外飲みもなく今日も夕闇家へと帰る。来週水曜の夜に立川農家ライブがあり、週末には関西ライブを控えているので今週は出費を控え、のろとあるぽらんへは関西ライブ後出来上がったニューアルバムを届けがてら行こうと思っている。
もっと頻繁に好きなお店へ飲みに行きたい気持ちはあるが、懐事情、家計がそれを許さない。でもそれで良いと思っている。と言うのも、ぼくは大好きな店に飲みに行くのと同じくらい家に帰るのも、家飲みすることも好きだから。
ぼくが家に帰るのがどれだけ好きかは、ぼくの歌を聴けば分かる。ぼくの歌に家路を唄った歌の何と多いことか。今日もわくわくしながら、それこそ涙がこぼれんばかりに家に帰れるのがうれしくて心弾ませ帰って来た。寄り道した生協で20%引きのイカのわさび漬けをアテに買い、森の上に浮かぶ月を見上げながら家路を歩けば、この世にこれ以上の幸せが果たしてあるだろうかとさえ思えてくる。
それは住む家の広さ大きさ、持ち家か借家に全く関係ない。“狭いながらも~楽しい我が家♪愛の日影の差すところ~♪”とは、けだし名詞である。

テレビ中継のないヤクルトvsDeNA戦を長女のスマホの画面で追いながらみんなで盛り上がり、自分用のアテのつもりだったイカわさを、娘2人に横からパクパク食べられてもちっとも惜しくない。「食べりん。食べりん」と言って親父は本麒麟をグビリと飲る。カツオのたたきがあったら最高だったのだけれど、割引品はすでに売り切れてしまっていた。割引品狙いのご同輩が、同じ町内でささやかな楽しみでもって暮らしていることもまた楽しからずや。これも長屋のようなこの団地が好きな理由の一つ。

良いコンコロ持ちでまったりしていると、夕餉の支度をしている母ちゃんから、「そうそう」と言って不動産屋から連絡があり引越しが予定より早まって6月中旬になるとの報告を受ける。6月中旬と言ったらもう1ヶ月もない。それから話題は家族みんなで引越しの話題で大騒ぎとなる。つまり部屋割りをどうするか、親父の処遇をどうするかで盛り上がる。親父は飲みながら「俺はどうにでもなるからみんなの好きにせぇ」と言うが、結局一番荷物が多く生活時間も不規則(ライブ、飲みで深夜帰宅多し)の親父は今と同じ4畳半の一部屋に追いやり、息子が個人部屋を欲しがる年頃になったら親父は流浪の民となることがテキパキと決められた。
現在のように4畳半で5人寝るのはもはや不可能で、娘2人用に2段ベットを購入するとか、その隣で母ちゃんと息子が寝て親父は親父部屋で一人寝するべしとの計画が淡々と進められる。親父はさらに飲みながら、「アメリカ映画の夫婦みたいに父ちゃんの部屋で母ちゃんが寝れば良いんだ」と言うが早いか「黙れ!キモいぞじじぃ」と娘2人にドヤされ却下。誰か一緒に寝てはくれまいかとちと寂しくなる。と言っても所詮狭い2LDKの団地の中での話。

晩酌して飯食ってさっさと布団敷いてドタンと寝転がれば、もう口からは「極楽極楽」しか出て来ない。この家飲み→仮眠のゴールデンコースは、仕事中から待ち焦がれるほどの至極の一時。この習慣はとっても止められそうにない。小一時間の仮眠後に良く目が覚めるものだと言われるが、長年の習慣で仮眠後は疲れがかなり取れてスッキリしてギターの練習やらこのブログ書きが出来る。仮眠をしないと眠くて気力が全く出ない。
起きてギターと歌の練習を30分ほどしてPCを開ければ、ひろこちゃんからメールで紙ジャケットと歌詞カードが明日届くとのこと!CD盤も早ければ20日には届くと思うので、これでまず関西ライブには間違いなく間に合う。22日の農家ライブだって間に合う可能性大だ。うれしぃねぇ。関西に持って行けるのはホンとうれしい。

この週末は19日の日曜日に、地元多摩区の中野島中央公園で開催の第7回お日さま春まつりにソロで出演。
福島第一原発事故後に始まったこの地元の小さな脱原発イベントに、ぼくは第1回目から連続出演し、毎年「廃炉!」を唄う(たいてい3曲アンプ&マイク持参でミニライブ)。盛り上がる年もあればそうでない年もあるけれど、ぼくはこの曲を唄い続けている。川崎全体の大きなイベントには1回だけ声がかかりそれきり呼ばれなくなったが(いくつもの市民政治団体が関わる大きなイベントでは、あまりに直截的な歌は歓迎されないようだ)、元来多数を目指さないぼくは地元の小さなイベントで唄えることで十分。と言うより、小さなイベントでこそ唄いたい。そこでしぶとく唄い続けたい。
明日はゆっくりラジオ三昧&星川製麺生そばランチと森散歩して、日曜は地元で歌って家に一たん帰ってからヘルスよしのへ行く。ちょっと完璧すぎる土日ではないか。来週外飲みが続くから、もちろん土日共ゆっくり家飲みで楽しみまする。

今宵のBGMは、ジョン・ハイアットの1983年発表「ライディング・ウィズ・ザ・キング」。
BG酒はトリスクラシックハイボールでした。ではまた、ロケンロール!

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

新曲「不易」 

2019/05/16
Thu. 22:39

不易
詞 曲 五十嵐正史

ここから拡げることも 踏み出しもしない
軋む扉をこうして今日も開け続けるのさ
足りないものも あり過ぎるものも
多すぎるこの人の世を睨みながら
そんな流れに乗れない場所で 時の流れるままに
そんな流れに乗らない場所で 時の流れに遊ぶ

今日もまた鳴り物入りが 鳴り止むのを聴く
もう誰もそれに驚きもしない
今だけ金だけ自分だけで 進出しては撤退
街も星も壊しながら1%ばかりが潤う
そんな流れに乗れない場所で 時の流れるままに
そんな流れに乗らない場所で 時の流れに遊ぶ

ただ当たり前に古びて行く 前と同じものなどありはしない
間に合った者と間に合わなかった者とを繋ぎながら
そんな流れに乗れない場所で 時の流れるままに
そんな流れに乗らない場所で 時の流れに遊ぶ

そんな流れに乗れない場所で 時の流れるままに
そんな流れに乗らない場所で 時の流れに遊ぶ


ちょっと前にヘルスよしののおじさんと交わした会話がずっと頭の中に残っていて、それがこの歌になって行った。
時流に乗らず、やがてすたれ消えて行くという自嘲は、逆にぼくには強い揺るがぬ世の中に対する態度に思えた。
そんな儚さと、それを引き受けて往く強靭さと、それを声高でなく多数を求めず、けれども確かに繋いで行く思いに溢れた在り方を歌にしたくてずっと言葉を探していた。完成したとは言えないけれど、このテーマの序章的な歌には出来た気がしている。
“変わらないために不断の変化を生きる”そんな心境でぼくは現実を暮らして行く中、自分にとって大切な場所(人)と出会ってきた。この歌はそんな場所(人)たちへのささやかなラブソングだ。

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ロケンロールライフ999 

2019/05/14
Tue. 23:12

先週末から昨夜まで、あるブログの文章にハマって読みふけってしまった。

それはまさに一冊の本を読むかの如くで、大好きな本と出会った時と同じように、読み進みたいけれど読み終わりたくない微妙な思いを抱えたまま結局読みきってしまった。
そのブログとは、先日も勇造師匠とのライブでお世話になった神奈川県大和市、南林間駅近くにある日本一美味しいタイ料理屋「イーサン食堂」の店主中村健一さんが書いた半生記“俺とティアンとイーサン食堂!”だ。それは1988年の終わりから現在までという時代の記録で、ぼくで言えば、日本福祉大学の夜間学部に入学して初めての愛知県知多半島での独り暮らし~母ちゃんとの出会い~ソウブラ結成~現在といった時期と重なる。中村さんはぼくより5歳上のちょっと兄貴だけれど、文面から漂う匂いや時代の雰囲気はとても懐かしく感じ、暮らしていた環境はまったく違うがまるで追体験するような臨場感で読めた。

それにしても、30年前の出来事が実に細部にわたってリアルに描かれていて驚く。その秘密は中村さんが自ら明かしてくれるのだが、日記魔の中村さんが当時の日記を基に書かれたとのこと。ぼくはこの8年でこそ2~3日ごとにこうしてブログを記しているが(もちろん公開前提の為日記のように本音をすべて明かしてはいない)、日記は高校時代の数年書いたのみでそれもとっくに処分してしまった。ソウブラ30年記なんてものをもし書くとしたら、相当うろ覚えと脚色だらけの内容になってしまうだろう。
そう、この中村さんの30年記は、個人の本音だけが書かれた日記を基にしているからこそのリアリティ(それでも公開にあたって選択、多少の修正はされていると思うが)が読む者をどんどん引き込む。中村さんの生きていた現場を感じ、味わい去来する感情が迫ってくる。

大学時代から、大学を出てもしばらくバックパッカーとして外国で暮らした中村さん。ぼくも20代の頃、旅に生きることに憧れ続けていた時期があったが、ついに果たせなかった。でも、当時そんな生き方は親の理解を得るのは難しかったが選択肢としてあった(今もあるのかもしれないが)。現在よりフリーランス(フリーター含め)で余裕をもって(決して裕福ではないが)生きる道があったようにも思う。ぼくは結局旅に出ない代わりに福祉の道を選んだと言って良い。ふつうに「就職する」という感覚ではなかったことだけは確かだ。

ティアンさんと2人でイーサン食堂を始めた3年後くらいにぼくは中村さんと知り合い(マンダラ2の勇造師匠のライブで声をかけられた)、イーサン食堂の歩みを垣間見続けて現在に至るのだが、断片だけしか聞いていなかった話が今回の10万字強!のブログで線として繋がった。そして中村さんのブログを読んであらためてイーサン食堂が好きになった。それは、30年以上前確かに在ってぼくのアイデンティティーにも刻み込まれたインディーズ魂を持ち続け、それをずっと育て続けてきたからだと勝手に思えたから。自分のやり方で自分のやりたいように現実を生きる。幾多の困難もその変わらぬスタイルで生き抜いてきた。カッコいいぜ中村さん。
そして何より、その自身の歩みをこうして振り返りぼくらに伝えてくれる時をティアンさんと共に得たことが、何だかとても「良かったなぁ」と、これまた勝手ながら思えてならない。もちろんイーサン食堂はまだまだ続き歴史を刻む。続編はきっと書かれるはずだ。日記魔の中村さんが居る限り。

みなさんにもご一読お勧めします。イーサン食堂HPから観られます。

今宵のBGMは、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの大名盤「LIVE!」。30年前ぼくがきっと一番聴いていたアルバム。
BGドリンクはほうじ茶でした。ではまたロケンロール!

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2019-05