周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

この日一番心配だったのは、ぶっつけ本番でギターをアンプから音出すので、朗読の声との音量のバランスがどうかということ。昨年川崎市平和館でのイベントではやはりぶっつけ本番で音響担当の人が、劇中ぼくのギターに当てたマイクの音量を上げたり下げたりするので気が散り、終演後観た人が「ギターの音が大きすぎて朗読が聴きにくかったわねぇ」と言っているのが聞こえてがっくり来た覚えがあるので、今回は自前の充電式30Wアンプ(これでもう何年も新宿中央公園等の野外ライブをやっている)を持ち込み、客席の子どもたちがぼくのギターの第一音を聴いて合図してくれる約束をしておいた。両手で○を作ったらちょうど良い、△は音がでかい、×は音が小さいという手はずでいざ幕が開いて朗読が始まりぼくがテーマ曲を弾き出すと、客席の次女が両手で小さく○を作ったのが見えて(一瞬△かと思ったけれど)、安心してそのまま劇中に入って行けた。

大会場ではまだ2回目の朗読劇。しかも前回は訳が分からぬまま、慣れない音響と格闘しながら終わってしまった感じだったが、今回はマイクに対する立ち位置や使い方、逆に動き回る子ども役はマイクを頼らず地声でやることを事前に決めて先週稽古もしたので、少なくとも自分たちで音を了解しながら出来た。それだけでなく、広いステージをめいっぱい使って躍動する子役の3人を始め劇団員のみなさんが堂々と演じられて左端から見ながらギターを弾いたぼくには、稽古やリハのどれよりも本番の出来が良かったように感じた。大きい会場にそんなにたくさんお客さんが入っていたわけではないけれど(と言ったってふだんのソウブラのライブよりは相当多い)、劇中歌に合わせてリズムを取ってくれる人や舞台に集中している人の顔が見えてこちらもやりがいあったし、最後のシーンが近づくにつれまだまだ朗読劇を続けていたい気持ちになって終わってしまうのが何だか寂しかった。

終演後は出演者に出された昼食をみんなでいただき、展示や出店をちょっと観て車で10分ちょっとの団地へ帰宅。
昨夜のナイター観戦の疲れでお姉ちゃん2人は倒れ込むように昼寝し、父もご褒美蒸留所限定山崎ハイボールを作って喉を潤しそのまま倒れ込もうとするが、1人元気な息子がグローブとバットを持って待ち構える。「おい、炎天下だぞ、死んじゃうよ!」と言っても聞きやしない「3回で許してやるから」とまだ午後3時前の酷暑の公園で地獄の2人野球。確かに昨夜生まれて初めて神宮球場に行き、ナイターでプロ野球を間近で観た(ヤクルトしょぼかったけれど)興奮さめやらぬうちに野球したくなる子ども心は分かる。が、しかし何たる元気さ。来週の水曜に心臓手術を控えているとはとても思えない。

何とか2人野球を1時間で勘弁してもらい、水浴びをして気絶するようにまだ寝ている次女の隣で昼寝。起きたらもちのろんで夕方ヘルスよしのへ。今日はいつもよりちょっとぬるめで何時間でも入っていられそうだった。ボケーッと考え事しながら90分くらい入ってたかな?
朗読劇は、12月にも登戸研究所保存の会10周年記念イベントで公演があるとのことなので楽しみ。それまでに登戸研究所についてさらに学んでおきたいと思う。とにもかくにも朗読劇「ヒマラヤ杉は知っている」お疲れ様でした!

今宵のBGMは、ルー・リードの2000年発表のアルバム「エクスタシー」。左右のスピーカーからルーとバンドメンバーマイク・ラスケのエレキギターがガチンコで絡み合い織りなすサウンドがたまらない名盤。早くソウブラライブでギター弾きたくなります。その前に朗読劇の次は8月5日(土)アールズ・アートコートで竹内浩三になってから。

BG酒は麦とホップゴールドでした。今宵はこれからGEOで借りてきた昨年映画館で観逃したジャニス「リトル・ガール・ブルー」を観ます。ではまた、ロケンロール!
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ロケンロールライフ813 

2017/07/20
Thu. 22:53

法人ニュース夏号の原稿がようやく仕上がりつつある。

思いの他利用者からの投稿も多くなかなか豪華な?ニュースになりそうな予感。アタシは相変わらず特集で障害者福祉の現状に小石を何個も投げつけるような文章を書き、さすがにいささか自分でもその暑苦しさ(それでなくても激夏である)に閉口し、巻頭文は思い切って全然特集に関係ない福祉の現状にも関係ない母親のことを書いた。
確かに福祉には関係ないが、お袋はぼくの働く大田区で育ち結婚するまで大田区で働いていた。主に大田区で読まれる法人ニュースにまったく無関係な話とは言えないのだ。

およそ1ヶ月うんうん唸りながら何とか書き上げた特集の文章に比して、お袋の話はこのブログを書くようにスイスイと筆が進みものの30分足らずで大略を書き終えてしまった。お袋の話とは、ここでも書いた今年初めて読んだ彼女の遺した歌集についてなのだが、書いている内にぼくはふと、このお袋の話がまるで大好きな劇団チャリカルキの描く劇世界のように思えて来た。毎年ゲスト出演させていただいていた名物ロングツアー公演のママチャリカルキが今年は休演で、今夏は重篤なチャリカルキロスを味わっていたさ中であるからなおさらそう感じたのかもしれない。

今まで開くことの無かった亡き母の形見の歌集の中には、息子の知らない若い娘時代の母が居て、しかも現在息子が働き年中行き詰っている小さな施設のすぐそばで若き母も働いていた事実。毎日のようにノートに向かい短歌を書いていた頃の母を知らず、その母に反対されたバンド活動を続け、48歳の今も息子は性懲りもなく売れない歌を書き続けている。自分で言うのも何だけれど良い話だなぁと思ってしまう(笑)。事実は小説より奇なりとはよく言ったものである。ぼくが劇団チャリカルキを大好きなのは、毎回そんなあり得ると思わせる愛ある奇跡(たとえ現実には起こらなくても)を観せてくれるからなのだ。
チャリカルキの劇だったらきっとお袋が実際に出て来るんだろうなぁ。48歳のアタシと20歳そこそこのお袋が本当にこの街(大田区)で出会っちゃうんだろうなぁ。そんなことを思うと楽しくてならない。死んだお袋を思ってこんなに楽しくなったことは今まで無かった。なので、今日仕上げたニュース巻頭文には、ちょっとそんなチャリカルキ的?な一文を付け加えたのだった。

大好きなチャリカルキの公演を熱く待望してます!ホンとこの夏はチャリカルキロスだわ~。
で、明日の夜は、手術前の息子の景気づけに我が家の3人の子と長女の親友Mちゃんと共に神宮球場へヤクルトVS阪神戦を観に行く。もちろん子ども500円の外野自由席。縁起良く連敗脱出してくれよヤクルト!頼みまっせ~。と言いつつ、親父はとにかくスタンドでヤクルトギャルを眺めながら呑むビールだけが楽しみなのであった。

今宵のBGMは、ルー・リードの78年発表のライブ盤「テイク・ノー・プリズナーズ」。8人編成のビッグバンドで生々しいライブを聴かせる逸品。エレキ弾き出してからというもの、ルー・リードとジョー・ストラマーのギターばかり聴きたくなる。
BGドリンクはコープ野菜ジュースでした。ではまた、ロケンロール!

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掻き鳴らせど 掻き鳴らせど 

2017/07/18
Tue. 22:08

掻き鳴らせど 掻き鳴らせど
詞 曲 五十嵐正史

掻き鳴らせど 掻き鳴らせど
この右手は止まらない
書きよどめど 書きよどめど
頭から言葉を
掻き鳴らし 書きよどみ そのまんま
掻き鳴らし 書きよどみ 叩き出す

うた唄えど うた唄えど
口からあふれ出し止まらない
言いよどめど 言いよどめど
胸底から言葉を
うた唄い 言いよどみ そのまんま
うた唄い 言いよどみ 叩き出す

そんな場合でない時に 
掻き鳴らせ 掻き鳴らせ
そんな場合でない時に
書きよどめ 書きよどめ
掻き鳴らし 書きよどみ そのまんま
掻き鳴らし 書きよどみ 叩き出す

そんな場合でない時に
うた唄え うた唄え
そんな場合でない時に
言いよどめ 言いよどめ
うた唄い 言いよどみ そのまんま
うた唄い 言いよどみ 叩き出す


エレキで書いた2曲目。以前観たジョーストラマーのドキュメンタリー映画で、ジョーが作詞について「天から言葉が降りてくるなんてふざけんな。こちとらいつも必死に頭から言葉を叩き出してるんだ」というようなことを語っていたのが強く残っていて、いつか歌に取り入れたいと思っていた。それと、ぼくの場合は「歌なんて書いてる場合か」という時ほどどうにも書かずにおれなくなるのでそんな気持ちも盛り込んだ。これからきっと、もっとそんな場合でない時が増えそうな気もするし、ある集団や組織が望む歌やスローガン(言葉)にはますます抗って行きたいし。
最近言葉数の多い歌詞が多かったので、その反動もあって言葉を少なくVUの某曲のメロディーを借りてシンプルな文字通り掻き鳴らすロケンロールに仕上げました。エレキで掻き鳴らしたら気持ち良いハズ。

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ロケンロールライフ812 

2017/07/17
Mon. 22:53

3連休は、息子と長女にせがまれて炎天下危険な野球三昧。息子とのただのキャッチボールから始まった我が家の野球熱、プロ野球ファンの長女が参戦してソフトバットとやわらかボールを使っての試合形式が主となりこれがまた運動量が半端じゃない。今日の午後なんぞはホントに倒れるかと思った。ちょうど良くルールで息子と長女がもめてくれたので、審判長である親父の采配でノーコンテストにして、さっさと久々のヘルスよしのへ逃げる。こんな暑い夏の日の、銭湯の水風呂ほど気落ち良い場所は他にないだろう。しかし、せっかく銭湯でさっぱりしても団地までの長い上り坂を帰る間にまた汗をかいてしまうのが難点。

今日は朝9時に多摩市民館に朗読劇団で集まり、午前中いっぱいかけて22日に迫った新百合ヶ丘トウェンティワンホールでの「平和・国際フェスタハートカフェ2017」公演の直前練習。3時間みっちりまだまだ時間がほしいくらいみなさんで熱心に練習した。初チャレンジの大舞台なので、今までの朗読劇スタイルでは通用しないだろうという部分を演劇的手法を取り入れるなどして、お客さんへの観せ方をプロの役者さんからアドバイスをもらいながらみんなで意見を出し合い工夫を重ねる。素人の集まりである我らが朗読劇団員たちの懸命に取り組む姿を音楽担当者として参加し見守りながら、ぼくは何だか感動していた。そしてあらためてこの約30分の朗読劇が非常によく出来ている事に気付く。
2本のヒマラヤ杉の巨木がナレーターとなり、まず戦時中の子どもが登場し、戦時中の村人の視点で登戸研究所の様子が語られ、風船爆弾を造らされた女学生が体験談を語る。そして所員が登戸研究所で開発した毒物青酸ニトリール(戦後すぐの帝銀事件で使われた毒物でもある)を使って、南京で中国人捕虜に対して行った人体実験について独白、それから戦後の元所員たちのことが語り継がれ現代の子どもたちの様子をヒマラヤ杉が見守りながらエンディングを迎える。それぞれの登場人物の立場から見た、参加した登戸研究所のことが率直に語られることで、一面的でなく軍人含めた庶民たちに登戸研究所が(あの戦争が)いったいどんな存在だったのかを描き出している。おそらく劇団員一人一人がこの内容の面白さと大切さを自覚しているからこそ、これだけ真剣に取り組んでいるのだろう。当初5人だけで一人2役以上こなしながら演じていた劇団員は、倍以上の11人となり一人1役(ちなみに母ちゃんは子ども役)をそれぞれで演じ切る。
練習後アドバイザーの役者氏も、現政権が今また生物化学兵器の開発に手を付けようとしている(加計学園はそのための学校とも)話もある中、今登戸研究所のことを伝えることの意義を話された。ぼくは登戸研究所の史実には、戦争の愚かさの事実が全て詰まっていると思っている。

練習後は母ちゃんと2人でやはり市民館2階で14~19日までやっている教科書展示会に寄り、小学校では来年度から教科化される道徳の各社教科書を見る。
パン屋を和菓子屋にしろだののアホな指図が入って話題になった道徳の教科書だが、特に今回近しい人たちの間で話題になっているのは教育出版社の教科書のひどさ。ぼくも見てみたのだが、特に5年の道徳の教科書では大田区の町工場の努力が称えられた下町ボブスレー話の挿入写真で、安倍晋三がボブスレーに乗っかってポーズ付けているのを見た時はそのセンスのダサさと共に、この社がどうにか現政権に気に入られようとしてセコイ奴隷根性丸出しの努力をしていることを何とも憐れに感じた。やはりこの国は、登戸研究所のあった時代、いやそれよりずっとずっと前からこんな奴隷根性をむき出して、権力にすり寄り取り入り小さな世界で勢力を争いパイを奪い合ってセコくけなげに生きて来た民衆の末裔たちが巣食う国なのだ。群れたらホンと危ない人たちだ。個人の尊厳なんていともたやすく売り渡すのだから。でも、そんな自分たちも含む烏合の衆にいよいよ飽きられ出した安倍がコケたらどうすんのかね?まぁ、次のにすり寄るだけか。

そんな中で(ざっと見ただけではあるが)光村図書は、ぼくの印象では何とか狭量な愛国心に絡め取られないよう工夫している感じがした。公民権運動の発端となったローザ・パークスさんのことを取り上げたり、子どもの権利条約を解説したり等々、しかしほぼ全社で取り上げていた1年生用教科書のカボチャのツルの話だけは、全く持って理解出来なかった。中身は勝手気ままにツルを伸ばすカボチャは他の野菜の畑を荒らし、悪びれることなくさらに伸ばし続けたツルが道路を横断したところでトラックに轢かれてちぎられて泣きわめくという話。この話から自分勝手に生きることを戒めるというのだが、まぁアホクサすぎてあくびが出てくる駄話だ。そもそもカボチャが成長しツルを伸ばすことをわがまま、自分勝手と規定すること自体が間違っている。カボチャが育って実をつけることにわがままも勝手も無かろう。自然の恵みである畑の野菜をチンケな国民育成の道具にするとはそれこそ天罰が下ろうというもの。パン屋でクレームをつける似非愛国心は、連中の好きな呼び方の国土が育てる野菜を侮辱して良いのだろうか?それこそ非国民じゃないの?それを光村含めてほとんどの社で採用しているのは全くもって分からない(圧力と忖度?)。ただ一つ分かることは、この道徳なんぞと言う教科は、一部の人間の都合のためのものであって人間がこの世界で生きてゆくために本当に必要なものではないということ。それだけは大変良く分かりました。

そんなこんなの3連休、ちょっとヘたれ気味だった精神は多少栄養補給され、またボチボチ行こうと思えるまでにはなりました。
そうそう、土曜の夜DVD借りて観た邦画「恋人たち」がとっても良かった。今のアタシにちょっと励ましと、問われても答えを出せない現実をまた生きて行くしかないという希望をくれました。これを108円で観てしまったことへのちょっと後ろめたさとありがたさ(あぁ、映画館行きたい)。この映画おススメです。

今宵のBGMは、昨夜のバラカンビート録音音源。
BGドリンクは氷を入れた水でした。ではまた、ロケンロール!

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ロケンロールライフ811 

2017/07/13
Thu. 23:17

昨日の日暮れ時、団地に続く帰り道を歩いていると、街路樹から聴こえるニイニイぜみの「ジ~ジ~」という鳴き声の向こうの森から今年初めてのヒグラシのキレイな鳴き声が聴こえて来た。

ニイニイぜみのどこか力ない声(アブラゼミの「ヂ~ヂ~ッ」に比べてテンション、ボリューム共数段低い)と、森から鳴り響くヒグラシの透明感ある声のコラボがあまりに美しく、ぼくはしばし立ち尽くし夏にしか味わえない幸福感に包まれた。
ヒグラシが鳴り響く団地前の広大な森の頂上には、先日ちょうど反対側から昇った階段のある生田浄水場の配水池の太陽光パネルが敷き詰められているが、森は手付かずで残された。団地に越してきたばかりの頃、母ちゃんはベランダからこの森を眺めては「もう旅行に行かなくても良いわ。この景色で十分」と言い、数年前に沖縄から訊ねて来てくれた親友A一家のAと息子のK君は、車から降りてしばらくこの森を二人で眺めヒグラシの声をじっと聴いていた。その親子の光景はぼくにとって大好きな忘れ難い夕暮れの光景で、夏が来るたびに二人の佇む姿を思い出す。

もう何度も書いているが、この街に住んで本当に良かった。夏は特にそう思う。仕事で良く人間関係に固執、囚われた相談を受けて「距離を大切に」なんて偉そうに言うけれど、ぼく自身囚われから解放してくれるこの街の、あらゆる場所からの心地よい距離感が好きなのだ。そしてここには何より根源的な故郷である森が在る。ぼくは人が嫌いではないが(嫌いな人はたくさん居る。好きな人もまた然り)毎日人に疲れて帰る。人間の精神という不確かで訳の分からない、時に救われるがたいがい恐ろしい思いにさせられる代物と向き合わされ付き合う毎日に、ぼく自身の魂が距離を欲し森に抱かれたいのだ。25年こんな日々を続けて来ての実感は「いくつになっても楽じゃねぇ」であるが、ここに帰って来れるならまだしばしがんばってみようかとも思う。

真夏は仕事から帰ると何はさておき風呂場へ直行し水浴びをする。そして団扇をあおぎながら冷えた麦とホップか金麦を2本呑む。どの季節に呑んでもビール系は美味いが、やっぱりこの季節が最高に違いない。
夕飯食ってさっさと布団を敷いて、窓を開け放した我が家の中で最も風通しが良く涼しい4畳半の寝室に寝転がれば、外から虫の声と共に森からの匂いを含んだ気持ちの良い風が入って来る。室温は29度近くあるが暑くはなくちょうど良い(さすがに夜でも30度超えると、寝る前に再度水浴びする)。ぼくは「極楽極楽」と呟きながら、あっという間に1時間の仮眠に堕ちる。

ぼくの頃はなかったが、最近は学校でも日中クーラーをつけており、我が家の子どもたちや時々行く母ちゃんもクーラーがガンガンに効いていて寒いくらいだと言う。確かに外と室温との極端な落差は身体に実に堪える。熱中症も怖いが効き過ぎたクーラーはそれ以上に怖い気がする。こういう感覚を共有してくれる人は今や少数だろうが、ぼくにはこれが普通の感覚としか思えない。
そう言えばぼくが大好きな呑み屋は、どこもそんなに冷房効いていないお店である。住む所も行く店も人間は自然と自分にとって一番心地良い所へと向かうのだろうか?ハリボテに惑わされずちゃんと自分の自然の声を聴いていればの話だろうけれど。最近とみにやりたくないことは絶対にやりたくないし、行きたくない所へは絶対に行きたくなくなってきている。そして付き合いたくない人(団体)とも絶対に付き合いたくない。「嫌なモノは嫌」なのだ。仕事柄(これでも)それを堪える場面が続くとやっぱり辛い。

今宵のBGMは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」。最近聴きまくっていて何だかまた新曲出来そう。
BGドリンクは野菜ジュースでした。ではまた、ロケンロール!

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2017-07