周辺暮らしのロケンロール

関東を中心に活動中のごちゃまぜロックバンド、五十嵐正史とソウルブラザーズの公式ブログ

ロケンロールライフ785 

2017/04/29
Sat. 22:06

48歳になった日とその翌日は、吉祥寺のろと阿佐ヶ谷あるぽらんで連夜呑んだ。存分に呑んだ。そして今夜は、家族からのここ数年恒例の誕生日プレゼントである第3種でないビール(ヱビスとキリンラガー)を呑んでいる。

連日大好きな店で気のおけないいつもの仲間たちと、そして敬愛する店主と楽しく呑み語る時間は自分自身への最高の誕生日プレゼントであった。そして、いつもそうであるがそんな奔放を家族には大目に見てもらい続けている幸せな親父である。
今週の頭に、母ちゃんに「今週は木金とのろとあるぽで呑んで来るから」と一言告げておいたつもりだったが、本当は言っていなかったのか母ちゃんが忘れたか木曜の夜ぼくがなかなか帰ってこないので、心配になった長女が「迎えに行ってくる」とアテもないのに探しに出かけようとしたことを金曜の朝母ちゃんから聞いた。幸せ者である。で、それを聞いても金曜の夜も呑みに行く48歳の父。

今朝は長女は部活の大会で早朝出かけ、それ以外の3人も、早朝我が家の食べているお米を作っている千葉県多古町へ恒例の日帰り田植えツアーに出かけた。
朝早く家族の出かける物音を遠くに聴きながら、吞み疲れて寝ているぼくの枕元に次女がやって来て、大きな声で「父ちゃん!」と呼ぶので思わずビクッと一瞬目を覚ますと、やはり大きな声で「父ちゃん誕生日おめでとう!田植えに行ってくるね」と言い、ぼくは寝ぼけた声で「うん、ひってらっひゃ~い」と応えてまた眠りの続きに落ちた。

ゆっくり起きて遅い朝飯を一人食べ、コーヒーを飲みながらラジオを聴いていると、ここのところ連日報じられている北朝鮮のことをやっていて、ミサイルがまた打ち上げられたとニュースが言う。報道の雰囲気としては、いつ日本に撃ち込まれるかも分からぬという危機感を出しているように感じるが、ぼくの感性はにわかに信じ難い眉唾であると自分に知らせている。北朝鮮の動きと前後して米韓の挑発的な軍事演習が行われているし、日本も安保法を振りかざして米軍と協調することを宣している。お互い兵器でもって兆発をし合うという、何とも人間の未熟さと愚かさを国のトップとされる人間たちが率先して全世界に開陳している誠に情けない限り。
こんな時こそ、人間の知性が問われ生かされる時のはずだが、それが発揮される気配は一向にないし兆しも見えない。
しかし、こうして小さく在る自分の暮らしにはやはり幸福としか言いようのない、小さな一日があってお互いを生き合う人間同士の関わりが確かに在る。人間の築いた世界が国家単位でどれだけクソッタレでも、人間本来の在り方は個々で築けるはずだしそうして生き合えるはずだ。それを国家が保障してくれているから国を守るだのというアホな発想は、本当にその在り方を自分で追求し模索し生きていれば持たずに済むし、当然自然と国など要らんという発想に流れ着く。それもまた人間としての幸福だと48歳になったぼくは思っている。

一人の穏やかな午前中に久しぶりに自分でつけたテレビで、連続テレビ小説「ひよっこ」の1週間分を途中から観てしまい、主人公演じる有村架純ちゃんのドストライクな可愛さにデレデレしていたら、昭和40年の春に高校を卒業した主人公の年齢設定が死んだお袋とほぼ同じであることに気付いた。主人公が東京で勤めるのはラジオ工場だが、中卒で最初綱島の松下電器(ナショナル)で働いたお袋も、確かはんだごてでラジオの基盤などを作っていたと言っていた。
さすがに有村架純をお袋に見立てはしなかったけれど、こんな時代を生きていたんだなぁと思わず感慨にふけった。とうとうあなたの逝った歳になりましたよ。生きてて良かったです、おかげ様で。

今宵のBGMは、最近久しぶりに良く聴いているニール・ヤングの92年発表のアコースティックな名盤「ハーヴェスト・ムーン」。
BG酒はビールからブラックニッカハイボールに切り替えました。ではまた、ロケンロール!
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今夜は仕事帰りに登戸駅で下車して、再開発真っただ中(やらないでほしかった。絶対武蔵小杉のようにはしてほしくない)の更地の目立ち出した路地を歩き多摩区役所と併設した多摩市民館へ。

ギターとライブ道具を車で持って来てくれた母ちゃんと待ち合わせて、大ホールで開催されている「たま憲法大集会」に途中から参加する。
改憲の企みと流れが止まない施行70年の日本国憲法を、地域から見直し再評価し選び直す取組みに異議はない(さらに安保破棄)。特にぼくは第9条の完全実現を、自分の生涯かけてこの国と社会がどうなろうと捨てることなく追求したいと願う者だ。

そして、この地元川崎市多摩区の憲法大集会の第二部(第一部では、作曲家の池辺晋一郎氏と無言館館主の窪島誠一郎氏の対談であった)後半の市民からの発信の最後で、ぼくが登戸研究所保存の会からの発言として「ヒマラヤ杉は知っている」を弾き語ることになったのだ。
会の進行、段取り、ステージ前の準備等は全て当日会場で確認。ぼくの持ち時間はわずかに5分、「ヒマラヤ杉は知っている」を歌ったらちょうど終わってしまう。これでは朗読劇のことを紹介出来ない。今日は仕事中もどうやって5分で登戸研究所のことと朗読劇のことを説明し唄ったら良いか考えていたが、どうやっても5分では収まらないのであった。

大ホール客席に400人近く(後から聞いたら参加者650名!だったそうな)入ったのではと思われる舞台に他の発表者たちと立てば、一番前に時間を知らせる係の人が居て1分前とか30秒前とか大書された紙が発表者に向けられている。あれを出されると何か気が散るなぁと舞台で思いつつ、ぼくは自分の出番となってマイクが歌とギターの前に置かれると、ごくごく簡単に登戸研究所で戦時中に行われたことを朗読劇にして公演していることを語り、その朗読劇のテーマ曲を書いたのでこれから唄うがあらかじめ持ち時間をオーバーすることを宣言してから歌に入った。これでぼくは多少楽になった。客席はちょっとタイムオーバーするくらいかまわないという雰囲気になってくれたので、存分にフルコーラス「ヒマラヤ杉は知っている」を大ホール中に響かせた。1曲必中だったから声も良く出ていたと思う。音の響きが良いから気持ちもずいぶん入った。

と言うのも、地元の大きなイベントということもあって実に顔見知り、ご近所さんと多く遭遇し朗読劇団の仲間も大勢来てくれた。何と団地のお隣さんとも会って、「これは下手は打てんぞ~」と良い意味気合いが入りました。こんなに熱くこの歌を唄ったのは初めてじゃないかしら?やはり、登戸研究所が実際にあった町のリアルな場力がそうさせたと思うし、ぼく自身が登戸研究所のことを伝えて行く朗読劇にやりがいを感じているからだと思う。社会情勢がどうなろうと政治が底なしに腐り続けようと、やるべきことを、人間として在るために大切なことを、自分に出来ることでやり続けるだけだ。それが、こんな大好きな地元のイベントで出来ることもまた楽し。

今年のゴールデンウィークは、5月3日に登戸駅近くの通称三角公園のピースパレードに先立つイベントで唄い、14日は毎年参加している多摩川近くの市営住宅中野島住宅前の公園で開催される、地元の脱原発イベント「お日さま春祭り」で唄う。小さな地元のイベントでそれぞれ3~4曲だけれど、ぼくはそうやってソロで唄うことにもけっこうやりがいを感じている。早速「ヒマラヤ杉は知っている」のリクエストも来ているのだ。

今夜は久しぶりに母ちゃんに手伝ってもらって2人でやったライブ(母ちゃんは出演しませんが)。帰りの車中「どうだった?」と聞くと「音良かったよ」とのこと。考えてみればもう子どもたちだけでちゃんと留守番出来る。週に数回稲城のカフェ「宇宙さんぽ」のお手伝いにも行っている母ちゃん。この春の我が家の動きの中で何気に母ちゃんが一番大きく動き出したのかもしれない。ホンと頼りがいある我が家の大黒柱である。お疲れさんでした。

明日はアタシの誕生日、ソウブラの仲間とよろづ湯入ってのろ呑み行くぞ~。

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完全燃焼のライブから一夜明け、4時間強の睡眠時間でいつもの南武線通勤電車に揺られていると、人身事故で乗換駅一つ手前の武蔵中原駅で電車が停まってしまい、一駅分高架下をひたすら歩く。

比較的事故の少なかった南武線も、武蔵小杉駅に横須賀線が乗り入れ街がスニーカータウンだかなんだか知らぬが超高層マンションが乱立するすさまじいビル風吹き荒れる残念な光景になったのと期を一にして、乗降客が激増し事故も増えた。今日は小田急線でも人身事故があったらしく、自然界では命が芽吹く春にこう人間ばかりが自ら命を絶って行くというのは、どう考えても人間がもはや本来の命を全う出来ていない異常事態である。この社会は確かに病んでいる。

にもかかわらず、人身事故があって通勤電車が停まれば生きている人間たちはただ舌打ちをして、亡者の行進のように歩いて次の駅に向かう。ぼくもまたその中の一人となりながらそのことを悲しく、これが異常な光景であることを忘れまいと心に留める。
そんな風に亡者の行進の中に居ながら異常を異常と感じることが出来るのは、昨夜のイーサン食堂での勇造さんとの人間本来の在り方を思う存分実感しそれを心から楽しめる時間を過ごせたからだとつくづく思う。そう、ライブとは、ライブの場とは人間本来の在り方を実感する一時。だから「生きるための歌」なのだ。

イーサン食堂での勇造さんライブで前座を務めさせてもらって20年が過ぎた昨夜は、昨年以上にさらに良いライブになったと断言出来るのがまずうれしい。ソウブラがこの後歌う勇造さんを意識した選曲で、豊田勇造&ソウブラをセットで楽しもうとしてくれているイーサン食堂ならではの最高のお客さん達を前に唄えば、勇造さんは1曲目をぼくが唄った亡き母親とのコラボ曲「ないしょの話」へのアンサーソングと言って「夢で会いたい」からライブを始める。それがぼくらのライブを聴いた上でその場で決めた選曲であることは、楽屋で一緒に居たから良く分かる。自分のライブ後まだ汗がひかぬ身体に冷たいシンハビールを流し込みながら、師匠からのアンサーソングを浴びる幸せよ。それだけで10年は長生き出来そうな気がして来る。こんなライブを誰もが体験出来たら、ハリボテに囲まれ狭く閉ざされた世界で命を自ら絶つ必要など感じないだろう。

来年で開店25年目を迎えるイーサン食堂には、今やしっかりと店内にその年月が刻まれ、それがそのまま店長であるNさんとTさん夫妻の生き様、生きてきた証である。そんな店内で日本一美味いタイ料理を食べれば、これまた人間本来の在り方を味覚が思い出すはずだ。イーサン食堂に初めて訪れた同僚のK田さんは、すっかりイーサン食堂のタイ料理の美味しさとここでの勇造さん&ソウブラライブを気に入ってくれて、「来年も必ず行きます!」と宣言してくれた。

昨夜ソウブラが唄った曲の中で、やはり「ないしょの話」がとても好評であった(「CDに入ってないの?」と何人かに言われた)。勇造さんもすごく誉めてくれ、コーラスの梅ちゃんがソロで唄う部分を含めて唄い方も良いと言ってくれた。「この歌でやっと柔らかく唄うことが分かった気がしている」とぼくが言うと、師匠は「自分が作った歌に自分自身が育ててもらうことがあるんよね」と返してくれる。ぼくは深く頷くばかり。食堂2階の元宴会場&ライブ会場だった楽屋でそんな風に師匠と語り合って過ごす時間もまた、人間本来の在り方を味わわせてくれる大切な大切な一時なのだ。

年に一度ここで必ず会えるお客さんたち(Sさん、手作りのマーマレードありがとうございました!)、初めてイーサン食堂に来た30年来の勇造さんファンで、初体験の勇造さん&ソウブラライブを堪能してくれたKさん(from大田区)ありがとう!
何よりずっと在り続け、この「生きるためのライブ」を主催し続けてくれるイーサン食堂に心から大感謝!!

武蔵中原駅から武蔵小杉駅までの一駅分20分強の行進の中、ぼくは昨夜のことを思い出してはうれしい気持ちになって、これだけではないハリボテ外の広い世界を生きていることを実感していた。

イーサン食堂ライブソウブラセットリスト
①この素晴らしくない世界で
②ファシスト野郎
③ないしょの話(母の歌集)
④ヘルスよしの
⑤ワン・ギター

勇造さんとの共演曲
・アンディーズブルーズ(w森田)
・マンゴーシャワーラブレター(w森田&山村)
・いとうくん(wソウブラ)
・戦争の親玉(wソウブラ)
・ハンクウィリアムスを聴きながら(wソウブラ)
・大文字(wソウブラ)
~アンコール~
・満月(wソウブラ)

※次のソウブラライブは、5月13日(土)これまた大好きな場所(でばかりソウブラは唄わせてもらってます)吉祥寺のろでの3人ソウブラ(五十嵐、森田、梅田)生音ライブです。営業継続でがんばっているのろにぜひぜひぜし!ご来店下さいませ。お願いします!
5月13日(土)吉祥寺のろソウブラ(3人バージョン)ライブ
18:00開場 19:00開演 2000円(ドリンク別)
吉祥寺駅北口徒歩4分 みその通り沿い 0422-20-5117

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ロケンロールライフ784 

2017/04/22
Sat. 23:33

今年も昨年の春同様、20日(木)の荻窪は築80年!のMさん宅と21日(金)は駒込に在る琉球国その名も東京琉球館での豊田勇造師匠ライブに仕事帰り行く事が出来た。

昨夜遅くに帰った時にはさすがにクタクタで、家族の寝顔を見たら安心して倒れ込むように眠り、今朝もゆっくり起きたのに昼食後は昼ビール(第3種ですけど)を呑んで、大好きなラジオ「久米宏のラジオなんですけど」を聴きながら昼寝してしまう。
息子からはキャッチボールを約束させられていたのだが、ぼくが昼寝から起きた時には生憎の雨模様となり、ゴキゲン斜めの息子をなだめるように、母ちゃんが近所の安い衣料品店の2割引きハガキが来ているので息子の肌着等を買いに行こうと声をかけみんなして車で買い物に行く。だいたい季節ごとにある大幅割引の時をねらって我が家は肌着や靴等を買う。服はほぼ古着かもらい物で済ます。そう言えばもうずいぶん履いてゴムが伸び伸びになりズボン履かないと落ちて来るので、ぼくのボクサーパンツもついでに買ってもらう。2枚で300円ほどの極安パンツにするか、その倍ほどの値段(もちろん2枚で)のパンツにするか脇汗かくほど悩み、当然どちらも中国製で(それより高いパンツはいくらでも売っているのだが、2枚で1000円以上するパンツをぼくは履いた事がない。モテる男はやはり高いパンツ履いているのだろうか?)、でも300円のパンツは綿が1%も入っていないから履き心地を考え、そこから2割引きされることも後押しして高い方のパンツにした。決心して母ちゃんの持つ買い物かごにパンツを入れようと母ちゃんと子どもたちの所に行くと、どうやら彼らも父と同じように逡巡しているのだった。

考えてみれば給料日直前の一番家計の厳しい月末である。息子が無邪気な風で母ちゃんに「家今お金無いの?」と聞けば、母ちゃんは「もうすぐ来週父ちゃんの給料が出るまではね」と応え、息子が「父ちゃんの給料出たら大丈夫なんだ」と返せば「うん、だけど大事に使わないと、まぁ大事に使ってもすぐに無くなるのよ」と軽やかに言う。ぼくは何か言おうかと思ったが止めた。これはこれでとてもほっこりする会話の完成だったから。

いつものように晩酌と夕飯の後で息子とライダーごっこして、そのままぼくが今一日で最も幸福を感じる一時である小一時間の仮眠。とにかく今日は良く寝る。寝ても寝てもまだ寝られる。
仮眠から覚めて明日のイーサン食堂ライブで歌う曲を決めるために、昨年のライブで何を歌ったかこのブログで確認する。思わず自分で書いた本文も読んでしまい、昨年の今頃は職場の家賃契約更新で頭に来ていたことを思い出す。しかし本当に一難去ってまた一難の繰り返しであるなと思い苦笑する。そんな中だからこそ勇造さんのライブに癒され救われた昨年の自分もまた思い出し、今年の春もまたそうであることを実感。ライブのことは明日のイーサン食堂が終わってからちゃんと書くつもりでいるが、今回あらためて勇造さんのライブはその場と共鳴しその場だからこそ生まれるライブなのだと再確認。それこそが、ぼくがうた唄いとして一番勇造さんから学び、他の誰よりも勇造さんがスゴイところなのだと思い知った2日間であった。自分が唄う場としっかり出会ってそのことにより自分のパフォーマンスを柔軟に変化させ、それでいて揺るがぬ歌世界をちゃんと観る者たちに見せる。これはなまなかなことでは出来ません。プロだからってこれが出来る人はそうは居ないのじゃないかしら。自分の歌をパフォーマンスを守ってもらおう、保障してもらわないとやれませんなんていう輩には出来るはずもない。そんなのどこ行ってやっても同じ(それはそれである意味すごいけれどアタシは魅力を感じません)。

やっぱり豊田勇造は、真の意味でのパンクロッカーでもあるのだ。だからアタシのパンクスピリットは、勇造さんとの出会いでさらに強くなったのだ。ソウブラもまたパンクバンドですよ、やっぱり。
明日の選曲も我ながら良い感じです。もちろん、最近作った曲も歌います。偶然にも(いや必然)師匠がこの関東ツアーで披露している新曲と共鳴する歌もあってまたうれし。明日のイーサン食堂師弟ライブ、絶対損はさせませんよ!

今宵のBGMは、タイのスーパーバンドカラワンのカセット「カラワンライブ」。
1984年、まだ30代のカラワンだけれど渋いアコースティックライブでゆるくて揺るがないグルーヴがたまりません。3年前の奇跡の来日ライブを思い出す。

BG酒はブラックニッカハイボールでした。では、明日は南林間イーサン食堂でロケンロール!

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ロケンロールライフ783 

2017/04/19
Wed. 23:04

いよいよ明日から、豊田勇造師匠の春の関東ツアーが始まる。

最終日の23日(日)の大和市イーサン食堂(日本一美味いタイ料理屋です!)は、ソウブラが今年も前座&共演を務め、店主中村さんから届いたDMに「前座五十嵐正史とソウルブラザーズ」とバッチリ書かれていてうれしい限り。個人的にゲスト、オープニングアクトなんでも良いけれど、生涯の弟子を自称している者としては「前座」というのが実は一番うれしい。なにせ師匠の前座歴はかれこれ21年!師匠の前に歌わせてもらい、その後ゆっくり師匠のライブを酒呑みながら楽しみ油断していると急にステージに呼ばれたりする。そのスリルもまた楽し。

10代の頃、パンクロックでライブ活動を開始したぼくは、自分の思いを歌にするというスタイルを追求して行く中で勇造さんと出会い勇造さんに行き着いた。ぼくの人生を変えた(と言うより現在の自分を築かせてくれた)3つのライブの一つは、92年の春(だったと思う)知多半島の南知多町公民館会議室で観た高田渡さんの弾き語りライブ。もう一つが94年の秋(だったと思う)東村山市市民センターの一室で観た豊田勇造さんの弾き語りライブ。そしてもう一つは97年の春に阿佐ヶ谷あるぽらんで観た知念良吉さんの弾き語りライブ。どのライブも20代の一番自分の中で「自分の在り方」を模索する季節に出会えて、それにぼくは多大な影響を受けて現在に至る。

思えば、自分の人生に最も大きな影響を与えてくれた二人の師匠と現在もライブをご一緒させていたいただき前座&共演しているというのは、幸せ者以外の何者でもない。
勇造さんからは、いつ頃からか歌のことやライブのやり方、CDのことなどでアドバイスをもらうようになってそれがいつも「なるほど」と思える胸にストンと落ちる言葉ばかりなのだ。特に30代になったばかりの頃、リハを終えたぼくに「五十嵐君、せっかく声がええさかいもう少し柔らこう唄い」と、あの京都弁で言ってくれた言葉は、現在もライブの度に緊張の中力み過ぎないよう自分自身で「柔らこう柔らこう」と唱えている。パンクロックからスタートし、路上の生声ライブでとにかく声を張り上げそれを聴き手にぶつけるように歌っていたぼくの唱法は、その師匠からの言葉を境に徐々に変わって行き、それに合わせて聴き手の層も広がり声を誉めてもらえることも多くなって行ったのだ。

けれど、ある時期からぼくのパフォーマンスや歌い方、立ち姿が「勇造さんに似ている」と言われるようになった(あまりに技術差があるので、「ギターが似ている」とはさすがに言われたことはない)。言われるとモノマネしていると思われたのかと微妙な気持ちになったりもしたが、考えてみると年に最低6~7回は勇造さんのライブを観ているわけで、後にも先にもそんなにライブを観るミュージシャンは他に居ないわけだから、自然と勇造さんの所作が身に付いてしまうのは無理もない話なのだ。しかも、こちとら師匠のライブを楽しみながら一つでも師匠のパフォーマンスから何かを盗もうとして観ているのだからなおさらである。そう開き直って、それでもなるべく元ネタがばれないよう自分流に消化することを気に留めて最近はライブしている。

そんなアタシに勇造さんから来た今年の年賀状には、両面に渡りソウブラのニューアルバム「普通の暮らし」の感想と共に“五十嵐正史節が出来て来たね”と書いてあって、飛び上るほどうれしかったのでした。
と、こんなこと書いたらもう明日の荻窪での「豊田勇造ライブin我が家」が待ち遠しくてならないではないか!いかん、テンション上がって来た~。仕事なんかやってる場合じゃないぞ(笑)。

今宵のBGMは、どうにも「桜吹雪」が聴きたくて豊田勇造師匠76年発表の超名盤「さぁ、もういっぺん」。
今年は師匠のデビュー45周年!不肖の弟子として思いきりお祝いしたい。

BGドリンクはレモンアロマオイルを1滴垂らした水でした。ではまた、ロケンロール!

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2017-04